たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 69

2019-05-07 23:13:41 | 日記
持統は「酷なことを申すが、皇位簒奪より国同士の外交の方がし烈を極めるそうじゃ。
皇位簒奪などで国が乱れるなど半島や、唐を喜ばせることらしい。
いつ瀬戸内海を通じて先の難波宮に押し寄せるやもしれぬと。大津は、それも嫌であったのであろう。賢い選択をした。我が子ながら。」と遠い目をして言った。

「不比等は憎い相手でもあるが、そのような感覚には長けている。これからの大和には必要な男ではある。ただ、我が生きておる限りよほどのことがない限り取り立ててやろうとは思わぬ。」と冷酷なことを持統は大伯に聞かせているのだが、大伯は恐怖を覚えず持統を逞しい女人であられると感心しきりだった。

大伯は、このような息詰まるような世界にいたのね…大津は死という代償の代わりに安らぎを選んだの…とふと思うと持統は「大津と不比等が手をとりあえば盤石だったのだが、二人は水と油じゃ。大津は高潔だが不比等は目的のためなら泥臭いことも平気でやっていく、人を蹴落としてでも。」と言った。

「そんな不比等を大津の身内としてそなたは牽制する役割もある。」と持統は言った。

「私は、大津の祟りを匂わせる役割ですね。」とクスっと大伯はわらった。持統は少しほっとした。

「しかし…白村江の戦いの後この大和は攻められませんでした。」と大伯が不思議そうに言うと
「遣唐使として貢物をしたり唐の方も内乱がありこの大和どころでなくなったと聞いた。父天智天皇は難波宮から近江京への遷都されてはいたが。」などと持統が話をするなど時間はあっという間であった。

大伯がはっと気づき「お忙しい御身なのに私めのようなものに御時間を頂き申し訳ございませぬ。」と恐縮し申した。

「大伯…楽しかった。このようにまた我の話し相手になっておくれ。時間は過ぎる。こちらの意思なぞ関係なく。大津が生きていたことを証明出来るのはそなただけぞ。大津の後を追うのはまかりならぬぞ。」

「御意にございます。」また涙が溢れた。息子が、殺されたというのに。その相手がその血を分けた息子だという呪われたようなお気持ちであらっしゃるであろうに。辛いのは私だけではないのに…「持統さま申し訳ございませぬ」と大伯は頭を下げた。

その時、遠くで草壁叫ぶ声が聞こえた。「大津、大津、もう許せ!そなたは死んだのじゃ!」
お鎮まりくださいませと官人らが声をかけても草壁は正気に戻らなかった。

大伯は思わず眉をひそめた。

「そなた、気を悪くしないでくれ。大津が亡くなった夜からあのように怯えるのじゃ。良心の呵責に苛まれているのは普通じゃ。」と持統は取り繕うように言った。

「持統さまもお辛い立場だというのに…」と大伯は呟いた。