アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

私にとって神か?宇宙人だったか?「まどみちお」氏の逝去

2014年08月25日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
去る2月末,詩人で童話作家の「まど・みちお」さんが亡くなったのを知った。104歳で老衰だったそうだ。
コピペで申し訳ないが「やぎさんゆうびん」「ぞうさん」「ふしぎなポケット」「一ねんせいになったら」は全て彼の作だという。
それだけでも不可思議というか自由人に思える。
これらを,子等のために幾度歌ったかわからない。

合唱人としては,遊佐で歌っていたときに混声の曲集「うたよ!」(木下牧子曲)で出会った。
曲集全体としては,ややテクニカルで,心に響くものだったか忘れたが,ともかく「おんがく」の詩は圧倒的に発想が豊かで自由なものだった。
音楽のことを「神様だったら見えるのかしら」と言う。

私など,そんな着眼には一生たどりつかないだろう。
なぜそれを思いつくのだろう。思いついてどうなる世界観なのだろう。
歌としては,無伴奏で,ハモることはもちろん,声質の透明性なども問われると思う。
パート・バランスとユニゾン,他パートを聴き同調する耳と技術など,聴くほどに簡単ではない。
かといって,作りすぎもいけない。

木下牧子「おんがく」(松本深志高校・飯田高校)

ネットに上がっているものでは(プロのを含め)これが好きかな。
(続きがあるかも..)

本日の収穫、、か!?

2014年08月21日 | 日常生活
本日の「収穫」だけなら良いのだけれど,2個ほど「落果」のものもあり,虫のせいで穴だらけのあり,見かけよりは散々なだ。

って,今日は練習日,女性「軍」に苦情を言われて帰宅,真っ暗な中,LED照らして虫除けスプレーして更にすりこんで,収穫したのであった。

リンゴは「管理人」ががっかりしていたけれども,これ位の大きさの落果だと,2個くらい続けば私の担当で「リンゴ煮」になるのかも,と恐れている(笑)

んー年ぶりで,キャッチボールする、、相手をしてもらう

2014年08月18日 | サッカー・野球などスポーツ系
スキーも15年はしていないかな?という感じだが,キャッチボールも..いつ以来??

日曜日,なかなか盆休みも予定どおりに取れなかった同居の息子がボソッと「体も動かせていない」と言ったのだが,なぜか私は「キャッチボールやろう!」と発する。

息子がいつも「ランニングしてくる」とか「キャッチボールしてくる」とか言っているので,私も大いに暇なので言ってみた。

場所は家のすぐ裏の土手,両羽橋という,最上川にかかる700m超えの橋のすぐ近く,新小牧川との合流部に水門があり,土手道はその辺りで広がっていて,思い切り投げられる。

が...私は卓球もだけど,対面してするスポーツは好きだけれど,急にやろうとしても「手首」が利かない。
まあ乱投続きだったが,息子が野球スポーツ少年だったので土手から落ちることなく済んだ(雑草のおかげでもある(苦笑))

投げた数は大したこと無いのに「ぜーぜー」で,歩いて1,2分を帰宅して即シャワー。
「4球くらい,いい玉が来た」と「おほめ」のことば。
いやもっと!と言いたいが,事実なので言い返せない。

でもね,私の使ったファーストミットは,皮が硬くて大変だったぜよ(投げる話からすり替えてる)
てことで,さっき「お決まり」の,ミットぐるぐる巻きをして,保管することとした。

葉っぱが、葉っぱが、、、緑のカーテンの話

2014年08月15日 | 日常生活
ということで,2Fバルコニーの「緑のカーテン」の葉っぱ。
最初のタイトルのは,たぶんヘチマ。
青々として大きくなる。

こちらはユウガオ。
旺盛でな上に大きい。

ここまでは,葉も大きく摘芯(花や実に栄養が行かぬよう,花芽を摘む)しやすく管理も簡単だ。

けれど,ゴーヤは葉が薄く形もモミジみたい。風にゆらゆらして見かけはまったく違う。
私にとっての問題は「緑のカーテン」なので,葉が大きくドーン,としている方がありがたい。
ゴーヤは摘芯を細かく,まめに行わなければいけないので,手数がかかるのだな,と思った。

