もともとが結構保守的な性格なのです、多分。
にしてはムチャクチャな経歴ですが、それはきっと、
保守的だからこそあえて一歩踏み外して(「踏み出して」ではない
ところが微妙ですが)いこうという姿勢の現れだと
解釈していただきたい。言い訳めいているか。
初めてのこと、慣れないことへの抵抗がとても大きいのです、
子供の頃から。
几帳面と言われることはあっても、
のびのびしていると言われたことは無い。
基本的に小さくまとまるタイプ。
つまらないなあ、と自分でも思ってました。
だから、そんな私は努力が必要なのです。
「予想外」に出会うために。
「予想外」こそが脳を刺激し、人を成長させるからね。
《緑香庵のコバンノキ。こちらは親株。こんなに大きくなりました》
ただこの「予想外」、私のようなタイプでなくとも、
一般的な大人にとってもなかなかの課題です。
長く生きていればたいていのことは予想がつくようになってしまう。
それが経験というもの。だから大人には意志と視点が必要なのです。
意志すなわち「関わる努力」、視点すなわち「真実は細部に宿る」。
そんなわけで、努力してきましたよ。
中学のクラス会に行ってきました。33年ぶりかな?
いままでこのてのお誘いは全て辞退してきました。
今の自分をいちいち説明するのが何となく面倒くさいし、
大人に成ったかつての子供達同士の、
予想されるお決まりの社交的なやりとりが何ともうっとうしいし。
しかーし、あえてそこへ飛び込んでみました。
結果から申せば、非常に楽しかった。行って良かった。
いやあ、ある意味おおかた予想通りではあったのです。
よく一瞬にしてその時代に帰る、子供同士に戻って
垣根無くおしゃべりができるとかいうじゃないですか。
でも私は当時既に冷めた気分を持ってクラスにいたので、
まあ思春期でしたし、濃密に友達関係の中に浸って
いたわけでもなかったし。
何とも落ち着かない関係性は、いまさら急に「ああ懐かしい」と
変わるようなことはありませんでした。
じゃ何が良かったかというと、
卒業後、一人一人がそれぞれに生きていたのだなあということが
頭の中でイメージしていたよりも
もっとはっきり感じられたからでした。
《上の親株から挿し木で根付いた子株》
頭の中では中学生時代の思い出なんて、それこそ十把一絡げ、
友達もひとかたまりのイメージでしかなかったし、
実際当時も友達のことをそんな風にぼんやりとしか捉えて
いなかったのかもしれません。
50歳も間近になって、本当に一人一人が別々の生活を持ち、
それぞれに生きてきたのだという実にあたりまえのことを実感して、
心から寿ぐ気持ちになったのです。これは予想外。
おおむね予想の範囲内にありながら、
やっぱり実際に関わらなければ感じ得なかった、
小さな小さな予想外。
予想外は細部に宿っているから、やっぱり飛び込んでみないと
会えないんだね。
多分世界は脳が予想するより広いらしい。
ナイスだぜ。
(今回は文体が変ですね。これも予想外。)
にしてはムチャクチャな経歴ですが、それはきっと、
保守的だからこそあえて一歩踏み外して(「踏み出して」ではない
ところが微妙ですが)いこうという姿勢の現れだと
解釈していただきたい。言い訳めいているか。
初めてのこと、慣れないことへの抵抗がとても大きいのです、
子供の頃から。
几帳面と言われることはあっても、
のびのびしていると言われたことは無い。
基本的に小さくまとまるタイプ。
つまらないなあ、と自分でも思ってました。
だから、そんな私は努力が必要なのです。
「予想外」に出会うために。
「予想外」こそが脳を刺激し、人を成長させるからね。
《緑香庵のコバンノキ。こちらは親株。こんなに大きくなりました》
ただこの「予想外」、私のようなタイプでなくとも、
一般的な大人にとってもなかなかの課題です。
長く生きていればたいていのことは予想がつくようになってしまう。
それが経験というもの。だから大人には意志と視点が必要なのです。
意志すなわち「関わる努力」、視点すなわち「真実は細部に宿る」。
そんなわけで、努力してきましたよ。
中学のクラス会に行ってきました。33年ぶりかな?
いままでこのてのお誘いは全て辞退してきました。
今の自分をいちいち説明するのが何となく面倒くさいし、
大人に成ったかつての子供達同士の、
予想されるお決まりの社交的なやりとりが何ともうっとうしいし。
しかーし、あえてそこへ飛び込んでみました。
結果から申せば、非常に楽しかった。行って良かった。
いやあ、ある意味おおかた予想通りではあったのです。
よく一瞬にしてその時代に帰る、子供同士に戻って
垣根無くおしゃべりができるとかいうじゃないですか。
でも私は当時既に冷めた気分を持ってクラスにいたので、
まあ思春期でしたし、濃密に友達関係の中に浸って
いたわけでもなかったし。
何とも落ち着かない関係性は、いまさら急に「ああ懐かしい」と
変わるようなことはありませんでした。
じゃ何が良かったかというと、
卒業後、一人一人がそれぞれに生きていたのだなあということが
頭の中でイメージしていたよりも
もっとはっきり感じられたからでした。
《上の親株から挿し木で根付いた子株》
頭の中では中学生時代の思い出なんて、それこそ十把一絡げ、
友達もひとかたまりのイメージでしかなかったし、
実際当時も友達のことをそんな風にぼんやりとしか捉えて
いなかったのかもしれません。
50歳も間近になって、本当に一人一人が別々の生活を持ち、
それぞれに生きてきたのだという実にあたりまえのことを実感して、
心から寿ぐ気持ちになったのです。これは予想外。
おおむね予想の範囲内にありながら、
やっぱり実際に関わらなければ感じ得なかった、
小さな小さな予想外。
予想外は細部に宿っているから、やっぱり飛び込んでみないと
会えないんだね。
多分世界は脳が予想するより広いらしい。
ナイスだぜ。
(今回は文体が変ですね。これも予想外。)