8月21日(月)、盛岡のホテルを出発し、南陽市へ帰路のドライブとなったが、その途上、高速道路を外れ、国道4号線やその周辺の道路に分け入って気になった大小の寺社を参詣した。
寺社など興味のない方には退屈なレポートとなるだろう。その前に、抱いた感想を述べておきたい。
*キリスト教会も日曜日の礼拝だけでなく、祈りの場として常時、門戸を開いておいてくれないものかと、まずは思った。
よそ者は平時、キリスト教の会堂に入ることはできない。ところが日本人の風習では、観光の意味合いもあるが、好きな時間に境内に入ることができ、祈ることをする。台湾のお寺などは24時間ライトアップされているものがある。ところが、キリスト教会堂では、そんな時間に侵入したら不審者になってしまう。いざとなったら避難することを受け入れてくれるだろうが、神社ほど開放的ではない。お寺はその中間か。
*神社の建っている場所には意味があるか、という課題を持っている。数十㎞から数百㎞の直線上に史跡が並んでいることもある。
*神社の建っている場所には意味があるか、という課題を持っている。数十㎞から数百㎞の直線上に史跡が並んでいることもある。
桜山神社のように、元は城だったというところに建っているのは歴史的な意味がある。合戦のあった跡にも鎮魂の社がある。水源には水神様、雷の落ちやすい平地には雷神様、交通の要衝、死者の休んでいる山頂の多くにも祠がまつられている。
ストーンヘンジのように夏至や冬至の太陽光を受け止める神社はないかと思っている。また、磁気の乱れている場所、霊界に通じる口や霊魂の滞留している場所はないかと期待している。
今回立ち寄った神社では、二ツ森稲荷神社がいまではひなびているが、かつては交通の要衝ではなかったかと思われた。近くに秋田を目指す秋田道があったので。
ストーンヘンジのように夏至や冬至の太陽光を受け止める神社はないかと思っている。また、磁気の乱れている場所、霊界に通じる口や霊魂の滞留している場所はないかと期待している。
今回立ち寄った神社では、二ツ森稲荷神社がいまではひなびているが、かつては交通の要衝ではなかったかと思われた。近くに秋田を目指す秋田道があったので。
*上記の理由で、規模の大きさや建築物の大きさには惑わされないように心した。中尊寺では金色堂は見なかった。
*8月は福島県相馬と岩手県の神社仏閣を続けて参詣することができた。計画してのことではなく、たまたまそんな気持ちになった。
8月という月が人の心を動かすのだろうか。
(写真は近日中にアップしたいと思います。さらに、岩手県の前に福島県南相馬市の神社の訪問の記録も加えていと思います)
(写真は近日中にアップしたいと思います。さらに、岩手県の前に福島県南相馬市の神社の訪問の記録も加えていと思います)