歳を取ったら徒然草? 3
第18段 思いのレベルが違うんだろうなあ
第18段には清貧の勧めが述べている。
第18段 思いのレベルが違うんだろうなあ
第18段には清貧の勧めが述べている。
清貧の暮らしは日本人が伝統的に好む美的生活スタイルの一つだ。
その原点が徒然草に発するかどうかは知らないが、生活にゆとりのある人の選択肢の一つだ。
テレビでときどき紹介されるほど、現代でも選択する人は少なくないようだ。
出入国在留管理庁だったか、そんなようなところに勤めていた男性が、アメリカ人女性と結婚し、子どもができたと思ったら、さっさと勤めを辞めて山暮しを始めたという方がいた。
こういう方の生活は多少心配になるが、
テレビではなく、実際に出会った方だったが、空調設備を製造している会社を売り払って、首相クラスの政治家(なかそ・・)でも買えなかった山を買い、若者たちにユートピア建設を任せ、自分は静かな山暮しをした人もいた。
この方の心配はまるで必要ない。
かたや、ギリギリの貧困生活を余儀なくしている家族もたくさんいる。
一番心配で、世の中の人たちもこぞって心配してほしい人たちだ。
吉田兼好の清貧の隠遁生活は自分で選んだ部類に属するもので、私たちは余計な心配をすることはない。
冬は寒くないのか、薪は足りているのか、そもそも、毎日の食べ物はどうなっているのか、こんな心配はまるで必要ない。
徒然草の端から端まで読んでも描写はない(いえ、読んでません。カッコいいかと思っていってみただけです)が、食糧を間断なく届けに来ている人がいる。それは施しでも温情でもない。吉田が領有している荘園からのお届けだ。
贅沢しようと思えばできるが、それをガマンすること、それが正統な「清貧の暮らし」なのだと思う。
紹介されている第18段で紹介されている中国の許由(きょゆう)は清貧生活の雄のごとく紹介されているが、この方は上級国民に属する方とお見受けする。
この方の清貧ぶりとして、水を飲む容器さえも捨てたというエピソードが紹介されている。
水を飲むのに手ですくって飲んでいるものだから、見かねた方がヒョウタンで作った容器をプレゼントしたのた。だが、風に揺れ、枝に激しくぶつかる音がうるさいといって捨てたのだ。
このエピソードは清貧生活の象徴になっているはずなのだが、どうも、しっくりきません。
ギリシャの哲学者ディオゲネスも同じく水を手ですくって飲んでいた。だが、二人が同じとは思えない。
許由は、うるさくいという理由で捨てたのだが、ディオゲネスは、容器がなくても用事は果たせるという発見で捨てたのだ。
テレビでときどき紹介されるほど、現代でも選択する人は少なくないようだ。
出入国在留管理庁だったか、そんなようなところに勤めていた男性が、アメリカ人女性と結婚し、子どもができたと思ったら、さっさと勤めを辞めて山暮しを始めたという方がいた。
こういう方の生活は多少心配になるが、
テレビではなく、実際に出会った方だったが、空調設備を製造している会社を売り払って、首相クラスの政治家(なかそ・・)でも買えなかった山を買い、若者たちにユートピア建設を任せ、自分は静かな山暮しをした人もいた。
この方の心配はまるで必要ない。
かたや、ギリギリの貧困生活を余儀なくしている家族もたくさんいる。
一番心配で、世の中の人たちもこぞって心配してほしい人たちだ。
吉田兼好の清貧の隠遁生活は自分で選んだ部類に属するもので、私たちは余計な心配をすることはない。
冬は寒くないのか、薪は足りているのか、そもそも、毎日の食べ物はどうなっているのか、こんな心配はまるで必要ない。
徒然草の端から端まで読んでも描写はない(いえ、読んでません。カッコいいかと思っていってみただけです)が、食糧を間断なく届けに来ている人がいる。それは施しでも温情でもない。吉田が領有している荘園からのお届けだ。
贅沢しようと思えばできるが、それをガマンすること、それが正統な「清貧の暮らし」なのだと思う。
紹介されている第18段で紹介されている中国の許由(きょゆう)は清貧生活の雄のごとく紹介されているが、この方は上級国民に属する方とお見受けする。
この方の清貧ぶりとして、水を飲む容器さえも捨てたというエピソードが紹介されている。
水を飲むのに手ですくって飲んでいるものだから、見かねた方がヒョウタンで作った容器をプレゼントしたのた。だが、風に揺れ、枝に激しくぶつかる音がうるさいといって捨てたのだ。
このエピソードは清貧生活の象徴になっているはずなのだが、どうも、しっくりきません。
ギリシャの哲学者ディオゲネスも同じく水を手ですくって飲んでいた。だが、二人が同じとは思えない。
許由は、うるさくいという理由で捨てたのだが、ディオゲネスは、容器がなくても用事は果たせるという発見で捨てたのだ。