田舎の老後生活

老後の田舎生活ではなく、もともと田舎者の気楽な老後生活です。

イチジクの実を食べられなかったイエスが木を呪い枯らしてしまったわけ

2024-02-29 20:37:45 | 日記

マルコの福音書11章、12章(リビングバイブル1982年版)を、敬虔なる信徒とは似て非なる、俗世間でさんざんもまれ、すっかり心を歪めてしまった私の解釈です。マジメな信徒なら、どうしてこんな解釈になるのか、腹を立てられるでしょう。
そう読めてしまう私の悲しさなのです。歪んだ私の見解を述べた後、ネットで目に止まった牧師さんの見解で歪みを、一応、正そうと思います。

※教会の礼拝用バッグを持っていました。肩に掛ける式の。コロナ前のことです。新共同訳の聖書、讃美歌集3冊、その他、教会会員会費用紙袋、キリスト教信徒向けリーフレット等、一式つめ込まれたバッグなんですが、それがどこかの教会に置き忘れてきたのか、見当たらなくなってしまいました。どこの教会でも、聖書、讃美歌集は用意してますから、なくても、老眼鏡さえあれば不自由はないのですが気になります。こういうことや、特定の聖書だけでなく、いろんな聖書がありますので、それらの世界も覗いてみたいと、この度はブックオフで見つけた「リビングバイブル」をテキストにしてみました。

よく、聖書は世界トップのベストセラーだと言われていますが、長く出版しているから総数は多くなるのだと思います。瞬間的に100万部売れた、ということはないでしょう。それに、「リビングバイブル」のようにいろんなタイプの翻訳があり、それぞれは少部数の発行になるのではないでしょうか。タイプ別にすれば驚くほどの量ではないのではないでしょうか。
世界中で聖書が研究されていて、研究成果が蓄積されるたびに、また現代の日本語に合うようになどの配慮で満を持して装いを新たにします。そこが古典文学とは違うところです。それは神の言葉を神秘のベールで覆わないように、正しく分かりやすい理解を求めているからでしょう。

それでも分かりにくいところがあります。イエスは教義的に創作されたキャラクターではなく、実際に存在したという信憑性の由来にもなると思います。
イエスが本当に言いたかったこと、イエスの教えをより正しく、深く理解したいと、ネットには日夜、たくさんの解釈が、多くは説教の形でアップロードされています。

謎解きのように、聖書の文章をあれこれ解釈し、牧師さんや研究家の方たちの解釈と比べるのはおもしろいことだと思います。
・・・といういいわけを最初にしておきます。



マルコの福音書第11章(リビングバイブルによる)
ある分厚い本を「聖書」という。信仰を持つ人たちには聖なる書だろうが、外の人にとっては文字の羅列されたただの古典のような本でしかない。けれども、他に呼び方がないから、やはり「聖書」と仮に言うしかない。その中に登場するイエスという人物は旧約聖書を読みすぎた妄想家のように見えるときがある。信じる者には神の子に見える。イエスはフィクションとノンフィクションの境界に立つ人物なのだ。そんな彼に弟子入りして着いていく者たちも妄想家である。しかし、イエスほどではないので、最後は目が覚める。イエスが死んだ夕刻からは誰一人「イエスなんか知らない」と否定した。だが、処刑法が磔刑という衝撃から立ち直り、復活という新たな妄想によって立ち直り、弟子たちはいっそう堅い絆によってイエス亡き後、グループは再度結成される。妄想も100回唱えたころには本当のように思えてくる。
・・・ひどいことを述べてしまったが、教祖というのは見方を変えると、とてもうさん臭く見えるものだ。だから、誰もが入信するものではない。教祖がイチジクを呪ったことに大真面目に意味を見いだそうとする少数のマジメな人たちが教団作りに立ち上がったのだろう。

イエスは移動の途中、腹が減った。ちょうどイチジクの木が目に入った。イチジクの実を望んだが葉ばかりだった。イエスはイチジクの木に向かって「枯れろ!」と呪った。すると、翌日、その木は枯れていた。
弟子がイエスに報告すると、信仰の力があれば、「山も海に動かせる」と説教した。

