黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

東京ノスタルジア:渋谷初台

2008-06-01 01:52:53 | 東京 URBEX


HDに眠る画像の救済?企画。東京ノスタルジア。
リンクさせて頂いている『えいはち@十二社の行動』のえいはちさんの記事、
タイ焼きくんアナログ。タコ焼き君デジタル」で、
新宿オペラシティのふもとにある初台商店街が、
実はけっこうノスタルな商店街だったことを思い出したので、
HDに眠ってる初台商店街を幾つかアップしようと思います。

まずはそのロケーションを。
画像でもわかるように商店街のどこからも、
オペラシティが間近に見えます。
新宿から歩いても行ける初台商店街は、
その場所には不釣り合いな程、ノスタルな商店街です。
ちなみに以前の記事でアップした小屋も、
商店街の中ではないですが初台エリアのものです。

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東京ノスタルジア:田中吉左衛門商店と白亜荘

2008-05-29 07:37:36 | 東京 URBEX
仕事で出かけた南麻布。
帰りに界隈をちょっと歩いた時にあった、極上のノスタルな建物。
(資)田中吉左衛門商店と白亜荘。



都内では大きい寺院が銭湯くらいでしかみかけなくなった、
入母屋造りの屋根を見ただけでも、この物件がただものでないことがわかります。
窓枠にとどまらずテラスまでもが木製。
まどの上にちょこっと付いた瓦の乗る張出し屋根。





どうやら1階が田中吉左衛門商店、
2階が白亜荘らしいですが、2階は賃貸住宅でしょうか。
店の軒先に薄く設置されたトタン屋根を支える木製の支柱も、
またいい感じです。





見られる部分は建物の前面だけなので、
撮影できるところも限られますが、
それでもどこを見ても見所満載です。
程よく錆び付いた看板に書かれた重厚なお名前、
懐かしの合資会社、
無造作に並ぶぼってりとした機械類。





1階の商店部分を正面から見てみます。
機械類も、積まれた板も、ガラス扉も、
全てがチョコレート色に統一された世界。





白亜荘の玄関のほうも見てみると、
右書き文字の荘名、
シンプルながら時代を感じる天窓のデザイン、
扉に斜めに設置された真鍮のドアパイプや、
裾広がりの3段の階段などなど、
どこを見てもあまりのノスタルに、涙がとまりません。 

ちなみに田中吉左衛門商店は工作機械器具の会社のようで、
この界隈に、他にも何軒かあるようです。

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東京ノスタルジア:和泉町工場通り

2008-05-28 02:52:33 | 東京 URBEX
以前アップした『東京暗渠 / 神田川支流
その源流の一つ、代田支流を見学した時に知ったトタンの町工場通りは、
まるで時空を飛び越えて忽然と現れたような、
不思議な街でした。



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東京の渋谷区と杉並区のほぼ区界にあるこの町工場通りは、
地図で見てもお分かりの通り、
玉川上水新水道跡の水道道路が環状七号線に突き当たったその先に、
200m程真っすぐに延びる不自然なほど細い路地で、
その両側に、所狭しとトタンでできた町工場がずら~と並んでいます。

この一帯は特に小さな工場が密集するエリアでもなく、
通り沿いにはオフィスビルやマンション、道を入ると閑静な住宅が広がる、
典型的な西東京の街の造りをした地域なので、
まったく別の時空から街ごと瞬間移動して来た印象を受けます。
そして、町工場に挟まれた狭い道の延長線上には、
西新宿のオペラシティーが見えることも、
この通りをより不思議な印象にしています。





殆どの建物がトタン張りの2階建てで、
1階にはなんらかの工場があり、おそらく2階は住居だと思います。





この建物等は大きい方で、
軒先にプランター花壇を作る余裕もあるようですが、
殆どの建物はいわゆる間口一間の造りで、
2階の居室スペースも1部屋ないし2部屋の造りではないでしょうか。
画像奥に写るビルはマイクロソフトの代田橋オフィス。





