シューベルト「冬の旅」のこと
(原作詩ミュラーはそっちのけで、作曲者のシューベルトだけがもてはやされている)
小学校の音楽の時間に聴かされたクラック音楽が退屈で嫌いだった。だが、4年生のころ、親が、理研という電気屋さんからステレオと勧められて買ったレコードのほとんどが心にしみる音楽で好きになった。
私はそもそも学校の勉強が退屈で、現代だったら不登校児童になっていただろうぐらい学校が退屈で、それよりも、家に引きこもって図書館から借りてきた本を読んでいる方が楽しかった。
深夜になるとラジオから流れてくるFEN(ファー・イースト・ネットワーク極東放送)のジャズが楽しかった。
有名になる前のジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」にも登場したラジオの有名DJであるウルフマン・ジャックも登場した。
後に、眠れない夜を、ひっそりラジオを聴いて過ごすというのは、私だけでなく、同世代で後に大流行した。日本放送「オールナイトニッポン」、文化放送「セイ・ヤング」、TBS「パック・イン・ミュージック」を大人たちに混じって全国の高校生たちが聴いた。
そんなことで昼夜逆転の小学生になったのだが、買うだけ買ってちっとも聴かない親に替わって私がレコードを聴いたのだが、その中に2枚組のドイツ歌曲があった。シューベルトの「冬の旅」だった。
シューベルトは「未完成」もベートーベンの「運命」とAB面に刻まれたレコードも何度も聞いた。
友だちの影響でビートルズやモンキーズも好きになったが、生涯を共にしたのは「冬の旅」だった。
高校では音楽の教科書に「1. Gute Nacht(おやすみ)」と「5. Der Lindenbaum(菩提樹)」が掲載しているのを見つけて1人口ずさんだものだった。
放送部だったのでレコードをリクエストし、シューベルト歌曲集「白鳥の歌」「美しい水車小屋の娘」を買ってもらった。
どこに行くにもシューベルトの「冬の旅」だった。だが、なんで「冬の旅」なのか、訳詞を読むところまでいかず、歌声と伴奏するピアノの響きのみを味わうだけだった。
家にあったのは来日記念に発売になったフィッシャー・ディースカウのレコードだったが、CDになってからは、ヘルマン・プライ(山形市立図書館蔵)、ハンス・ホッター、クリストフ・プレガルディエンも聴く機会ができた。「21世紀の『キング・オブ・テノール』」と称されるヨナス・カウフマンはまだ聴いていない。
どのアーティストの歌がいいとかのこだわりは私にはない。どれも素晴らしい。けれども、じつは、演奏を拝聴することの他にも、それ並ぶ大切なことがあるのだが、私はしていなかった。
歌詞を読んでいないということだ。歌曲だから、歌声で物語を味わうことは、なくてはならないことだ。それをしてこなかった。なぜならば、私の音楽鑑賞スタイルは「ながら」なのだ。ドライブしながら、パソコンをいじりながら・・・それで文字情報は1字たりとも我が頭に入力していなかった。
それに比べるとモーツァル「魔笛」やワーグナーの「ニーベングの指環」のストーリーは何度か読んだ。歌曲と歌劇の違いだろうか。
やっと長い前置きが終わる。このたび、長くもない歌詞をお二人の訳で読んでみたのだ。
お一人はCDの付録の訳で、喜多尾道冬(きたお みちふゆ)。名前がステキなのだが、本名で1936年生まれの有名大学名誉教授。もうひとかたも有名大学名誉教授の神崎昭伍(かんざきしょうご)。
訳は上記の先生の訳は穏健で、下記の先生の訳は情熱的だ。
さて、ここに来てやっと、一体、誰の詩をシューベルトは歌にしたんだい?というところになる。
シューベルトが歌曲にした詩は、同時代の詩人ヴィルヘルム・ミュラーの作品である。このミュラーの解説はネットでは探せない。伝記本は県立図書館でも買っていない。ゲーテと同時代の人らしい。ゲーテとは違って詩はライトらしく、一般受けしていたらしい。
