今年のお盆は仕事でした。
さすがに2年も育児休暇取っといて,みんながゆっくりお休み取れるときに取るわけにも・・・ というか子どもたちの用事で他の日に結構お休みを取らなければならないので。
なので,お盆明けの週末に実家へ久々にゆっくりお泊りに行きました。
平日は仕事,休日は子どものことと毎日が忙しくて,様子が悪くなってきてる母のことは頭の隅で気になりながらもなかなか行けないまま・・・
たまにはゆっくり行って話し相手にでもと。
母の様子は痴呆が進んでいるわけでもなく,相変わらずマイペースの様子。
数年前,弟家族とは別居しているので,年寄り(?!)二人の生活。 と言っても近くに住む弟の子どもたちが出たり入ったりで父は寂しくは無い様子。 だけど,家事をまったくと言っていいほどしなくなった母の変わりに食事の準備と孫の子守,そして自営の仕事・・・ と父は文句も言わずこなしています。
もともと父は料理が上手でした。わたしが子どもの頃,便秘気味だったわたしのために煮込み野菜の料理をよくしてくれました。
大きくなってからは,わたしが下ごしらえして,父が調理と味付け・・・ かたずけはわたし。 といま思えばいい連携プレイでした。
あの頃の母といえば,どちらかと言えば洗濯,掃除ときれい好きの母でした。
わたしが小さい頃なんて,家族みんなの服を自分が風呂に入ったときに,たらいで全て手洗い。 『服が痛むから』 と丁寧にすすぎまでしたら,最後に脱水機にかけるだけでした。
きっと,今,わたしが大量の洗濯物に追われているように・・・
なのに,最近は・・・ 仕事で汗まみれになった父の服もきちんと洗剤を入れて洗ってるのかわからないくらい臭いがとれてなかったり,
タオルはごわごわだったり,カビが所々あったり・・・
炊飯器の中も2~3日保温にしてるのかと思うくらいの臭いがしたり・・・
自分のうちを思うと若い世代の人がいないってこんなんだろうな。 一緒に住んでる旦那の親がねたましくもなりました。
わたしが早くに結婚して家を出たばっかりに・・・ 母はきっとわたしともっと一緒にいたかっただろうし・・・
子どものころ母とよく出掛けた。
幼少のときは,まだ車の免許を持ってない母はわらびやつくしを取りに野山に散歩へ連れて行ってくれた。
小学校のときは女の子は『お誕生日会』が定番でクラスのお友だちを家に招待してみんなで食事をし,遊んで・・・ ということも人並みにしてくれた。
弟にはひどかった母。 わたしには何を期待していたのか,優しかったが朝はよく喧嘩した。
車の免許をとってからは,買い物によく行った。
小学校高学年のときは,お宮の行事で巫女を踊るため,車で40分くらいのお宮に習いに行ったりするのも送迎してくれてたな~。
母のことはあまりいい思い出は無い気がしてたけれど,こうしてみると母親らしいことしてくれてた・・・
いまは足腰も悪くなり,歩くのがきつそうで,一緒に出掛けても負担になる。 話をしても何回も同じことを言うし・・・。
そんな母になってしまったとわかっていながらまたかまってやれない日々が続く・・・