聖書を初めて読み出した小学生だった頃から、このくだりは良く理解できなかった。何を言っても、それはごまかしで、空腹で苛立ちを抑えきれなかったとしか読めないところだ。
イチジクに何の罪があろうか。信仰の力さえあればイチジクを枯らすことが出来ただけでなく、山だって動かせるとイエスは豪語する。これでは呪ったことの照れ隠しのホラである。
このくだりをマジメに受け取った者がいれば、その人はペテンにハメられてしまう人物ではないだろうか。イエスはペテン師と紙一重の境界に立つ存在でもある。ペテン師はなによりも自分のことを真っ先に信じる者である。
そしてイエスのペテンに引っかかるような人物こそ、神の国に行ける人だとも思うところである。日本でも親鸞は師匠の法然が喩えペテン師で、地獄に落とされようとも信じると断言している。


エルサレムに入ったイエスは境内で商売をしている小さな商人たちの商売道具を神への冒涜だとばかりに蹴散らした。
なぜ、商人たちは組合のような団体でもって止めなかったのだろうか。イエスは彼らにとっては権威ある「先生」であったからだろう。だから、代わって祭司長とユダヤ教徒のリーダーが恐る恐る抗議しにやってきた。この謙虚な抗議ぶりを見ると、イエスはすでに弟子や共鳴者たちを引き連れた一大勢力の会長のような人物のようだ。
イエスの引き連れている集団はどのようなものか。「私は病人を救いに来た」と言って集めた集団は、ひょっとして堅気の集団には見えにくいものではなかったか。世のはみ出し者たちの徒党である。弟子たちにおいては、親も家業も捨てた人物たちである。

勇気をふるって職責を果たそうとやってきた祭司長や信徒のリーダーたちに向かって、イエスは問いかけに応えず、話をすり替える。「バプテスマのヨハネは神の使いか」と。
イエスの罠を察知したユダヤ教徒は応えられないでいると「それなら私も答えない」とイエスはいうのだ。こういう駆け引きは古い日本人からみると胡散臭く見える。聖人なら駆け引きはしないと信じているから。だが、イエスの住む中東は駆け引きが当たり前の風土である。旧約聖書では、退廃しているソドムとゴモラを滅ぼそうと火の雨を降らせようとした。アブラハムはそうはさせまいと、神と駆け引きをし、契約をしようとする。旧約も新約も契約の話なのだ。契約こそ信用の基礎なのだ。日本もだんだんとそうなってきているとは思う。

なぜ、イエスは境内で商売人たちを蹴散らしたのか。父への冒涜だからか。むしろ、神なる父の慈愛によって生活の糧を得させてもらう許しを得ていたのではないのか。
神社のお祭りに境内で口上巧みに商品を売るフーテンの寅さんの商品をイエスが蹴散らしたら我々はどう思うか。
イエスはイチジクの木を枯らし、エルサレルムの境内でも了見の狭い行動を起こしてしまったのである。イエスやその集団は、ユダヤ教の過激派、原理主義者であることの描写であり、世俗の法や秩序の枠外に立っているのである。
 死んだ者が3日で生き返って墓から出て行ったという話を信じる、信じさせるというのも過激な主張だろう。そんな思想がいつしか世界に普及するなんて、人間を縛るには必要な心的装置だったのだろう。日本の神話、古事記で語られる物語もかなり荒唐無稽である。それを実在の天皇家と結び合わせたのは、やはり権威を高めるための装置だったといえる。
 

12章 ぶどう園の小作農民たちの反乱という喩え話
農園主から借りた農民たちが、農園も収益の分け前も差し出さず、あろうことか請求に来た代理人たちを、最後は農園主の息子まで次々と殺害し、農園を占拠した。
「農園主は最後はどんなことをすると思いますか」
イエスはユダヤの祭司長やリーダーに問いかける。神殿を占拠し、私物化しているとの批判と受け止めた祭司長たちはなにもいえない。
さらにイエスは例え話をする。
「建築士たちの捨てた石が、
最も重要な土台石となった。」
なんとすばらしいことか。
主は、なんと驚くべきことをなさる方か」
この喩えは、人間の知恵では役に立たないと判断されたものが、建物の土台という重要な働きをした。神の思し召しは人間の理解のおよばないことである。だから神を讃美しなければならない、そういう文言である。
人間の知恵、判断力などでは到底思いおよばない知恵によって、神は人間の世を支えているのだ、と語っている。イエスのした乱暴行為の先に見据えている神の国構想をあなた方は見えているか、と、もはや説教に入っていくのである。
 これも、イチジクの木と同じように、とっさにキレた行為を弁解しているようにしか見えない。境内の商人たちは豪商ではない。小さな商いをして日々の糊口をしのいでいる人たちなのだ。その人たちの商品を蹴散らしたことにはわびるしかないのではないかと思う。どんなに偉い人がやったことだからと、忖度して何でも良い方に解釈する。それでは小さな商売人たちの立つ瀬はどうなるのだろう。