3種類とも,キュウリと同じ種族なので「多少の雨が降っても水は遣れ!」というものなので,緑のカーテンをやる方々は,真面目にがんばってください(もう終盤ですが)

苗も購入したが,ゴーヤは某電力会社事務局からのもらい物,ヘチマは某ダイソーの2袋105(108?)円の物(余った(笑))
ともかくポットでも鉢でもプランターでも,日当たりの良い場所のはぐんぐん育つし,逆に少しでも日当たりが悪ければ発芽が遅い~育ちが悪い~真夏に緑のカーテンが間に合わない~日差しで家にいられないくらい厚い~エアコンつけて金ばらまく(電力足りる?)~体調も悪くなる,と悪いことづくめ。

来年は,ヘチマかなぁ!?旺盛で管理が楽,某ダイソーの種で十分だったし..

と偉そうに書きましたが,きっと忘れた時のための「覚え書き」にしているだけかも知れません(苦笑)

今日も収穫!はゴーヤがメイン。どうやって食えっちゅうんじゃい!

2014年08月15日 | 日常生活
六月末から、確実な水遣りと、緑のカーテンのため摘芯を続け葉を伸ばして実が生らぬようにしてきた(丈は6mの2Fの屋根を超えかけてる)
けれどここ二、三日、ドドーっと、実の生ったのを見つけて収穫した(葉がボーボーで隠れている)
てことで、野菜室はゴーヤで一杯。
お盆で親戚来るので、配りまくることとした。

夏風邪の皆さん(誰?)夏野菜食べてお大事に、、

追悼,昭和60年(1985年)8月12日より39年..そして鶴岡の指揮者K氏の音楽は動く,動く

2014年08月12日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
アムール河の波
Амурские волны
"The Amur waves"


アムール河の波(合唱) "Амурские волны" (The Amur waves)



14th Joint concert...1983/6/19

私も所属した地元合唱団と隣市を代表する合唱団とで長らく続けていたジョイントコンサート。
・S58年(1983年)6月19日(土日に両市で演奏したと記憶)
・あちらの指揮者は当時,まだ新進気鋭だったK氏,合同ステージでこの曲を演奏,私も歌った。
・その団は過去に離合集散があり,パート・バランスも悪かったが,やがて(現在の)全国区になると想像させる音楽性を感じさせられた。
・仙台転勤時以降,長らく指導を得た,後に3度全国制覇するグリーンウッドハーモニーの今井邦男先生(現・全国合唱連盟副理事長)も「K氏の指揮はすごい」と早くから評価しておられた。
・真に合唱を動かす指揮,特に"1:23"のようなロシアン・ワルツを体感させてくれるような音作りが,そこにはあった。

・さて,癖の無いソリストのO氏は,当時,大卒4年目の25,26歳位で,声どおりニュートラルな性格の前途有為な青年だった。個人的にも同年代で団の若手でダブル・カルテットを組んだり,パーティーに行ったりと,仲間として付き合いをさせていただいていた。
・しかし,たかだか2年後の昭和60年(1985年)8月12日月曜日18時56分に発生,500余人もの死者を出し,坂本九氏らが無くなった日航ジャンボ機墜落事件当日にニュースを知ったのと前後して「O氏が海水浴場で,溺れかけた甥子さんらを救おうとして亡くなった」との訃報を受け,放心した。
・私は彼の顔を見るに辛かったが(思い残すことは多々あったろうけれど)傷つきつつも満足げな表情を見て,棺に「あの演奏は素晴らしかった」と記した楽譜を納めさせていただいた。故に,この楽譜の原本は私の許には無い。

