たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 あとがき

2019-05-10 08:30:42 | 日記
数年前 大津市に移り住みました。

近江神宮が近江朝廷の跡であったと聞いたり、三井寺園城寺に天智天皇、持統天皇の産湯になった井戸を見たりして学生時代に習った歴史でなく、その溢れた歴史に魅了されていました。

奈良に迷い込んだ時です。
二上山がじっと迫ってくる姿に畏怖を感じました。三輪大社から見た雨に煙っていた飛鳥の平野に天香山、耳成山、畝傍山がぽーんと浮かび上がっていてとても神秘的でした。
名前はわからなかったけれどあぁこれはただことではないと思いました。
伊勢にも一ヶ月に一回は行きました。理由はないのに何故か行きたくなりました。
多気というインターが気になって降りたりしました。
山を越えると広がる熊野灘に圧倒されました。 伊勢=鳥羽でしたから。
高速が使えない時走っていた道が壬申の乱で近江への進路コースだったり、多分大津皇子が伊勢へ下った時の当時は道無き道だったのであろうなと考えられる道もありました。

ただ、二上山から視線を感じるのです。和歌山へ行こうとするとじっと感じるのです。

何か意味はあるのでしょうけれど、わからないままでした。
今日は二上山へ行きたい、行くぞと思ったら失敗して薬師寺に着いてしまったこともありました。

そこにあった祠が大津皇子由来のものだったなんて…またまたこれはただごとではないと思いました。

大津皇子とあるものは片っ端から読みました。

悲劇の皇子…本当にそうなんだろうか。大伯皇女とも同母姉弟とは本当かな。

弟背、背子って詠むかなぁ…

この不思議を伝える大津皇子、大伯皇女の話があってもいいのではないかなと思いました。

想像を膨らませ膨らませ書いたのが 我が背子大津皇子でした。

悲劇、無念は書きたくなかったです。
そんな大津皇子であれば、とても素晴らしい文章や表現はたくさんあります。拙い表現しか出来ないけれど死さえも堂々と受け入れる皇子であり、大伯皇女のことを大切にしているとともに心の拠り所にしている姿を書くのが私が出来ることなのかなと思いました。

本当に稚拙な文章を読んでくださってありがとうございました。またフォローしてくださった方、ありがとうございました。
少しでもあなたさまがたに生き生きとした大津皇子、大伯皇女がいましたらとても光栄で嬉しいことです。
本当にありがとうございました。