心が歪んでいる私の悪魔の解釈に対し、ネットにアップしている教会の牧師様の見解を答え合わせのように、以下に書いておきます。

◎「なぜ罪もないイチジクの木をイエスは呪い枯らしてしまったのか」ネットの牧師さんの見解によると・・・
「不信仰の者たちに占領されているエルサレム神殿はすぐに滅ぶだろう。イチジクの木が一晩で枯れたように」

◎「農園の主と反乱農民たちの喩え」 「要らないと思われた捨て石が、じつは土台石に使える石だった」という喩え

農園はイスラエルのこと。農民たちはエルサレムを管理する祭司長やユダヤ教徒リーダー。農園主の息子を殺し、農園の外に放り出したのは、殺害の罪をイエスになすりつけようとしたから。実際、イエスは磔にされた。その後、違うユダヤ人たちに農園が引き渡されるというのは、イエスが再臨された後、イスラエルがキリスト教に改信したユダヤ人たちに渡され、千年王国となっていくこと。残念ながら、現在もユダヤ人たちはキリスト教に改信していないので、それは実現していない。


◎建築士たちが見極められなくて捨てた石が土台石になった
ユダヤ人たちが邪魔だと思って捨てた石、これは磔刑にされたイエスのこと。

馬ではなくロバにまたがることを選んだのは、救済の方法にふさわしかったから マルコ11

2024-02-28 21:56:11 | 日記

西日に輝く七差古山(南陽市金山地区)

馬ではなくロバにまたがることを選んだのは、救済の方法にふさわしかったから

一冊の聖書に固執しないで、いろんな聖書を読んでみると、理解も深くなるか、そうでなくても違う理解が得られるかなと「リビングバイブル」なるもので「マルコの福音書」を読んでみている。
 私の基本書は、一応、新共同訳。でも、違いが分かるほど読み込んではいないので、比較はできない。分かることは「リビングバイブル」は、少し説明が加わっているかな、それに会話が親しみやすくしようと思ってのことだと思うけど、品が悪くなっている残念なところがあるな。でも、かなりつじつまの合う訳になっているようだな、という感じだ。

さて、今日の読んだ箇所でメモしようと思った所は、マルコの福音書11章のところ。

マルコ11:1・2
イエス一行はエルサレムにいよいよ目と鼻の先まで来た。エルサレムの郊外、オリーブ山の麓、ベテパゲとベタニヤという村の近く。どういうわけか、イエスはエルサレムに入場するのにロバに乗って行きたくなった。ダビデはたしか、裸で踊りながら入場したという記憶があるが、イエスの入場の演出はロバにまたがることのようだ。

それで、弟子に先に走らせ村のロバを調達させようとする。黙ってロバを連れてくるわけにいかない。イエスは弟子の2人にことづける。
「誰かに尋ねられたら『先生が入り用なのだ』といいなさい」

これは、当たり前の釈明である。だが、聖書の中で読むとまるで神様から託された合い言葉に聞こえる。この通りに言わないと、相手はけっして納得せず、ドロボウ呼ばわりしそうである。だが、弟子たちは守って、いわれたとおり言った。ロバの近くにいた人たちはその言葉で納得した。

聞かれたら釈明するというのは当たり前なのだが、すごく不思議感があるのは、イエスはロバの持ち主がいたら、といわず、誰か近くの人に尋ねられたら、といったことだ。
ロバの持ち主はいなく、近くの人が見知らぬ者たちがロバの持ち出しすることを良心的に咎めることをお見通しになっているのだ。

これは、イエスの予言である。聖書で頻繁に語られる「預言」ではなく、まるで占い師のような「予言」みたいなのだ。

だが、やはり、これは預言だと思う。
エルサレムに入場するにはロバに乗ってでなければならない。これは旧約聖書にでも書かれていることを成就させるためなのだろうか。Copilot (ChatAI)によるとゼカリヤの預言にある。

 「ゼカリヤ書9:9に次のように記されています:「『娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者で、高ぶることなく、雌ろばの子であるろばに乗って来る。』」

イエスはこの預言をよく知っていた。どの本かは忘れたが、イエスは旧約聖書をものすごく読み込んでいた、という説明があった。だから、ロバにした、というのは、私は間違いだと、今となっては思う。