・演奏としては指揮者の求めに対して「外声」中心に音楽性がスムーズでない。
・ソロ明けで展開部となる男声"ユニゾン"(2:17)の残念さ(私もその一人)が何とも言えない。
・ソプラノ(2:51から)のグリッサンドの利かせ過ぎには違和感を覚える。

でもやっぱり,K氏は,合唱表現者として,約30年後に全国金賞を得る器だったのだな,と思う。

屋根より高い♪緑のカーテン

2014年08月10日 | 日常生活
台風前の雲間に,緑のカーテンをちょっとチェック(風あるし,雨降るのですぐ終了)
いつになったらここまで伸びるやら?などと一週間前の心配は吹っ飛んだ。
それどころか,地上・約6mの屋根も越えて「だらーん」状態だ(笑)
ま,一両日は台風の関係で手出しできまい。
(ちなみに昨年は,写真の屋根角の上のツルに,大ヘチマが二本も生り,四苦八苦したのだった)


おかげさまで「リモコンサイズ?」なゴーヤが2本採れた。
確か「白ゴーヤ」と書いていた苗のものだと思う(色薄いし)


ついでの収穫物も採れた。
ナヅナにナス,あとはミニトマトの黄色と赤(一応)
この時期,夏野菜はもちろん,葉物が採れるのはありがたいのだ。
(カレーにもナス入れてるし(笑))

台風が来る前に...

2014年08月10日 | 日常生活
月後れの盂蘭盆ギリキリに,生家近くにある墓を掃除してきた。
台風と前線の影響で,どんより,というかたまに小降り。
「くっきりしない」鳥海山が見える(けれど姿は,この辺りからのものが好きだ)
墓地全体に接し,集落との間を遮るように「日本海沿岸東北道」の工事が進捗している。
つまり,私が育った家の目の前から酒田市内までの眺望というか田園風景は,完全にぶっ壊し,ということだ。
幼き日,二階から屋根に上がって観た酒田の花火大会とかも,そろそろ過去の話になろうとしているわけである。
さらに,土手をぶちきり,日向川(にっこうがわ)も越えるのだから,野ニラや虫をとり,水浴びや石で水切りした光景なども,非常に人工的な構造物だらけの殺伐としたものとなるのだろう。

8月10日(日)は、希望ホール(大ホール)で酒田光陵高校音楽部管弦楽班の第3回定期演奏会

2014年08月09日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
タイトルどおり,酒田光陵高校音楽部管弦楽班の第3回定期演奏会が8月10日(日)17時より酒田市民会館・希望ホール(大ホール)で開催の予定だ。
希望ホールの響きの良い,しかも大ホールで聴ける「300円の演奏」であり,聴くべき部分のある演奏会なので,ぜひお運びいただきたい。

この管弦楽班は,統合前の旧・酒田C高校(嫁の母校だ(笑))の部活を母体としてラージ・音楽部の班として再編成,以前は女子高としての活動だったが共学となり(写真で見えるかな?)男子も4人はいるみたい。

ここ,大昔はノコギリのようにギコギコしているものだったが,今は...
優雅な(というか「おっとりと生真面目な」との感じか?)室内楽,という雰囲気を醸し出してくれる。

たぶん前にも書いたが,ここの指揮者は高校の同級生で指揮者同士の間柄。
彼の昔から変わらぬ性格と音楽が具現化されている。
簡単に言うとデュナーミク的に豊かで,アゴーギク的には古典的であって選曲の時代によってはやや足りないか(動きが少ない)という印象。

それでも前回,我々も10月に利用する「酒田キリスト教会・ニューチャペル」で室内楽コンサートを聴いたときも感じたが「弓で弾く技術はこれからだが,しっかりと最後の和音を弾ききる」ことと,ピチカートの美しさが心に残ります。