しかも殆どの工場は現役の稼働中で、
特に道を行き来する職人さんたちの表情が、
思いのほか生き生きしているのにが印象に残ります。



  
画像はクリックすると拡大します

まるで時空を超えて現れたような町工場通りは、
夕陽がとてもよく似合う街でした。


東京ノスタルジア:新井

2008-05-07 02:51:09 | 東京 URBEX
昨日までアップして来た東京/中野は、
JR中央線中野駅の北口界隈の話でしたが、
今日はそのさらに北に隣接する新井です。

エリアのほぼ中央にある大きなお寺、
新井薬師の門前町としての役割も果たす商店街は、
ただでさえ遅い中野北口商店街の更新スピードより、
更に遅い印象を受けます。
中野駅界隈同様この新井の地域も、
30年前の幼少の頃良く訪れた地域ですが、
記憶にある店構えのままの店舗が多数目につきます。
現在は「薬師あいロード」などといった名前になってるようですが、
当時は国内のどこにでもある商店街同様、
「薬師銀座」でした。



商店街のほぼ真ん中あたりにある清香堂額縁店
この日は営業していませんでしたが、
銅張りの看板建築がとてもレトロな額縁屋さんです。
中学校の美術の課題だったポスターが、
自分では気に入った出来だったので、
ここで額縁を作ってもらった記憶があります。
店構え同様、とても重厚な額縁でした。

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冒頭で触れた新井薬師の近くにある善六商店もまた、
30年前と同じ佇まいの店です。
本来うなぎをはじめとした海産物のお店だと思いますが、
その一角で焼きいもや大学いもを売っています。
今では殆ど店頭で見ることのなくなったどじょうも売ってますね。

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このお店は商店街の北寄り、
小関楽器店の2階にある美容室です。
扉やショーウインドウ内のマネキンの頭など、
1階の楽器&レコード屋さんと共に、
時が止まった一角には違いありません。
※隣のやきとり屋さんも凄いですよ!

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ここでは個人的に思い出のあるお店をアップしましたが、
この他にも30年前の姿をとどめるお店が多く、
またその街並にも昭和ノスタルな光景が随所に残っています。
もし中野へお越しの際は、ブロードウェイとともに、
薬師あいロードへも行かれることをお薦めします。

新井あいろーど商店街
 

東京ノスタルジア:中野

2008-05-06 02:22:28 | 東京 URBEX
JR中野駅北口から駅前商店街サンモールを真っすぐ進むと、
やがてブロードウェイ・センターというショッピングビルに繋がります。
B1~4Fがショッピング・モール、5F~10Fが住居階で、
かつて住居階には沢田研二や青島幸男などの著名人も住んでいました。
住居階へは専用エレベーターがあり、
住人でないと5F以上へはいけない構造になってましたが、
住居階に友人の家があったので時々上階へも行きました。
屋上には監視員付きのプールがあり、
学校や公営体育館のプールしか知らない自分にとっては、
とても不思議な光景だったのを思い出します。

昨日までアップして来た中野の街並は、
その猥雑感はかわらないものの、
店自体はここ30年でずいぶん変わりましたが、
このブロードウェイに限っては、
かなり多くの店舗が30年前と同じ状態で存続している印象です。
特に地下スペースは当時より一層猥雑感が増し、
本当にここが新宿から電車で5分のところか?
と思う程の壊れっぷりには驚かされます。
その一例がこれ



ワンダーですね~~~ 

以前にアップした台湾の市の店(←この記事の上から3番目)
と比べてどうでしょうか。
ディスプレイは別としても、負けてないですね!
B1はフロアー全体がこんな印象です。

1Fはさすがに通り道なので、
軒を並べる店舗もそれなりに活気があります。
2Fと3Fは、今では完全に「まんだらけ村」で、
その合間をぬってサブカル系の店と、
オープン当初からある店とがひしめき合っていますが、
ここでもまた地下同様、膨大な視覚的情報量に圧倒されます。

そして問題は4Fです。
ブローウェイセンターは極めて天井が低く、
そのためエスカレーターは1F~3Fのものしかありません。
なので、階段で行くしかない2Fと4Fは人通りが少なくなりますが、
特に4Fは平日も休日も、いつもこんな感じです