イエスが学習熱心な人というなら、ただの秀才である。私はそうではなく、イエスは神の子だと思っている。神の子は、神の思し召しはなんでも身に備わっているのである。

イエスをユダヤ教改革派やがてキリスト教という新興宗教を立ち上げた人たちの創作だという人がいる。史実としてのイエスが旧約聖書を勉強したのではなく、教義としてのイエスを創作した人たちの知恵によるといえるからだ。そして福音書に描かれたイエスは、神の子であり、学習などしなくても身に備わった直観で行動し発言しているという形になるのである。

 
福音書はイエスの行動の記録とか伝記などではない。神の子が人間の社会に出現したことを証言する預言の書なのだ。「イエス」のモデルになったイエスの存在は否定はしない。

私は、人間が水の上を歩いたり、死人を生き返らせたりすることは荒唐無稽だと思う。それらの奇跡は神の子でなければあり得ないと思うのだ。

 
神の子のイエスはこれから起きることはすべて、台本をすでに読んだ者のように承知している。嫌でも逃げることは許されず、シナリオ通りの道を歩まねばならない。自分が最後にはどうなるか、すべて見通しながら、逃げ出さず、レールの上を歩み進まねばならない。
人間たちが気づき変わってくれれば自分の運命も変わる。けれども人間たちはイエスが最期を迎えるまでは何一つ気づかず、変わることはなかった。そして、イエスは予定通り、人間たちの罪を1人でかぶって死ぬのである。

 たとえ、三日後には生き返ると知っていても、人間に見放されて死ぬのはとても孤独で辛いことだ。イエスは何度も祈り、弟子たちに最後のことを預言するが苦しみからは最後まで逃れられない。だが、三日後の彼は罪汚れをすっかり浄化して清廉な姿と心で復活し、死を克服する。

イエスは神の子。神の思し召すままに歩むしかなかった。すべてを知っている者が何も知らない人間たちの無理解の前で、磔刑という最低の死に方で昇天した。この刑を受け入れる勇気に感動したり、共鳴したりするのがキリスト教信仰というのだと思うのだ。

イエスほどではないが、かのマザー・テレサも「私は神様の鉛筆だ」といっていた。神様の思し召すままに、愚直に、逃げずに彼女もまた道を歩んだのだ。

さて、神の子であり、メシアなら、なぜロバではなく馬ではないのだろう。馬にまたがっての入場なら颯爽としてかっこいい。けれども、ダサダサのロバでの入場を望んだ。世俗的には全然、王としての風格はない。しかし、イエスは馬ではなくロバを探させた。あえてロバの格付けで人類救済の宮に入場したのだ。

 人間の多くは見た目で判断する者が多い。ほとんどだろう。それなら、いかにもクールな装いで世俗を幻惑させればよかったろう。彼は底辺からエルサレムでのデビューを望んだ。

救済について少し眺めてみる。高みから手を差し伸べて引き上げてあげる。これこそ、奈落の底に落ちた難民を救済するイメージだ。
 それでは、底辺での救済はどうか。ともに困難を味わい、自らも傷つきながら、励まし合い助け合い、手を取合って難局の底から這い上がる。イエスの、つまり神の望んだ救済の方法は救済者も底に下りるというものではないのだろうか。ロバという乗り物はそれにふさわしいのである。

図書館巡礼 その8 山形県川西町立図書館(遅筆堂) ベルゼブル論争

2024-02-25 00:20:42 | 日記
日本橋図書館でリビングバイブルの「マタイの福音書」を読んだのですが、ここでは「マルコの福音書」を読み、ベルゼブル論争について考えてみました。
ベルゼブル論争はマタイとルカ、マルコで取り上げられています。


今日は、川西町立図書館(遅筆堂)を訪問し、ちょこっと読書してきました。数年前までは一日中、机に向かって本を読んでいても首など疲れることはありませんでしたが、先週、日本橋図書館でリビングバイブルを読んでいたとき、とても首が疲れることに気づきました。今日もそうなのです。机やイスの高さが合わないのかなー?
数年前というのは、防災士の勉強をしていたときですが、図書館で10:00から17:00まで1ヶ月テキストを読んでいましたが、それほど集中を妨げられるような痛みは感じなかったのです・・・。

  ベルゼブル論争
山形県南陽市にある日本キリスト教団宮内教会の日曜礼拝で、10年も経っていないときですが、当時の牧師だった近藤国親先生の説教で「ベルゼブル論争」が取り上げられました。
論争というので、どちらが、どんな理屈で勝つか、そんな好奇心で聞いていたら、藪の中に入っていった感じになりました。