そして,そのピチカートは,本当に音程もしっかりし,洗練されていて胸を打つ。
本当に「耳が良いなぁ」とも。

鶴岡の市長・議会・役所という「阿●のトライアングル」のせいで「あっちの市のホールは壊しっぱなしで再三の入札不調かつ再建目途無し」,「隣市の酒田のホールでやれば遠いけど音が良い」みたいな流れで希望ホールが取り辛くなっていて,お盆直前になったようだが,まぁ,無問題なので,聴きにいく確率は99%以上だろう(笑)

P.S.文中に曲名とか全く出てこないのは,私が単に「合唱バカ」なだけで,聴く耳はニュートラル,予断なく聴いてみたい演奏会なゆえのことでありんす(←吉原の時代劇の見すぎ(苦笑))

月遅れの盆前にコオロギ鳴く..

2014年08月09日 | 日常生活
↑なーんかセンス無いなぁ,だっせー!(自己レス)

今年初めて鳴いた
と書くうちまた鳴いた
暫くするとデュエットになり
だんだんキリギリスか何かとの
トリオになった

夏至からすでに
お天道様は秋に梶をきられたのだ
ただ「暑い,暑い」と忘れるうちに


てことで,センスある方,ご指導ください(苦笑)

8月6日って何の日?というテレビのコーナー

2014年08月08日 | 蓄積された過去群
我が家系にとって,プライベート以外に重要な日がいくつもある。

3月10日 我が家が前年まで暮らしていた東京が丸焼けとなった大空襲
8月15日 言うまでもなく同じ昭和20年の終戦
10月29日 過去に何度もあったうち最近・昭和51年の酒田大火

そして,転勤で第二の住居を置いていた仙台を含め,東北の大半を飲み込んだ大震災の3月11日

もちろん,国としては沢山の「日」がある。
TVのニュースというか帯番組で「8月6日が何の日だか知っていますか?」と路上で訊いていた。
標本数(訊いた数の分母)を知らないが,少年(少女)らは「えー?わからない」「知りません」と率直に答えていた。
たぶん東京でのことだろうから仕方ないかな?とも思った。

愕然とさせられたのは少年らではなく,中学生くらいの子を連れた30代くらいの女性だった。
やはり「8月6日が何の日だか知っていますか?」と問われ,ヘラヘラして
「ハム(86)の日ですか?」などと言う。

気の毒なのは,連れられた子供だな,と瞬時に感じてしまった。
父に似て右寄りの私は,8月になれば広島と長崎に落とされた原爆のことに思いをはせること,終戦の日の正午にはNHKを視聴すること(基本的に起立)
そんなことは当たり前にやってきたし,子供たちにも教えてきた。
その子供たちが「起立」するかは別として,教えるべきは教えることが必要なはずだ。

「戦争も原発も反対」と叫ぶ人間が多い割には,家庭でも学校でも,教育が堕落してきているのだな,と実感させられた。
戦時中の軍部による「鬼畜米英」レヴェルで,今も「反日」を唱えさせて政権を保っている国もどうかとは思うが..

追伸 ということで広島と長崎の皆様,わが国の民というのは,この程度の薄っぺらな知識しか持たなくなりました。
申し訳ございません。

「人間」と,「忘れる」ことや「切羽詰る」こととの必要不可分な関係?今日の練習から..

2014年08月08日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
10月にコンサートを控え,今月1回目の練習をした。
無伴奏で2曲半?ピアノ伴奏つきで1曲,きちんと音取りすべき曲があった。
せっかくピアニストの「福女さん」が来てくれていたので,オルバーン作曲,ミサ曲第6番の"Gloria"をやる..が,乗ってくれない。
特にソプラノが「核なし・か弱い」素人軍団なので,散々だ。
一昨年,合唱フェスティバルで「大体出来」,デーニシュ・サボーの合唱セミナーでかなり良し,な曲だったのに,見る(聴く?)影もなし。

かなり昔,会社のトップが「人間とは,良くも悪くも忘れるもの,逆に忘れることで嫌なことから前に進める,ということを覚えてほしい」という趣旨のことを言っていたのを思い出す。
でも,一昨年の曲だぜ一昨年の!(苦笑)

