田舎の老後生活

老後の田舎生活ではなく、もともと田舎者の気楽な老後生活です。

歳を取ったら徒然草? 2

2025-02-23 14:42:39 | 日記
第7段 兼好さんは今だけを生きる人なの?

途絶えることなく人の焼かれている煙を見て、人生をどう過ごすかを思った兼好さん。
長生きを望まないようだ。長生きすると背中が曲がり、顔には皺ができて醜くなる、恥をかくことも積み重なるからと。この辺り、カッコよさにこだわるデキる人って感じのするところ。
40歳まえに死ぬのがほどよいと、その歳を意図的にゴールにした三島由紀夫も兼好さんに感化されたのだったろうか。
三島の同齢の人たちは若くして戦場で散っていった。それに引き換え自分は戦場にも行けず生き長らえている情けなさ。
潔く戦場で死ねなかったことが、なんか一人前でなさそうで恥ずかしかったという思い。
天才と称され、華々しい活躍をしたが、それでも埋められなかった悔い。
それを解決するには、まだ若さの残る40歳を過ぎてはならないのだったのだ。自分も若いうちに死のうと。
三島と兼好の違いはここに歴然としてある。
三島は青春に固着し続けた。
美しいままに死にたいと思う心は同じでも、三島の場合は、過去を断ち切れなかったがためだ。
ところが、兼好の場合はあくまで現在だ。
7段を見る限り、兼好にはこだわる過去の描写がない。
責任あるポストに居座り続けて失敗を重ねる人たち、隠居してボケながらも、自分一人に留まらず末代まで繁栄することに執着する人たちを列挙して、長き命の醜悪さを際立てるが、それは目の前のことだ。
彼には、死ねなかったという三島のような後悔はないのだろうか。
社交の舞台から身を引いて、山に隠遁生活をする身になった彼に後悔はなかったとは思えない。
すると、彼は過去へのこだわりを潔く捨てた人物なのかということが思い浮かんでくる。
過去を振り返らない生き方は、悟ったようでカッコいい。でも、その強がりはいつまで続けられるのか。だから、さっさと死にたいと思うのかなあ。



歳を取ったら徒然草?

2025-02-11 14:09:51 | 日記
第3段 色恋に苦労しない男には、ひとかどの人物としてのオーラは感じられないの?


「玉の巵(さかずき)の当(あて)なき心地ぞすべき」って「底の抜けた玉杯のようなもの」ということらしいけど、どんな感じ?

立派で高価な材料で作られたものだけど、底が抜けている盃っていうのは?

才能とかが優れた人物のようだけれど、色恋に悶々としたことのない男のことを指していっているようなんだけど。
なんか、すごい例えみたいな感じはする。
簡単にいえば「見た目はいいが味のない人物」ということかな?


恋情が高まって、雨に濡れてまで女性の家を行き来したり、それで世間的に嘲笑され、親にたしなめられるほどなのに、思いが果たせず、結局、自分のベッドの中で悶々としている、こんな男を作者はいったんは馬鹿にしているようで、そんな男こそが味がある、人間味があると評価している。


じゃあ、そんな男がいいのかと結論しているのかというとそうでもない。
色恋しない男は味気ない。
色恋しすぎる男は、その積み重ねられた経験の味わいがあるが、女に軽く思われそうで、これもイマイチ。
ほどほどの色恋で止めている男がクールといえようって感じなのかなー。


仏教思想からいえば、色恋なんて虚しいとの発言がありそうだけど、390年間ほど続いた貴族の文化からすると、たしなみとして色恋は完全否定はできないものだったんだろうなあ。
ほどほどという感覚は儒教や仏教の中庸の精神に繋がるよね。

歳を取ったら徒然草?

2025-02-04 14:57:00 | 日記
徒然草淺読み 序段

序段は飽き飽きするほど見かけるけど、
自分の書き綴った文章を「ものぐるほしけれ」という。「気違いじみている」「気が狂いそうだ」という解釈になっていて、すごく違和感があったものでした。

日本人のマナーとして謙遜した表現なのかな、と思ったものでした。

毎日、時間つぶしに書いていた文章、まとめて読んでみると、素直に表現しすぎて、恥ずかしくていたたまれない・・・こんなところではないでしょうか?

「気違いじみている」「気が狂いそうだ」という教科書の説明には、違和感ありすぎて古文が嫌いになった・・・とまではいいいませんが・・・。

清書して序段まで書き足して製本して誰かに進呈したくらいなのだから(たぶん)、むしろ「さあ、読め。読んで暗愚から目を覚ませ」という気持ちだったのに違いないと思うんです。

でも、お怒りになるような方を想定して、先に「これは気が変なときに書いたものですから、真に受けないでくださいね」と言い訳したということなのかなあ。