今日は図書館でリビングバイブルでマルコの福音書を開いていたら、そのベルゼブル論争のくだりが出てきて、10年近く前のことが思い出され、改めて思索してみました。

イエスはユダヤ教の新しいムーブメントとして形ばかりになっていたユダヤ教の改革をやり、人々の心を動かし、人々の悩みの解決をはかっていた。自分だけでは間に合わず、12人の使徒を任命し、彼らにも人々の悩み解決の権限を与えたばかりでした。
悩み解決とは、悩める人から悪霊を追い出すことです。

悪霊を追い出すとは、人々の抱えている悩みを解決することだと思います。病気やいざこざの解決ではないでしょうか。
イエスが人々の悩みを次々と解決するのを見て、パリサイ人(ユダヤ教の律法にがんじがらめになっている人たち)は嫉妬して悪口をいいます。仲間内でつぶやくだけなら、それでとどまったでしょうが、多分、人々にイエスに注意するように、敬遠するように指導したのではないでしょうか。
「イエスなど正規の神官ではない者など信用するな」といい、さらにあろうことか「イエスは悪霊の王ベルゼブルの力を借りているか、ベルゼブルに取り憑かれた人物である」などと言い広めたのです。イエスは黙ってはおれなくなりました。
ここに「ベルゼブル論争」が始まりました。

ユダヤ教の神官たちからすれば、どこぞの馬の骨のような男が悪霊を追い出し悩みを解決するのは信じがたいことだったので、魔法使いだとか幻術使いだとか思えたのでしょう。

江戸初期の島原の乱の指導者である天草四郎も幻術使いと揶揄されました。圧制者から見れば反体制の指導者はみな、困った存在ですから揶揄されてしまうようです。

パリサイ人たちは、イエスの力を、悪霊の王の力を借りたものだと世間に警告した。このことへのイエスの反論は、それほど驚くものではありません。

「一つの国の中で内紛があったとしよう。内紛のあるような国はすぐに滅びるものだ。
それと同じだ。悪霊の王(ベルゼブル)の力で悪霊を追い出していれば、すぐに悪霊の王の力は滅びてしまう。悪霊たちもそれくらいは分かっているから、そんなことはしない。」

この論でユダヤ神官たちを黙らせました。さらにパリサイ人たちを震え上がらせました。

「さらにいおう。悪霊を退治するには真っ先に悪霊のリーダーを縛り上げねばならない。」

イエスの聖なる働きを阻害する者こそ「悪霊のリーダー」に取り憑かれたものなのだと反転攻勢します。さらに宣言します。

「私の力は聖霊の力である。わたしが聖霊の力で人々の悩みを解決しているというのはどういうことか分かるか。神の国が身近にあるということだ。
神の国が来たときは、罪ある者は滅び、悔い改めるものは永遠の命を得られるのだ。」

イエスの完全勝利です。聖書のイエスの反論を私はこのように読めました。


民衆が悩みを解決して欲しいと願っているのに、水を差すような誹謗中傷するパリサイ人たちは、いつでもどこにでもいますが、イエスのような人はたしているものでしょうか。

悩みを抱えている人はワラをもすがりたくて、新しいムーブメントに近づこうとする、けれどもそれを警告し止める人がいる。詐欺に遭わないように気をつかってくれるのならうれしい。けれども、なにもしないどころか、押さえ込もうとする。自分のうちに閉じ込めておけとばかりに。実際、そういうことをしている人も多いかもしれません。恥をさらさないようにと。それも生き方の美学としてあるかもしれません。
悩みが公害によるものだったらどうでしょうか。政府に問題の解決を訴えようとすると、それはやめろ、という人がいる。地域のイメージが悪くなるというのです。

聖書でのベルゼブル論争は、簡単にイエスが勝利しましたが、実際の生活ではどうなるのでしょう。イエスもこの場では勝利しましたが、パリサイ人たちの嫉妬の念はますます燃え上がったのです。


図書館巡礼 その7 東京都中央区立日本橋図書館

2024-02-23 07:55:11 | 日記
2024/2/16(金)、千代田線人形町駅近くにある東京都中央区立日本橋図書館を訪問し、持参した「リビングバイブル」の「マタイの福音書」を通読してきた。1982年訳のためか、不思議な訳文だった。分かりやすくしたのは良いが、会話の言葉遣いが品にやや欠けていた。
日本橋図書館は日本橋小学校と同じ建物の7階にある。一見小さな図書室という雰囲気だが、学習スペースがたくさんとってあった。
近くには大正8年創業の喫茶店 快生軒(人形町)があった。今度来たら入らねば! また、谷崎潤一郎の生誕の場所を示すプレートもあった。日本橋図書館(小学校) 快生軒(中央)谷崎潤一郎生誕の地プレート




残る人生は「漂泊」でいくかなあー?