また「悪びれず」(とまで言うと失礼か)に「あはは失礼」などと言われ「切羽詰る」という語句が頭をよぎった。良く言えばこちらも「切羽詰まれば人間はがんばれる」とも置き換えられる。
私の責任団体でない遊佐で歌っていた頃も,定演前週で「ベースは私だけ」とか平気であったので,フツーの団体は仕方ないとも思う。

けれど,たかが百円であろうとも,お金をいただくコンサートならば「ギリギリ間に合いました」的な演奏ではよろしくないと思っているので「日程を延期しようか?」と持ちかけてみる。
すると,夏休みで渡露中の大学生Bass君の次に若いAltoの彼女が「嫌です!」と返してくれる。
このクイック・リスポンスを逃す手はなく,今月末に練習日を追加させてもらうこととした。

ともかく,前回のソプラノより大変なのは確かです。
以下,一昨年の一回目の演奏です。

Sakata Coro a cappella(合唱)Mass No.6 "Gloria"(Gyorgy Orban)

遊佐のホールでプロムジカ女声合唱団を聴く・観る

2014年08月06日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
"Pro Musica Girls' Choir Japan Tour 2014"と銘打って2年ぶりに行われたプロムジカのコンサートは事実上7月で終了..なスケジュールに見えるが,国内主要都市での公演を終えて,突然7/31に秋田県由利本荘市,8/1に山形県遊佐町生涯学習センターホールと,強引ぽく地元に誘引して帰国,という「スンバラシイ!」スケジュールだ。
実は一昨年もそうだったし,その前も同様。
遊佐町が,プロムジカの国ハンガリーはソルノク市と姉妹都市である関係等から,定例的に日本公演を行い,遊佐町吹浦海水浴場の花火を見たり,滅多にできない海水浴を体験して帰るそうだ(彼女らなりの「リゾート地」なのでしょう,遊佐は大好きらしい)

さて,過去に2回,酒田市民会館希望ホール(大ホール)で聴き,さらにSakata Coro a Cappellaとして遊佐のホールで「サボー氏によるセミナー」にSakata Coro a Cappellaで出演,計3回ほど接触?があったが,今回,はじめてコンサートとして遊佐のホールで聴いた。
(ちなみに,セミナーの様子はこちら)

冒頭,ユニゾン能力では世界最強クラス?のプロムジカでも,遊佐の500名ほどの簡易反響板のホールでは響かない,と直感した(以下,指揮者目線)
すると,私の「手はあるのか?」と思う間もなく,指揮者のデーニシュ・サボー氏は,続々と団員を4つある通路に降ろし,立体感ある音響を聴かせてくれた(それでも酒田市民会館希望ホールよりは響かないのだが)

けれども,私たちのすぐ側の通路に彼女たちが立って歌ってくれ,微動だにしない位の声を聴かせてくれた(人によっては,勘弁してくれと言うくらいの大声だったが..私は右耳が過敏なので困難)

さて,具体的な曲として心に残ったのは,まずハンガリーの彼女らの心臓に響く(はずの)バルトーク"Bolyongas"(さすらい),そして次の世代となるラヨシュ・バールドシュの"Szello zug"(風がうたう)...
ただ,私にとって圧巻だったのはランドル・トンプソン(Randall Thompson)の"Pueri Hebraeorum"(ヘブライの子らは)だった。

遊佐混声の時にも,コダーイやコチャール・ミクローシュの曲にあって「二重合唱においてははっきりと分割した方がステレオ感もあり,聴き手も楽しいのでは?」などと提案したが,評価は中程度だったと思う。
(特にコチャール・ミクローシュのものは,教会で待ち受ける一群と,遠方から来る葬送の一群が最後にステージで合唱するべきと思った。作者はそう思ったに違いない)

