■ 浮気は「文化」じゃなく「自然」である
「浮気は文化である」とのたまわった男性俳優がいましたが、
男性から見た浮気は文化ではなく「自然」です。
自らの遺伝子をなるべくたくさんばらまきたいのが
オスというものですから。
「浮気は非である」と男性が言ってはじめて、それこそ
自然でなく文化であるといえましょう。
反対に女性が「浮気は是である」といえばそれは文化です。
女性にとっては「浮気は非である」が自然。
数少ない卵を大事に、優秀な子孫として育てたい。
オスは精子の提供者であるだけでなく、
生まれた子供を庇護する存在でなければならない。
自らの遺伝子をもった子供を、ともに守り育てて欲しいというのが
メスの思いです。
しかしそう言いながら、たとえ夫が子育てに協力的だったとしても、
しまいには夫よりも子供に愛情が向けられてしまうのも、これまた自然。
なぜなら夫と違って子供は遺伝子がつながっているから。
男女の立場はどこまでいっても平行線、それが正しい。
■ 違うってことが大事
しかしながら、生物的に正しいことのみを選択していたのでは、
人類の今日の繁栄はなかったはず(繁栄の定義は別として)。
人は理性によって文化を生み、社会を形成して生き延びてきたのです。
人という生き物は常に「動物としてのありたい方向」と、
「文化的社会的生き物としてのありたい方向」の、
二つの異なるベクトルのはざまにあります。
簡単にいえば、動物の脳と理性の脳のせめぎあい。
これが日々の困り事のもとですが、
一方でこれこそが人類が進化し生き延びてきたポイント。
自然な男女の対立。
また、自然であることと文化的であることの対立。
世界にはいろいろな対立軸があります。
二つ以上の相反するものの間で右往左往してこそ
バランスが保たれるのです。
これは、社会的な事柄でも、生物的な事柄でも言えることです。
ひとつのことに一致団結、一丸となるとろくなことはないのは
歴史も証明しています。
■ 「お父さん、臭ーい!」
面白い実験結果があります。
見た目ではなく匂いで異性を選ぶと、
なぜか遺伝的に遠い人を選んでしまうのです。
遺伝的に遠ければ遠いほど、その人の体臭を心地よく感じてしまうのだとか。
遺伝的に近い人(例えば親や兄弟など)の匂いは不快に感じるそうです。
思春期の娘の「お父さん、臭ーい!」は、健全な反応だということですね。
これは近親相姦をさけるための巧妙な仕掛けであるという人もいます。
自分とは違った要素をもった人と結ばれたほうが、
より良い、丈夫な子孫を残すことができるからということでしょう。
多くの生き物が雄雌の違いをもっていることとも関係がありそうです。
「異なっている」ことはとても大事なことのようです。
異なるものどうしのはざまで生まれる多様性が進化のもと。
人類はあえてこの「異なるものの混在」という面倒くさい状況を
選び取ることで、どうにか生き延びてきたのでしょう。
これからは自分と非常に違う人に出会えたら
「えー、まいったな」ではなく「ラッキー!」と思わなくちゃね。
(なんて思えるのは今、私がB期だからかな?)
「浮気は文化である」とのたまわった男性俳優がいましたが、
男性から見た浮気は文化ではなく「自然」です。
自らの遺伝子をなるべくたくさんばらまきたいのが
オスというものですから。
「浮気は非である」と男性が言ってはじめて、それこそ
自然でなく文化であるといえましょう。
反対に女性が「浮気は是である」といえばそれは文化です。
女性にとっては「浮気は非である」が自然。
数少ない卵を大事に、優秀な子孫として育てたい。
オスは精子の提供者であるだけでなく、
生まれた子供を庇護する存在でなければならない。
自らの遺伝子をもった子供を、ともに守り育てて欲しいというのが
メスの思いです。
しかしそう言いながら、たとえ夫が子育てに協力的だったとしても、
しまいには夫よりも子供に愛情が向けられてしまうのも、これまた自然。
なぜなら夫と違って子供は遺伝子がつながっているから。
男女の立場はどこまでいっても平行線、それが正しい。
■ 違うってことが大事
しかしながら、生物的に正しいことのみを選択していたのでは、
人類の今日の繁栄はなかったはず(繁栄の定義は別として)。
人は理性によって文化を生み、社会を形成して生き延びてきたのです。
人という生き物は常に「動物としてのありたい方向」と、
「文化的社会的生き物としてのありたい方向」の、
二つの異なるベクトルのはざまにあります。
簡単にいえば、動物の脳と理性の脳のせめぎあい。
これが日々の困り事のもとですが、
一方でこれこそが人類が進化し生き延びてきたポイント。
自然な男女の対立。
また、自然であることと文化的であることの対立。
世界にはいろいろな対立軸があります。
二つ以上の相反するものの間で右往左往してこそ
バランスが保たれるのです。
これは、社会的な事柄でも、生物的な事柄でも言えることです。
ひとつのことに一致団結、一丸となるとろくなことはないのは
歴史も証明しています。
■ 「お父さん、臭ーい!」
面白い実験結果があります。
見た目ではなく匂いで異性を選ぶと、
なぜか遺伝的に遠い人を選んでしまうのです。
遺伝的に遠ければ遠いほど、その人の体臭を心地よく感じてしまうのだとか。
遺伝的に近い人(例えば親や兄弟など)の匂いは不快に感じるそうです。
思春期の娘の「お父さん、臭ーい!」は、健全な反応だということですね。
これは近親相姦をさけるための巧妙な仕掛けであるという人もいます。
自分とは違った要素をもった人と結ばれたほうが、
より良い、丈夫な子孫を残すことができるからということでしょう。
多くの生き物が雄雌の違いをもっていることとも関係がありそうです。
「異なっている」ことはとても大事なことのようです。
異なるものどうしのはざまで生まれる多様性が進化のもと。
人類はあえてこの「異なるものの混在」という面倒くさい状況を
選び取ることで、どうにか生き延びてきたのでしょう。
これからは自分と非常に違う人に出会えたら
「えー、まいったな」ではなく「ラッキー!」と思わなくちゃね。
(なんて思えるのは今、私がB期だからかな?)