春が来ましたね。
松陰さんの桜も満開。
緑香庵のマンションの大規模修繕工事も佳境です。
室内に取り込んだ鉢もついに全て芽を出しました。
最後に芽吹いたのはライラックでした。一時はダメかと思った〜。
ついでに切り落として水に挿した八重桜の枝から、葉っぱだけではなく花芽まで出現。
咲く気なの?
植物ってどこまですごいんだ。
毎年桜が咲くたびに、今年88歳になる母と「去年の桜はどうだったろうか、父が他界した年の花見はこうだったね。」などと話します。
瞬間瞬間の会話の応酬は見事に返してくる母ですが、数分後にはその内容も会話したこと自体も忘れている。
(こういった症状にも波があるんですけどね)
直近の短期記憶ほど消えやすい典型的なもの忘れです。
母を観察していると、時間というのは記憶でできているのだと気付かされます。
過去があり現在があり未来があるという「時間の概念」はしっかりあるにもかかわらず、
冷蔵庫の中には同じ豆腐が何週間でも居座り続ける不思議。
古い豆腐は危険という知識はある。
豆腐を買ったという記憶はない。
しかし冷蔵庫の扉を開けるたびにそこには豆腐がある。
普通であれば、これはいつ買ったものだろうか、記憶がないならないなりに「傷んでないか?」という疑念が湧きそうなものだが、いつもその瞬間が新しい唯一の瞬間で、前回扉を開けた時の記憶がないから、前回から今回まで幾らかの時間が経過したという「感覚」が生じない。
母にとっては積み重なる記憶がないから、時間は一定方向に流れていくものではないようです。
記憶がなければ時間は生まれない。
そんな母にとってはドラマの筋を追うことも困難。でも登場人物の感情に同調することは得意なので、なぜ泣いているかわからなくても一緒に泣きます。様々な生き残りスキルが研ぎ澄まされていく中で、大切なのは意味がわかることではなく目の前の誰かの心に共感することと教えてくれます。
いや面白い。
週に数日ですが年寄りと一緒に暮らすのは、人の本質的なところを見せてくれるという意味で、本当に興味がつきません。