永平寺の門前 1244年、道元禅師によって開かれた曹洞宗の大本山。
今年の2月に金沢に行く予定でしたが、このときは羽田から飛行機が飛び立ったが、小松空港方面は雪模様で松本上空からUターンをして引換し、再挑戦になりました。
今回の旅行はフリープランで往復の飛行機代、2泊のホテル代(2回の朝食付き)の気ままな旅行になりました。しかし、その分、行く先、食事は全て自分持ちになるので、割高になるし、お寺とか兼六園とか、観光施設の入園料などの支払いは馬鹿にならない。それは覚悟の上で旅の醍醐味を味わうことができた。
ところで、永平寺はお寺の入館料を支払い、回廊を巡りながら、寺の施設を見ることが出来る。段差が有る回廊は素晴らしいが鐘楼とか、山門など期待していた建物にはまじかに近で見えなく寂しい気持ちにな。
特にNHKの大晦日の恒例の鐘楼の鐘つきは側で見たかった。また山門も全体像が見えなく残念です。
寺内の階段の回廊、寒い時期の回廊を修行僧を思い浮かべることができたし、実際にお坊さんの所作を修行をしている所も垣間見ることができたました。700年以上前から修行僧の歴史に触れた思いです。
出来たら、側で見たかった。
山門から見た中雀門
冬支度の菰を設えていた。
武家屋敷の1軒がこの野村家です。ホテルがある香林坊から歩いて5分も掛かりません。今回のホテルは地の利が良く助かります。
早い時間に行きましたので、土塀と石畳の静かな佇まいで江戸時代の加賀藩の面影をたどれました。
ガイドブックによると、加賀藩の文化に付いて触れたところに、対江戸幕府に従順な雰囲気を見せる為、 芸術 工芸 食文化等を充実させ、戦意はないと思わせた部分が有るようです。加賀文化の華やかな時代背景がこんなところに有るのでしょう。
しかし、忍者寺みたいな隠れた戦意もあったよです。
ところで、野村の家系は北前船で財を残したようです。北前船はただの運送だけではなく、商船で、莫大な財を築いたそうです。
12日の昼前に行きました。団体の中国人が多くとても目障りで静かにして欲しかった。
雪吊リと武家屋敷の土塀の菰は金沢の風物詩です。
小雨混じりで歩いているとこの本丸跡に着きました。紅葉が真っ盛りで思わず声が出ました。赤い落葉の上を気持ち良く歩きました。
伊藤ちゃんから教わった「蔵」は少し敷居が高かった。
家に帰って今これを書いていますが、いま少し丁寧にガイドブックを読んでおけば良かった。見落としていました。美味しそうなお店がありました。
妙立寺が本当の寺名です。
加賀藩の文化の側面とは対照的な考えの建物が忍者寺です。
金沢城を守る要塞でした。城を守る兵舎の代わりに寺町を作りその中核が妙立寺でした。
そして、敵を欺くためにいろいろな絡繰りが考えられたてらです。ここのお坊さんは藩主の相談役でアドバイザーとして、もてなしたそうです。
花街の風情が今も残っています。
近江町市場
2階の「一の蔵」の鰤は鮮度が良く美味かった。