8月29日,午後6時30分ごろ・・・ 母は息をひき取りました。
連絡を受けて半日・・・ あっという間の出来事でした。
ちょうどお昼12:00にだんなから携帯が入りました。 『お前知っちょるか? お母さん,海に落ちて救急車で運ばれたって~や。』
気が動揺し,父にすぐ確認の連絡を。 父は母が落ちたという現場へすでに行っており,今から救急車で病院へ行くというところだった。
仕事中だったわたしは,出張していた上司にすぐに連絡をとり,急遽お休みをいただき,搬送先の病院へ駆け込みました。
救急車より先に着き,受付の職員へ聞いて,救急室の前で待ちました。
なかなか来ないので,外へ出て救急車を待つことに。ちょうど救急車が到着。
父と弟の嫁さんが付き添って母が運ばれてきました。
看護婦をしていた弟の嫁さんが母の様態を詳しく教えてくれました。
病院の職員の方の支持で救急室に入って母の姿を見たときには,瞳孔が開き,母は意識がありませんでした。
かなりの水を飲んでおり,『もう脳は機能しておりません。脳死の状態です。』と医師から告げられ・・・
『海に落ちた』という知らせのときから ”もうだめだ・・・” と思っていましたが,あまりの突然に驚愕し,心残りのことがたくさんあって・・・
そばにいてやれなかったこと,なかなかかまってやれなかったこと・・・ いろんな後悔が頭の中をめぐり・・・ 母に『ごめんね。』と言いたい気持ちでいっぱいでした。
心臓を動くようにする強い薬を打って,しばらく心臓がうごいていましたが,時間が経つにつれ,血圧も下がってきて,搬送されて3時間くらい経った頃には血圧も測れなくなり・・・
時間がと共に血圧が下がっていく・・・ 18時を過ぎた頃 血圧は上が20代になったり,脈も乱れはじめ・・・
母の目から2粒の涙がこぼれてきました。 そう,14~5年前,母の父親,じいちゃんが亡くなるときも目から涙が出てきたのを見ました。
子どもながらに『悲しんでいる』と思っていましたが,死ぬ前に涙腺も緩んできての現象だったのです。
人口呼吸でがんばっていた母は息をひき取りました。 最後に何も言わずに・・・
看護婦さんと弟の嫁さんと母の体をきれいに洗いました。
『わたしはこの母の体から産まれてきたんだ。 ここまで大人に育ててくれてありがとう。』 そう思いながら・・・
わたしが子どもの頃の母のことを思い出していました。
おしっこをささげてくれてたこと。
パンツをはかせてくれてたこと。
布団に一緒に寝てたこと。母がわたしを温いと言って抱いて寝てたこと。
あの頃の母は若くて元気だった。
母は車の免許を取ったのが遅く,運転は達者ではなかった。 わたしが小さい頃も操作ミスで港の岸壁に落ちたことがある。
そのときは,干潮時で,落ちたところに舟があったのとまだ若いのもあって,海に沈む前に母は自力で脱出して助かった。
今回は悪条件が重なって・・・ 年で体も弱って,落ちたのは満潮時。
気づいたころには,車は沈み始め・・・
はじめに見つけたのは,弟の子どもだった。 三男が 『誰か”助けて” って聞こえる。』って外に出ると母の車が海に・・・
弟の子に聞いたら,『ばあちゃんが”助けて”と言って車の中にいるのを見た。』 と・・・ まだ小学生の子どもたちには大人に知らせるのが精一杯。 とおりかかった大人へ助けを求め,近くの郵便局へ。そこの職員と近くのうちのおじさんが海に飛び込んだけれど,素人ではどうもならず・・・ そうこうしているうちに覆面の警察が来て,もぐって母を助け出したとのこと。
車の戸を開けると母は車内で浮いていたのか自然に出てきたそうだ。もう意識がなくなった母を警察の方が抱えてあげて,心臓マッサージをしたが・・・
沈んでまもなく助け出されたように見えたけれど,水難は5分以上水につかっって,脳に酸素がいかなくなると危険な状態だそうだ。
そのときの状況を後から聞いて・・・ 一瞬の出来事だけど 母は怖かっただろうな~。 何もこんな死に方しなくても・・・
その晩,母が眠る自治会館和室で母と父と,娘次女と一晩過ごしました。
心の中で 母がひょっとしたら話ししに出てきてくれるか~ なんて思いながら。
いろいろ 考えてしんどくて 眠れないまま朝がきました。