つい最近,昨年9月,元・山形東高校,山形西高校,嚶鳴女声合唱団等指揮者の阿部昌司氏の逝去と偉大なる功績,その1という日記を書いたが,今回は山形西高校赴任以降の阿部昌司氏の実績等について書きたいと思う。
実は,その前に,山形東高校の全国制覇を機に,我が山形県では合唱文化に火がつき,我が酒田E高校の先輩達も,昭和41年度と記憶(私のちょうど10年上)しているが,唯一,県コンクールで優勝しており,このタイミングは阿部さんの山形東高校の優勝から山形西高校赴任の合間だった。
そして,それは恐ろしいことに阿部さんのような方のいない高校生の「学生指揮者」による優勝だったのである。
その後間もなく,阿部さんは前記のとおり山形西高校に赴任され,やはり教鞭の傍ら合唱の指揮もされているが,たとえば中田喜直氏の曲などを採用したりして全国大会にも出場したものの入賞どまり(一般論としては十分に立派)実力・経験の両面で,既に全国トップとなった阿部氏にとっては,決してスランプでは無いのだけれど「どうすれば全国優勝?」ということが最低条件として頭の中にあったのではないかと思う。
特に「女声はピアノ付で三部」「混声と男声は四部」という,ほとんどが日本語で歌われるべきと固定されていた時代で,実は女声合唱が最も歌うに簡単で,かつ聴いてはパターン化し深みの無いものだったと思う(今なら女声でアカペラ,4部以上が普通だから)
結果,彼の到達点は...男声で頂点を極めたベル・カントと決別し,朗々と歌いハモる,ドイツ・リート系に方向転換したと言われている。
そこで選曲を熟慮した時に遭遇したのが,高田三郎先生の合唱組曲だったのであろう。
私も数々を歌ったが,女声で言えば「水のいのち」「心の四季」「わたしの願い」「遥かな歩み」「ひたすらな道」「雛の春秋」等々。
高田先生の曲は全て,精神性の高い詩を選び,その詩が最も良く乗るように,そして自然なフレージングを誘うように作り込まれて,女声三部であっても混声四部に引けをとらない和声とピアノ遣いをされている。
そして時には,一般にあり得ないことだが「最良に歌えるために」という理由だと思うが,何名かの詩人に対して詩の書き換えをしてもらっている(吉野弘先生の詩集などで具体的に記載・比較されている)
前記で書いたとおりのことが現われ,かつ阿部さんが詩と曲を最上に練られ女子生徒達によって表現されたものが,以下の合唱組曲「心の四季」からの2曲だ。
これも,先の日記に書いた,皆川達夫氏のNHK-FMで聴いたものだが,氏も言われた「ハンカチを使わずにいられない」という話のとおり,私も身震いし感涙し聴いていた。
■山形西高校 女声合唱組曲「心の四季」より みずすまし・雪の日に
さて,ろくに女声合唱を知らなかった私は,その幅広さというか重厚さ,特に「みずすまし」の演奏によって"pesante"(ペザンテ)「重々しく」という音楽用語を初めて心から理解した。
阿部さん指揮の山形西高校は,一般に「あまりソプラノは美しくなく,逆にアルトは美しい」という話が定説だが,私は常に「本当に美しいのは,あの合唱を常に引き立てるメゾ・ソプラノだ」と言うようにしている。
実際には「ソプラノは美しくなく」というのは嘘で,私どもも共にした"Pro Musica"などと同様,ユニゾン能力が素晴らしい故であって,結果としてそう聴こえるだけだ。
そして,合唱団でありながら,ソプラノ同等のメロディも,アルト同様の深みもこなし,かつ内声でも豊かさも与えられる,メゾ・ソプラノこそが美しい,というのが本旨なのだ。
(2分前後からの「みずにもぐったみずすまし」あたりからを聴くと分かるし,このことは,山形市民会館で嚶嗚女声合唱団とジョイントコンサートをさせていただいた後の打ち上げで,阿部さんや,当時のメゾの方々にも「いちファン」として申しあげた)
"Pro Musica"を勝手に語ったが「みずすまし」と比較すると,ユニゾン性は"Pro Musica"だが声色がパターン化しすぎ面白みがまだまだで「みずすまし」は分厚く大人げで叙情的,要は身震いする質や精神性が(日本人の私にとっては)全く違っている。
この詩人の吉野弘先生は,わが郷土・酒田市の出身であるが「雪の日に」においては,私は「雪に事よせた」その「雪」の姿かたちが,吉野先生と阿部さんでは明らかに違っている。
酒田では吹き付けた雪が地面に叩きつけられ「地吹雪」となり,そらが地形と相まって吹きだまるのだが,阿部さんの内陸の雪は比較的「上から降る雪」であって決定的に異なる。
ゆえに,私はイントロで「?」と思い,冒頭の「雪が激しく振り続ける」の部分は「オーバーコートを着ていて歩けない雪」であって「傘を差して上から重圧を感じる雪」ではない,と感じているので「雪の日に」には叙情性を感じつつ,精神性の不足を持っている(別に述べたいと思うけれど,コンクール曲となった「走る海」もだが)
ああ,それにしても「みずすまし」,哲学的ではあるが音楽性の豊かさから,心に余裕を持ちたいときに聴くけれど,常に癒される曲であり,至上の女声合唱だ。
そして「至上」の曲は全国に伝播して,全国に山西流高田作品,とでもいうジャンルが溢れて行ったのではないだろうか。