怖いですねぇ~~~ 

かつては賑わっていたものの、
その後衰退してシャッター通りになってしまったような感じですが、
実は4Fのこの状態は、オープン当時からのものです。
当時は、画材商や切手・コイン商などの店舗がありましたが、
それでもこのシャッターが並ぶ光景は今でもわすれません。

来ては行けない所へきてしまった感じを、
いつも呼び覚まされる空間でした。

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中野45番街

2008-05-05 06:26:35 | 東京 URBEX
昨日まで東京/中野のノスタルジアをアップして来ましたが、
今日の中野は、本来ノスタルだったはずが、
今は廃墟になってしまった中野45番街です。

時々コメントを頂くNylaicanaiさんの記事「45番街のマリーは?」で、
このエリアの解体が始まったのを教えて頂き、
仕事が一段落した4月初旬、早速見学に出かけました。

このエリアに関しては以前の記事でも触れているので、
あわせてご覧になって頂ければと思います。



怪しげな時代の新宿ゴールデン街の雰囲気を漂わせていた路地は、
今では半分以上が解体され、
残る建物も殆どが営業を終わっている様子です。

画像正面に写るオレンジ色の幌の店は、
かつてはこんな感じだった「VOW'S BAR」です。



なにやら怪しげ入口ですが、
VOW'S BARのVOW'Sは「坊主」の当て字。
正真正銘のお坊さんがマスターということで知られたお店です。
入口の仏様も納得ですね。

白いシートが貼られ、既に解体されてしまった所には、
こんなお店が並んでいました。



漢字の店名があまりにも渋すぎです。
特に右側の「松露」は、
30年前によくここを通った時に名前の記憶があるので、
相当古いお店だったんではないかと思います。
木枠のドア、三角のドアノブ、街灯の形、、、





店名のタランテラは、イタリアの舞曲の名前。
お店に入ったことはないので、
実際にタランテラがかかっていたかはわかりませんが、
哀愁漂うヨーロッパの曲をBGMに、
どろっと酒にまみれる感じを表した店名が、
この路地が活気あった頃の時代を、思い出させてくれます。





最後は路地を別の角度から。
撮影をしていると、とつぜん突き当たりの「スナック美和」のドアが開き、
恐らくママさんと思われる女性が出て来ました。
もしかしたらこのお店はまだ営業しているんでしょうか。



中野が故郷だという話、
そして45番街が中学校への通学路だったという話は、
以前の記事でアップしましたが、
子供の頃の感覚に強烈なインパクトを残したこのエリアは、
猥雑な街-中野の最も象徴的な場所だったかしれないと思います。
中野クラシッックがなくなり、
そしてこの45番街がなくなるということは、
中野から昭和がなくなるということで、
同時に記憶の中にある中野がなくなる、
ということだとも思いました。

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東京ノスタルジア:中野

2008-05-04 03:01:40 | 東京 URBEX
今日も東京/中野のノスタルな店です。
そもそも中野という街は新陳代謝が極めて悪く、
駅前の商店街にはそこかしこに、
30年、40年変わらない店がひしめいています。
明治や大正クラスのノスタルではないので、
それほどインパクトはないものの、
幼少の頃に見たまんまの店が濃密に散見するということは、
それだけ昭和ノスタルな街になりつつあるんだと思います。



JR中野駅北口を出て、正面のサンモールを入り、
すぐの所を右に曲がった路地の奥にあるSUNTORY PUB ブリック
店名がカタカナで書かれているのを始め、
この店も記憶に残る30年前の姿と全く変わりません。

開店が昭和39年 (1964) ということなので、
東京オリンピックの年ですね。
サントリーはジガーバーやショットバーなど、
廉価で飲めるお店を沢山出店していますが、
そのハシリのような店舗ではないでしょうか。

「パブ」という表現を聞かなくなって久しいですが、
昭和50年代にスナックとほぼ同義語的に使われた「パブ」ではなく、
トリスのハイボールを出す、正統的なパブです。

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またブリックへ通じる道の途中には、
こんなら~めん屋さんもあります。ら~めん平凡。
確かさっぱりめの味のら~めんだったと思いますが、
このお店もやはり30年前に既にここで、
こんな店構えで営業していたなぁ~と思ってちょっとウェブで見ると、
創業50年!。。。。。ビックリ!

