「癖(くせ)を取る」話の続きです。
ヴォイストレーニングでもそれを行います。
「癖の無い声」とはどんな声か。
情動がそのまま身体を鳴らし、声となるには、
その過程を邪魔するものを極力取り除かなくてはなりません。
赤ちゃんの声を思い浮かべてください。
「腹減った!」
「おむつが冷たい!嫌!」
思いがそのまま声になった、なんとも「あっぱれ」な声ですよね。
ある意味で理想の発声です。
とはいっても、大人になってしまったら、そうそうあの声はでません。
それこそ、何十年もかけて、社会と折り合いを付け、
生き延びるために使って来た声ですから、
びっしりと苔(こけ)がつき、もはや、もとの声がどんなだったかなんて、
本人はもちろん誰にもわかりません。
ですが、色々なトレーニングを重ねて、
何層にもなった癖(くせ)を一枚一枚、薄皮を剥がすように
取り去っていくのです。

もちろんこの「癖取り」作業を進めていくのは、
単にトレーニングの力だけではありません。
音楽そのものも、その人の苔を剥がし、裸にするのに大きな助けとなります。
というより、音楽がそうすることを要求するといってもよいかもしれません。
そうして訓練を重ねるとどうなるか。
ほんとに赤ん坊の声は出るのか。
出ませんね。もう既に構造が違います。
そのかわり、どうしても変わらないところの、
ある歴史を積み上げた大人であるその人の、ぎりぎりの声が出てくる。
そこまで時間と労力をかけて「癖の無い」声を探していく。
それではじめて、本当にその人の声、誰のものでもない
その人オリジナルな声と言えるものがでてくる。
これは素敵です。「きれいな声」などという物差しを超える、
それこそ、脳みそをわし掴みにされる本当に魅力ある声。
最も単純なところへ到達するための、実に長い道のりですが、
どんどん自由を獲得していく過程でもあります。
以上、声についてでしたが、この「癖(くせ)を手放す」という技術は
他にもさまざまな応用ができそうです。
例えば神経の働きにも「癖」があるようです。例えば「痛み」。
つづきはまたしても次回。
ヴォイストレーニングでもそれを行います。
「癖の無い声」とはどんな声か。
情動がそのまま身体を鳴らし、声となるには、
その過程を邪魔するものを極力取り除かなくてはなりません。
赤ちゃんの声を思い浮かべてください。
「腹減った!」
「おむつが冷たい!嫌!」
思いがそのまま声になった、なんとも「あっぱれ」な声ですよね。
ある意味で理想の発声です。
とはいっても、大人になってしまったら、そうそうあの声はでません。
それこそ、何十年もかけて、社会と折り合いを付け、
生き延びるために使って来た声ですから、
びっしりと苔(こけ)がつき、もはや、もとの声がどんなだったかなんて、
本人はもちろん誰にもわかりません。
ですが、色々なトレーニングを重ねて、
何層にもなった癖(くせ)を一枚一枚、薄皮を剥がすように
取り去っていくのです。
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もちろんこの「癖取り」作業を進めていくのは、
単にトレーニングの力だけではありません。
音楽そのものも、その人の苔を剥がし、裸にするのに大きな助けとなります。
というより、音楽がそうすることを要求するといってもよいかもしれません。
そうして訓練を重ねるとどうなるか。
ほんとに赤ん坊の声は出るのか。
出ませんね。もう既に構造が違います。
そのかわり、どうしても変わらないところの、
ある歴史を積み上げた大人であるその人の、ぎりぎりの声が出てくる。
そこまで時間と労力をかけて「癖の無い」声を探していく。
それではじめて、本当にその人の声、誰のものでもない
その人オリジナルな声と言えるものがでてくる。
これは素敵です。「きれいな声」などという物差しを超える、
それこそ、脳みそをわし掴みにされる本当に魅力ある声。
最も単純なところへ到達するための、実に長い道のりですが、
どんどん自由を獲得していく過程でもあります。
以上、声についてでしたが、この「癖(くせ)を手放す」という技術は
他にもさまざまな応用ができそうです。
例えば神経の働きにも「癖」があるようです。例えば「痛み」。
つづきはまたしても次回。