合唱団において,練習の方法というのはどういうものだろうか?
様々あるのだろうけれど(前にも書いたかな?)筋トレする年代でもないため,私の所はストレッチを入念に行って,スムースに全身が動くようにする。
次はブレスの練習。実践しながら腹横筋や横隔膜などのことを感じてもらえるよう,説明しながらイスを使って前かがみ,空気の入り方と筋肉の動きをイメージさせたりと工夫したりしている(新人さんには難しい所のため)
そして発声..が普通と思うが,いきなり喉への負担をかけぬよう,お腹を目一杯使ってもらって,男性含め裏声で最高音程度に「ヘーイ!」と何度も出している(自称「白鳥」(笑))
意外に,無理なくお腹と声が連動できて,効果的だ。
すると,いわゆる「発声練習」はスムースにできて,音の外れた所,顔のつくりに音色など,修正箇所はしぼられる。上へ下へと,2回でおしまい。
あ,今回は「カデンツァ」やるの忘れた(苦笑)
これやらないとハーモニー感と正しい音感が得にくいのです。
ここから歌の練習だが,一言だけ..
Nコンで例年視聴する宮崎学園高校の有川サチ子さんの教えだが「練習は本番のように,本番は練習のように」という言葉を常にしていて,いわば「(基礎)練習は歌のように,歌は(基礎)練習のように」いとうことを心がけている(姿勢ひとつですが)
さて,今までは,平易な日本語曲や"Ave Maria","Slve Regina"のような定番のカタカナ語(苦笑),否,ラテン語(笑)のものは,初見から少しずつ切り貼りして練習してきた。
読めないものは,メロディラインから各パートごとに覚えて,言葉は後付けにしてきた。
たぶんこの手法は,殆どの団がそうだったように思う。
ただ,私が今の合唱を立ち上げてから,かなり違和感を感じるようになってきており,昨夜の練習ではプーランクの"Slve Regina"を,音なしの譜読み「リズム読み」と称し,全曲を通してみた(部分的には,いつもやっいてる。ポリフォニーなど特に)
"Slve Regina"というテキスト自体はもう何曲も"Ave Maria"以上に歌ってきたので,今更感はあるのだが,同じテキストでも作曲家の意図は様々で,一人ひとりの"Slve Regina"を,無理に音をつけずにしゃべるというか語ってみると,リズムやイントネーションというかアクセントのようなものが先に見えてくる。
そしてあえて,この日は音をつけずに終えた。
理屈で言えば「詩があって曲になる」「詩に曲を乗せる」というニュアンスの高田三郎先生の話に尽きる。
よくやる「まず音を覚え」次に「詩をつける」方式の練習を私も散々やらされたし,やってきた。
すると,合唱団にとって相応の難易度の曲の場合,先に意味なく音だけなぞっているため,言葉をつける時に崩壊してしまい,振り出しに戻っててしまう(スゴロクか?)
崩壊する,ということは手順の違い,ということもあろうが「思想」のことのような気がするので,しばらく色々と試行錯誤してみたいと思う。
様々あるのだろうけれど(前にも書いたかな?)筋トレする年代でもないため,私の所はストレッチを入念に行って,スムースに全身が動くようにする。
次はブレスの練習。実践しながら腹横筋や横隔膜などのことを感じてもらえるよう,説明しながらイスを使って前かがみ,空気の入り方と筋肉の動きをイメージさせたりと工夫したりしている(新人さんには難しい所のため)
そして発声..が普通と思うが,いきなり喉への負担をかけぬよう,お腹を目一杯使ってもらって,男性含め裏声で最高音程度に「ヘーイ!」と何度も出している(自称「白鳥」(笑))
意外に,無理なくお腹と声が連動できて,効果的だ。
すると,いわゆる「発声練習」はスムースにできて,音の外れた所,顔のつくりに音色など,修正箇所はしぼられる。上へ下へと,2回でおしまい。
あ,今回は「カデンツァ」やるの忘れた(苦笑)
これやらないとハーモニー感と正しい音感が得にくいのです。
ここから歌の練習だが,一言だけ..
Nコンで例年視聴する宮崎学園高校の有川サチ子さんの教えだが「練習は本番のように,本番は練習のように」という言葉を常にしていて,いわば「(基礎)練習は歌のように,歌は(基礎)練習のように」いとうことを心がけている(姿勢ひとつですが)
さて,今までは,平易な日本語曲や"Ave Maria","Slve Regina"のような定番のカタカナ語(苦笑),否,ラテン語(笑)のものは,初見から少しずつ切り貼りして練習してきた。
読めないものは,メロディラインから各パートごとに覚えて,言葉は後付けにしてきた。
たぶんこの手法は,殆どの団がそうだったように思う。
ただ,私が今の合唱を立ち上げてから,かなり違和感を感じるようになってきており,昨夜の練習ではプーランクの"Slve Regina"を,音なしの譜読み「リズム読み」と称し,全曲を通してみた(部分的には,いつもやっいてる。ポリフォニーなど特に)
"Slve Regina"というテキスト自体はもう何曲も"Ave Maria"以上に歌ってきたので,今更感はあるのだが,同じテキストでも作曲家の意図は様々で,一人ひとりの"Slve Regina"を,無理に音をつけずにしゃべるというか語ってみると,リズムやイントネーションというかアクセントのようなものが先に見えてくる。
そしてあえて,この日は音をつけずに終えた。
理屈で言えば「詩があって曲になる」「詩に曲を乗せる」というニュアンスの高田三郎先生の話に尽きる。
よくやる「まず音を覚え」次に「詩をつける」方式の練習を私も散々やらされたし,やってきた。
すると,合唱団にとって相応の難易度の曲の場合,先に意味なく音だけなぞっているため,言葉をつける時に崩壊してしまい,振り出しに戻っててしまう(スゴロクか?)
崩壊する,ということは手順の違い,ということもあろうが「思想」のことのような気がするので,しばらく色々と試行錯誤してみたいと思う。