2024-02-13 14:10:52 | 日記

  残る人生は「漂泊」でいくかなあー?

2024年01月09日 (火)にNHK「視点論点」で放送された、探検家で作家の角幡唯介(かくはたゆうすけ)「『漂泊』のすすめ」がおもしろかったですよ。

犬ぞりで北極圏を横断した冒険家ですが、それは植村直己さんや最上町の大場満郎さんもいましたが、彼もその冒険を果たしたとき、とても達成感にしびれたことだと思います。
毎日、GPSでゴールまでの残った距離を確認し、残された時間で翌日のノルマを割り出して進んでいく。それは自己実現の連続で充実していたと思いますが、達成してみると、単に、北極の表面を上滑りしただけのことではないかと感じるようになったといいます。途中で、興味深いものに遭遇しても、それを捨てて進まねばならなかったからです。

その反省から、今度は日高山脈を地図なしで、自分で地図を作りながら探索してみたということでした。
振り返って、北極圏を横断したときの犬ぞりは買ったものではなく、作ってもらったわけでもない。自分で学びながら作っていった。
これらの行為は、効率がとても悪い。けれども、安全性からすると、とても大切なことだったと気づきます。

イヌイットの人たちは尋ねると常に「ナルホイヤ(わからない何とも言えんね)」という言葉が返ってくるそうです。これは狩りの思考だそうです。思い込みで狩りをすると上手くいかない。その時の判断で進むしかないようなのです。

いろいろなものを切り捨てながら、計画通りに進むよりも、その時々に応じて遠回りも覚悟しながらコツコツと進むことの豊かさが、この話にはあったかと思います。
彼はこの生き方を「漂泊」と名付けたようです。

「漂泊」というと、思い当たる人も少なくないと思いますが江戸時代の俳人松尾芭蕉が日本では代表的な人物だと思います。(江戸時代は観光旅行で盛り上がり、案内書も多く発行されたといいます。
彼は「漂泊」は「放浪」と違うと行っていました。「放浪」といえば種田山頭火ですが、芭蕉の場合は、やはり、植村さんたちのようにじつに計画的、ムダをはぶき、念入りな事前調査をしていての漂泊、旅だったのです。

ですが、その定義は芭蕉独特で、漂泊の「漂」は「漂う」ですから、角幡さんのいう「漂泊」のほうが妥当な言葉遣いになると思います。

思えば、私は退職してからは、まさに行き当たりばったりの漂泊で今日まで来てしまったようです。毎日を気まぐれで過ごしてしまったようです。

役所広司主演の映画「Shall we ダンス?」では、通勤電車から毎日見ている建物の一つにダンス教室があり、あるとき、思い切って入門してしまう、そんな物語ではなかったかと思います。これも冒険家角幡さんのいう「漂泊」ではないでしょうか。

本来のミッションを果たしていくということも続けながら、足下の浮遊状況にも対応していくこと、それらを重層的に対応していくことが、結局は遠回りになったり、無駄になったりして目標には到達できなかったとしても、わたしたちは幸福感が得られるのではないでしょうか。

これまで、自分の決めた目標に最短でゴールすることが幸福だと思われ「仕事人間」になっていった人が多かったのではないかと思われますが、あちこち寄り道したり、探索したりすることが、むしろ、これまでと違う異次元の成果、達成感を得ることになるのではと思うのです。

東大進学で有名な灘中高で国語を教えていた橋本武先生は小説「銀の匙」(中勘助)一作で東大合格者を出していたといいます。
もちろん灘校の生徒たちは、授業がそれならと、受験対策は他にやっていたことでしょうが、一本の読解技術だけで数をこなすよりも、3年間も6年間もさっぱり前に進まない授業だったかもしれませんが、その替わり多重な切り込み方をして見せたことが、本当の理解する力を養ったのだと思います。

残された人生をどう過ごすか、受験じゃないんですから、だいたいの道を定めながらも、ギチギチにならず行き当たりばったり、一期一会でいかがでしょうか。