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東京ノスタルジア:中野

2008-05-03 01:15:28 | 東京 URBEX


昨日は東京の中野にあるノスタルな商店街、
中野新仲見世商店街をアップしましたが、
今日はそこから少し離れた場所にある帽子屋さんです。

JR中野駅北口を出て、まっすぐサンモールを進み、
まんだらけの巣窟、中野ブロードウェイに入る直前を右に曲がってすぐの所にある、
田村帽子店。
この店も、店構えはもちろん、看板、商品棚と、
30年前の記憶となんら変わる所がありません。

この店では結構帽子を買った記憶があります。
と言っても殆どが野球帽だったと思いますが。
今でも時々帽子を被りますが、
この店で見た様々な帽子の記憶があるからかもしれないと、
思うこともあります。

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東京ノスタルジア:中野

2008-05-02 03:15:56 | 東京 URBEX
このノスタルジアはもしかしたら、
凄く個人的なものかもしれません。
故郷が中野だという話は以前の記事で既にアップしましたが、
そういった個人的な感情もあってか、
中野の光景は何を見てもノスタルジアを感じます。
特に北口商店街のはずれにある一角、中野新仲見世商店街は、
当時から強烈にノスタルジアを感じるエリアだったので、
所々当時のまま残っている姿は、ノスタル感ひとしおです。



画像右に写る「うなぎ 天ぷら 長寿庵」は、
昭和24年に商店街が出来たときからあるお店。
記憶にある30年前の店構えと全くかわりません。
店の右側は天ぷらのテイクアウトコーナーで、
その奥で店主がいつも天ぷらを揚げていましたが、
それから30年、この画像を撮影した時も、
かわらずにてんぷらを揚げていました。







仲見世商店街は道の一角が小さな広場状になっていて、
その周囲に店舗がひしめいているほんの小さなエリアです。
そのうちの一軒、
「レコード店 文化堂」もまた30年前の記憶と同じです。
幌にCDと書かれていたり、市内局番が4桁になっているので、
幌は交換されているようですが、
それ以外のあまりの変わらなさに驚きます。
中野にいた頃、結局この店には一度も入りませんでした。







この画像に写る店の殆どは新しい店のようですが、
唯一右に写る白い店「maro cafe」は、
やはり30年前からあるお店です。
30年前・・・70年代中盤。
小坂明子「あなた」で白い家が脚光を浴びた時代に、
当時脚光を浴びたタレント、
水谷豊とアグネス・ラム似のご夫婦(たぶん)が開店したお店。

お店の名前をつけたマロ・ドリンクは、
それまで飲んだ事のない味で、
それ飲みたさに何度も通いましたが、
思えばあの味は、
ノンアルコールのモスコミュールだったような気がします。

2000年頃一度訪れましたが、
もうマロ・ドリンクはメニューにはありませんでした。

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東京ノスタルジア:あらかわ遊園

2008-05-01 05:40:01 | 東京 URBEX


最近ずっと下町を中心にアップして来た東京ノスタルジア。
下町ネタはまだまだ大量にありますが、そろそろ飽きて来たので、
ちょっと別の地域へ移動しようと思います。
(といってもここもまだ下町エリアかな)

都電の旧車輛が保存されているあらかわ遊園
東京都交通局のサイトページを見ると、
この車輛はそれほど古くないようですが、
それでも手書きの車輛番号、胴回りの中央にポコンとついたでかいランプ、
いなたい窓枠やスカート等、充分ノスタルジアです。
ちなみに上記交通局のページは譲渡希望の告知ページだと思いますが、
ちゃんと譲渡され、荒川公園に保存されたんだと思います。

ぽってりした路面電車、いいですね~~~!

