たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子65

2019-05-03 20:05:28 | 日記
大伯は持統が去ったあと褥にある大津に語りかけていた。

「大津…シラサギから聞いた後…そなたはどんな思いをし、夕方までどのような思いをしていたのでしょうか。」大伯は伊勢から帰りさまざまな出来事に翻弄とされた。大津を見つめると今にも話しかけてきそうなくらい近くにいるのに大津は黙ったままだ。

ー 姉上、私とて死にたくはありませんでした。私は生きたいように生きると決め伊勢へ姉上のもとに参りました。しあわせにございました。しかし、私が生きた背景は簡単には私を自由にしてくれるものではありませんでした。むしろ私は自由になることで私の寿命を縮めてしまったやもしれませぬ。姉上、ご自分をお責めにならぬようお願いいたします。私の譲位など身にすぎたことでした。

そのために川嶋や山辺が辛い立場に追い込まれ、ましてや関係のないものたちに迷惑をかけるのは耐えがたいことでした。そのくらい私の肩に皆の命がのし掛かっていました。
こんな未熟な私のために…皆が命を差し出し皆が辛い思いをさせるのは本意ではありません。

しかし姉上、貴女と夫婦として生きてみたかった。いろんなことを一緒に体験したかった。
あの世にある私が申すことではございますが、貴女は誰にも触れさせたくない。
小男であると御笑いですか…大伯を誰にも…渡したくない。

あなた以外のものにはならないわ。大津…

その時謀反にて処すという詔が下された大津の背景が見えた。

こういうことか…わかった…草壁…本当に我が邪魔だったのだな…
道作…もういい。我のためにそなたを危うい立場に起きたくない。わかってくれ。
道作のひれ伏した背が波を打っているように見え「感謝しかない。道作。」道作は思わず顔をあげた。
「これで良いのだ。なんの悔いもない。」
ひれ伏していた道作が急に顔をあげ大津の瞳を見た。
「大津さま、斎宮さまとどこかへ遠くお逃げください!」
「そうはしたいが、また誰かの血が流れるのを見ることがないようにと我の決意を揺るがさないでくれ。」
道作は子供のように床を何度も叩き泣き声をこらえようとしていた。

語舎田の邸でこの宮で命を終えられること…姉上との思い出のあるこの邸で…

ももづたふいはれの池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 万葉集に収められている。


金鳥臨西舎 鼓声催短命

泉路無賓主 此夕向離家


大津の辞世の漢詩も見事だった。自死なので誰も迎えてくれないあの世へ向かう路と詠っているが「天武天皇も、我の母も、天智天皇もあなたの潔い高い志に驚いておられるわ…大津。」と大伯は大津の頰に手を当て泣いていた。
見えてしまった大津の事実に「あなたほどの人が、どんなに孤独だったか…我が背子が…」と大伯は言いこの世にいることさえ疎ましく思えた。