(完..と書きかけて,もう1年度,昭和55年のことを「その3」として書きたいと思うので..続く(笑))
実は,その前に,山形東高校の全国制覇を機に,我が山形県では合唱文化に火がつき,我が酒田E高校の先輩達も,昭和41年度と記憶(私のちょうど10年上)しているが,唯一,県コンクールで優勝しており,このタイミングは阿部さんの山形東高校の優勝から山形西高校赴任の合間だった。
そして,それは恐ろしいことに阿部さんのような方のいない高校生の「学生指揮者」による優勝だったのである。
その後間もなく,阿部さんは前記のとおり山形西高校に赴任され,やはり教鞭の傍ら合唱の指揮もされているが,たとえば中田喜直氏の曲などを採用したりして全国大会にも出場したものの入賞どまり(一般論としては十分に立派)実力・経験の両面で,既に全国トップとなった阿部氏にとっては,決してスランプでは無いのだけれど「どうすれば全国優勝?」ということが最低条件として頭の中にあったのではないかと思う。
特に「女声はピアノ付で三部」「混声と男声は四部」という,ほとんどが日本語で歌われるべきと固定されていた時代で,実は女声合唱が最も歌うに簡単で,かつ聴いてはパターン化し深みの無いものだったと思う(今なら女声でアカペラ,4部以上が普通だから)
結果,彼の到達点は...男声で頂点を極めたベル・カントと決別し,朗々と歌いハモる,ドイツ・リート系に方向転換したと言われている。
そこで選曲を熟慮した時に遭遇したのが,高田三郎先生の合唱組曲だったのであろう。
私も数々を歌ったが,女声で言えば「水のいのち」「心の四季」「わたしの願い」「遥かな歩み」「ひたすらな道」「雛の春秋」等々。
高田先生の曲は全て,精神性の高い詩を選び,その詩が最も良く乗るように,そして自然なフレージングを誘うように作り込まれて,女声三部であっても混声四部に引けをとらない和声とピアノ遣いをされている。
そして時には,一般にあり得ないことだが「最良に歌えるために」という理由だと思うが,何名かの詩人に対して詩の書き換えをしてもらっている(吉野弘先生の詩集などで具体的に記載・比較されている)
前記で書いたとおりのことが現われ,かつ阿部さんが詩と曲を最上に練られ女子生徒達によって表現されたものが,以下の合唱組曲「心の四季」からの2曲だ。
これも,先の日記に書いた,皆川達夫氏のNHK-FMで聴いたものだが,氏も言われた「ハンカチを使わずにいられない」という話のとおり,私も身震いし感涙し聴いていた。
■山形西高校 女声合唱組曲「心の四季」より みずすまし・雪の日に
さて,ろくに女声合唱を知らなかった私は,その幅広さというか重厚さ,特に「みずすまし」の演奏によって"pesante"(ペザンテ)「重々しく」という音楽用語を初めて心から理解した。
阿部さん指揮の山形西高校は,一般に「あまりソプラノは美しくなく,逆にアルトは美しい」という話が定説だが,私は常に「本当に美しいのは,あの合唱を常に引き立てるメゾ・ソプラノだ」と言うようにしている。
実際には「ソプラノは美しくなく」というのは嘘で,私どもも共にした"Pro Musica"などと同様,ユニゾン能力が素晴らしい故であって,結果としてそう聴こえるだけだ。
そして,合唱団でありながら,ソプラノ同等のメロディも,アルト同様の深みもこなし,かつ内声でも豊かさも与えられる,メゾ・ソプラノこそが美しい,というのが本旨なのだ。
(2分前後からの「みずにもぐったみずすまし」あたりからを聴くと分かるし,このことは,山形市民会館で嚶嗚女声合唱団とジョイントコンサートをさせていただいた後の打ち上げで,阿部さんや,当時のメゾの方々にも「いちファン」として申しあげた)
"Pro Musica"を勝手に語ったが「みずすまし」と比較すると,ユニゾン性は"Pro Musica"だが声色がパターン化しすぎ面白みがまだまだで「みずすまし」は分厚く大人げで叙情的,要は身震いする質や精神性が(日本人の私にとっては)全く違っている。
この詩人の吉野弘先生は,わが郷土・酒田市の出身であるが「雪の日に」においては,私は「雪に事よせた」その「雪」の姿かたちが,吉野先生と阿部さんでは明らかに違っている。
酒田では吹き付けた雪が地面に叩きつけられ「地吹雪」となり,そらが地形と相まって吹きだまるのだが,阿部さんの内陸の雪は比較的「上から降る雪」であって決定的に異なる。
ゆえに,私はイントロで「?」と思い,冒頭の「雪が激しく振り続ける」の部分は「オーバーコートを着ていて歩けない雪」であって「傘を差して上から重圧を感じる雪」ではない,と感じているので「雪の日に」には叙情性を感じつつ,精神性の不足を持っている(別に述べたいと思うけれど,コンクール曲となった「走る海」もだが)
ああ,それにしても「みずすまし」,哲学的ではあるが音楽性の豊かさから,心に余裕を持ちたいときに聴くけれど,常に癒される曲であり,至上の女声合唱だ。
そして「至上」の曲は全国に伝播して,全国に山西流高田作品,とでもいうジャンルが溢れて行ったのではないだろうか。
(完..と書きかけて,もう1年度,昭和55年のことを「その3」として書きたいと思うので..続く(笑))