背景に写る観覧車も、まったりしていて、いいですねぇ~~~!
たまたまですが、パンタグラフの周りに、
雷さんの太鼓の様にくっついているように見えますね。

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東京ノスタルジア:湯島

2008-04-30 03:52:19 | 東京 URBEX


昨日アップした場所のすぐ近くですが、
上野の不忍池からまっすぐに南下する不忍通りをわたるので、
住所は湯島になります。
東京の下町を歩いていると、まだまだ沢山木造長屋が残っていますが、
なかなか理想的な木造長屋に出会うことはできません。
この長屋の場合は3軒の2階建てで、
板壁、瓦屋根、1階の目隠し板、木製枠の玄関はいいのですが、
2階の窓枠がアルミサッシュだったり、ベランダが鉄枠だったり、
右端の部屋なんかはアルミ製になってしまってます。
エアコンとかも装備しているようですね。
とどめは左2階の衛星放送用アンテナでしょうか。

なかなか完璧な長屋は見つからないものです。

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東京ノスタルジア:湯島

2008-04-29 02:25:34 | 東京 URBEX


昨日アップした看板建築の建物のすぐ近くの物件。
オーセンティック・バーOnce upon a time
明治初期の煉瓦蔵を改造して営業している、
スコッチウイスキーが充実したバーだそうです。
煉瓦造りの蔵はあまり見たことがないので、珍しいと思いましたが、
明治初期の建造とは思えない、綺麗な状態です。





2階の窓枠部分も、時代を感じさせてくれます。
壁面の煉瓦が基本的にイギリス積みなので、
初期といっても例えば明治20年頃とかなのでしょうか。

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東京ノスタルジア:湯島

2008-04-28 03:16:15 | 東京 URBEX


湯島駅のほど近い場所にあった看板建築。
一昨日アップした「洋食屋くろんぼ」は銅板を貼付けた看板建築でしたが、
こちらは同潤会アパートとかと同じような壁の造りでしょうか。
ところどころ極端ではなく色を変えていたり、
頂上部に施されたちょっとした装飾等、渋めの一品です。





1階店舗は5軒。
中には既に終わっている店舗もあるようですが、
気になったのはこの店舗。
いそいでいたので店名を見落としましたが、
銅板の浮き出し彫刻のお店でしょうか。
こういった工芸の店も、西東京では滅多におめにかかれません。





打ち付けた銅の凹凸が、
深い雲の中から龍が現れてくる感じによくマッチでいています。

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東京ノスタルジア:東上野

2008-04-27 04:54:13 | 東京 URBEX


上野界隈にはこんな物件もありました。
西東京ではなかなかおめにかかれない、洋風の歯科医院。
右書き文字に「醫」の字の医院名が掲げられているのをみると、
相当古い物件だと思います。
オール木枠で細かく切ったガラス窓。
玄関の赤いランプ。
玄関の上に少し張り出す様に設置された三角屋根の装飾。などなど、
くらくらする程完璧なノスタルジアです。
道に面した木が伐採されているおかげで、
全貌をみることが出来るんですね。

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東京ノスタルジア:東上野

2008-04-26 02:00:53 | 東京 URBEX


基本的な造りの銅板の看板建築。
このblogで看板建築を取り上げるのははじめてかも知れないですね。
以前アップした映画館の大正館は、作りは看板建築ですが、
映画館なのでおそらく2階部分は住居ではないと思うので、
本来の看板建築ではないと思います。
看板建築の基本は1階が店舗、2階が住居の作りですね。

放送禁止用語を店名にしてしまったからかどうかはわかりませんが、
1階の店は既に閉店しているようです。
思えばこの店名の店は都内各地で見ます。
高円寺高架下商店街、阿佐ヶ谷ゴールド街、新宿西口、、、
(西新宿のお店はなくなってしまったかな)
自分の店の名前に使うくらいだから、
人種差別感は勿論、蔑視感もなく、
どちらかというと愛着を込めてネーミングしていると思います。
歴史がどうあれ、時として言葉は歴史とは関係ないところで、
親しみをもって使われることが沢山あると思います。

ちなみに看板建築は、
先日アップした学校公園一体型施設と同様、
関東大震災後開発された建築様式だそうです。
鉄筋コンクリート製住居に限らず、
関東大震災は様々な新しい文化を生み出したんだなぁ~
と改めて思います。

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