音羽様
お返事がたいへん遅くなってしま
いました。
ごめんなさい。
その後、お元気ですか?
ちゃんと食べて、眠っていますか?
今朝、目を覚まして窓の外を見たら、
夜明けの空が、力強いまぶしい夏の
光に染まっていました。きのうまで
はまだ、春だったのに。ゆうべ、神
様が透明な大きな手で、ページを一
枚、めくっていったでしょうか。
うつむき加減で、はにかみがちな、
少女のような季節はわたしを置いて、
どこかへ行ってしまいました。
けれど、また一年待てば、春は必ず
わたしの空まで、もどってきてくれ
るでしょう。
きょうは右腕の調子がいつもより
良くて、痛みもほんの少しだけやわ
らいでいるので、いつもより読み
やすい文字で、いつもよりたくさん、
お手紙を書くことができると思い
ます。さっき、介護のボランティア
さんに頼んで、鉛筆を一ダース分、
削ってもらいました。
ボールペンやサインペンを握っても、
すぐに落っことしてしまうのに、
鉛筆なら、握れるのです。不思議で
しょう?
前置きが長くなりました。
どこから書き始めればいいのか、
もちろん覚えています。
あなたのお母さんに頼まれて書き
始めた手紙が、いつのまにか、わ
たしの青春グラフティになってき
ています。
音羽さんのリクエストに応えて、
片想いの初恋の思い出や、高校時
代、初めてできた彼氏のことや、
社会人になってからの色とりどり
な恋のこと、いろいろと書いてき
ましたけれど・・・・きょうは
その続き、ですね。
いよいよ、わたしの人生に、あな
たのお父さんが登場するのです。
ああ、なんだかわくわくしてき
ます。
心臓が、飛び跳ねているのがよく
わかります。お月様のなかのうさ
ぎみたい。喜んでいるのですね、
わたしと一緒に。
あの頃のことを思い出すと、胸の
なかにも、頭のなかにも、気持ち
がいっぱいあふれてしまって、ど
こから書けばいいのか、熱い涙の
洪水みたいなこの気持ちを、
ちゃんと言葉にして、紡いでいく
ことができるのかどうか、まった
く自信がありません。
「早く続きが読みたい」って、音羽
さんは書いてくれましたね。
砂丘に埋もれている貝殻を、そのか
けらを、ひとつふとつ拾い上げる
ようにして、ゆっくりと、時間をか
けて、毎日少しずつ、書いてゆきま
すね。
書き上げるのに何週間かかるのか、
何ヶ月かかるのか、まるで終わりの
ない旅に出るような気持ちですけれ
ど、この手紙の行く先にあなたがい
ることを縁(よすが)にして。
「順ちゃん」
あなたのお父さんの順作さんのこと
を、わたしはそう呼んでいました。
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