島の奉行から島民に「食い物を作らず砂糖を作れ。食い物は海の魚を食えばいい」というような無理な指示があった。
また,西郷や大久保に,大事な食べ物として「ソテツの粥(かゆ)」が供されていた。
二度目で思い出したのは,生家にあったソテツの存在だ。
父はそれを「ソテツだ」と教えてくれた。
一本の細長い常緑低木,写真で見るソテツに似ていた,少なくともソテツ科の木だと思う。
↓写真はイメージです(笑)
ソテツを知らない人でも,親戚筋として,フェニックスやヤシノキを思い出すことができるだろう。
ソテツに物事の真実が隠されているとは思わず,この島(奄美大島)の回のシナリオには頷いた。
島民たちは,薩摩藩の懐を担う砂糖の生産が少なければ法外な仕打ちを受け,ろくに旨いものも食えない。
そうしたことはシナリオ上のことではなく,近世のことでもあることから証拠もあるようだ。
一方,我が家にあったソテツなるものが正しい意味でどの種類かは知らないが,形状からして亜熱帯以南のものであることは間違いない。
ソテツは自生では九州以南,手植えでも関東以南とされ,雪の降る北国の路地でマイナス気温や吹雪に耐えられるかは疑問だ。
それはそれとして,生家にソテツを植えてくれ,私が他の家から果実を盗んだりしないようにと様々な果樹を植えてくれた父や祖父にはこの齢になっても感謝するところだ。