プロ・ムジカの指揮者,デーニシュ・サボーも同じ感覚を持っていて,ランドル・トンプソンの二重合唱曲を演奏したのだが,一群はステージで,もう一群は通路上で歌わせていた。
この感覚は,私も同意だったし,上記の遊佐のセミナーで,サボーも語っていたので,非常に心地よく聴かせてもらった。

酒田市民会館希望ホールでの再演なら「勘弁してください」だったが,遊佐のホールでも迷いはあったものの,聴き手としてだけでなく,指揮者の端くれとして聴かせてもらい,前売り2000円は超格安で,とても勉強になった。

長文に少し付け加えれば,客の入りの前と後で,微妙に歌い手の配列とか諸々を動かしていたのは,なかなか参考になった。
仙台の大師匠の今井先生もそうだったし,余裕のある時の私もだが,当日,現場の状況で音楽を変えるのは当然であり,それを従前に団員の皆さんに理解してもらわねば,と思う。

広報さかたの記事に釣られて行った「吉野弘朗読会-心の四季-」

2014年08月06日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
H26.7.26(土),ついつい「吉野弘」「心の四季」というワードに弱い私は,酒田市川南地区というか公益文化大奥の出羽遊心館まで熱っつあつな中,完全に釣られて行ってしまった。

そこをツッコむ意味を含めて「アンケート」には主催の酒田市教育委員会に厳しく2,3点を書かせてもらった。
・「心の四季」は合唱組曲名であり詩集や詩の題名にもない,作曲者の高田三郎氏抜きに,催しのタイトルとして使用するのはどうか?完全に釣られて来てしまった,ということ。
・司会の話が詳しすぎ,詩を味わい吉野さんの世界に思いを馳せる前に結果が分かってしまい興ざめであったこと。
・主に高校生において,リハーサルをしていないのでは?と思わせるくらいに,詩が聞こえない子が多かったこと。

私は,詩の重複は多々あるが,吉野さんの詩集は数冊持っている。
別に書く予定だが,本人公認で合唱曲を書く予定だったからだ。

現状では,音楽もだけれど,待つ,我慢する,絶えられないことをする,というのが病的に困難なので,ラストの方の「雪の日に」や「祝婚歌」などは,勿体無いことに聞けずじまいだった(ガッカリ,だけど苦しかった)

ザックリとした構成として,前半は酒田飽海地区の各高校図書委員代表(本は好きでも朗読は!?),後半は地元朗読サークルの方々。
で,司会の方が言われていたが,読むと聞くのは大違い,詩によっては自分の先入観が覆された。

それが顕著だったのは第8詩集『陽を浴びて』より「乗換駅のホームで」。
高校生では№1だった酒田E高(母校だし(笑))3年生の高田さんだった...あ,心の四季っぽい!
タイトルどおり,乗換駅のホームで見た3人の母子が並んでトイレに入った後,どのように出てくるかを観察している,というだけ,と言えば「だけ」のものだ。
あと,大人の皆さんでは,教科書などでも有名な「I was born.」の齊藤さんだった。

吉野さんの詩は,何気なく,というか平易で,かつそれを生物や自然現象に事寄せて書かれていたり,少しだけ目線をずらして他者にハッと思わせるものが多い。

ところで二人の朗読に感銘しつつ,合唱とも共通点があるなぁ,と思わされた。
それは「間(ま)」と「息(ブレス)」の重要性である。
小学生に対して,本を読むのに「。」は「口を閉じていち・に,と言って」,「、」は「口を閉じていち,と言って」と教えるそうだ。

結果,なかなか待ちきれない子供らは,その「間」をつまらせて使うことでうまく語るらしい。

上に酒田E高の子のことを書いたが,おおむね各高校にもマルをつけられる子はいたが,それらは,大きく,またはハッキリと意思を持って朗読してくれる子らだった。
歌もそうだけれど,音の大小でなく,何をどう伝えたいかが重要なのだな,と勉強させられた。