ミュラーの伝記は、そのうち何らかの形で入手して読むとして、次は「冬の旅」の詩の感想を書きたい。
とともにシューベルトが作曲した同詩人の「美しき水車小屋の娘」の訳詩が見つかったのでそれを読んでみる。
「美しき水車小屋の娘」恋愛の楽しい歌曲。失恋の「冬の旅」の前段階として読んでおくべきものだろう。
ミュラーの「旅のワルトホルン吹きの遺稿からの詩集」をシューベルトは入手し、帰宅してさっそく3曲作ったという。「ウィキペディア(Wikipedia)」の解説によると、ミュラーの作品そのままに曲を付けたのではなく、どうも、曲を付けやすいように手直ししたようだ。だから「ミュラーの詩に曲を付けた」という記述にはなっていない。
山枡信明の世界テノール歌手の山枡信明(やまます のぶあき)自ら訳した詩が見つかったので、それを読んでみた。
おおむね、明るく活気に満ちた恋愛心の芽生えが歌われている。まあ「もえー」と叫んでいる。
この水車小屋の詩に登場する若者は美しい娘に恋心を抱くので、まずは明るい快活な内容である。若者は修行中の粉職人である。恋愛した娘は街で見かけた娘ではなく、どうも親方の娘ではないかと私には思われる。
恋愛した娘は「美しい水車小屋の娘」であり、青年は粉職人なのだから。・・・ちなみに、ドイツの職人というと、カール・マルクスの「資本論」のくだりを思い出す。
ドイツの職人はマイスターとして、プライド高く、雇用主には煙たい存在。それで、作業工程を細かく分け、単純労働化して、職人はただの作業員に貶めプライドをそいだという過程があったという。
その職人というものは、ひとかどの職人になるために、あちこちのマイスターに入門していろんな技を習得する必要がある。それで若者の旅というのがあったということだ。
われわれは「旅」というと水戸黄門漫遊記を連想するが、ドイツでは若い職人見習が、よい師匠を求めるためにする意欲的な歩みというのがイメージされることだろう。
「美しい・・・」の物語は、娘を見そめ、惚れ、心の中でともに生きるのだが、娘はもっとカッコいい男性、狩人に惹きつけられる。見習い職人は「娘ならそんな、はしたないことはしない」だの、心で叫ぶが、失恋を認め、川に飛び込んで死ぬ。
最後は失恋で自死することになるのだが、出だしは快調だ。
さて、やっと「冬の旅」になる。これは最初から最後まで暗い。
やっかいになっていた親方(マイスター)の家で何があったのだろう。それともやはりここでも失恋か? 深夜、村を出、旅立つ物語だ。
自分の住まいを出て、親方やその娘の住む家の前を通りかかる。その家を見ながら、呪ったり、執着心を表したりする。その家の犬からは吠え立てられる。やがて、村はずれになり、けもの道や山道など、大通りでない道を歩む。そして山奥まで来て、宿で休もうとするが、満室だと追い払われる。
人の通らない道を人目を避けるようにして歩み、山の獣におびえながらも勇気を出して歩み続ける。やがて幻を見る。太陽が3つ見えるのだ。なぞの「手回しのオルガン弾き」の姿も見える。オルガン弾きは「氷上にはだしで、あちらこちらとよろめいている」もはや幻覚だ。そのオルガン弾きの老人につられて、旅人は雪の中をさまよい続けるのだ・・・。
全編、暗い世界だ。よくもまあ、こんな歌を小学生から現在まで聞き続けてきたものだ。私ばかりでなく、世界中の人々にこの歌曲は愛されている。歌の物語をよく知った人々にだ。
ネットにもアマゾンにもろくに見かけない原作詩人のヴィルヘルム・ミュラーだ。シューベルトに曲を付けてもらって大ヒットになって200年も経ったのだが、いまだにほとんどの人は詩人を知ろうとしていない。求めるのはシューベルトのみ。こりゃあ、もっと暗くなるよ!