旅には始まりと、終わりがある。
恋も同じだ。
情事はもちろんのこと。そう、
つまるところ、人生も同じなの
だ。それは始まって、必ず終わる。
例外はない。
ある日、彼はいつものようにわたしの
部屋から成田空港へ向かい、そして
二度と、わたしの部屋に戻ってこな
かった。
「もしかして、あなたにも、私と
同じような経験があるの?」
電話線の向こうで、彼女が言った。
あるなら、私の気持ち、わかるで
しょ?と彼女は言いたいのだろう。
あるいは、この気持ち、わかって、
と。
ないの、残念ながら。
「ほんと?」
ほんとよ。
「一度もないの?奥さんのいる人
を好きになったことは」
うん、一度もないの。
と、わたしは嘘をつく。あまり上等
とは言えないかもしれない嘘を。
彼女に対して?自分に対して?
いいえ、その両方に対して。
シーツとシーツのあいだで起こった
出来事は、シーツとシーツのあいだ
に、とどめておかなくてはならない。
そこで見た夢、聞いた話、そこで
感じた幸福、そこで得たすべての
ことは、それ以外の場所では色を
失い、命を失う。
わたしは彼女に言ってあげたいと
思った。だから、思い出も希望も、
絶望も願望も、いいことも、そう
でないことも、誰にも喋ってはだめ
よ、と。
言葉にした途端、それらは空中で分
解し、あっけなく霧散してしまう。
だから、何もかもそっと、胸の中
に仕舞っておかなくては。もしも
それが、あなたの人生において、
すごく悲しいけれど、すごく
たいせつな恋だと思うのであれば。
そう言ってあげたいけれど、わた
しは言わない。今はまだ、言え
ない。
理由は、わからない、わたしが
何を言っても、どんな話しをし
ても、今の彼女を止めることは
できない、ということだけが、
わかっている。
客先と食事でどうやって
食べているかを見れば、
おおよそその人の出自が
わかるといわれる。
ただし
楽しく食すのににはコツが
いる。
これは誰も教えてくれない
が、心ある人は身につけた。
それは要するにゆっくり
少しずつ、口に入れるので
ある。
こうすれば楽しく語らいなが
らも、食事は優雅に進む。
口にものを入れたままで
話さなくともすむ。
例えば、パンは小さくちぎ
って口に運ぶ。
書けばこれだけのこと。
うつむけば
答えのように出る涙
泣いて流れる何もないのに
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Sarah Vaughan - "So Many Stars"
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あなたを失くしてから私
まるで片方の目がつぶれてしまった
ようでした
世界の半分を失くした
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トムクルーズ コラテラルの好きなシーン Collateral favorite scene.
https://www.youtube.com/watch?v=5xEFepxc_gc
気分直しに、歌舞伎でも
見に行きませんか。
初めてのものに接する
ときは、大切なことが二つ
ある。
一つは、後でちゃんと説明
してくれる人と一緒に行くこ
と。
もう一つはおもしろい作品を
見ること。
おもしろいのは「新八犬伝」かな、
戦国時代に、美人の御姫様を
八房(はつふさ)(家で飼ってい
た愛犬)が敵の首を取って
伏姫(ふせひめ)をお嫁さんに
してしまう。
姫を好きな武将の金鉄碗大輔
が助けに撃った弾が伏姫に当た
り死んでしまう。
そのときに、伏姫は、犬の八房
との間に子供をみごもっていた。
撃たれた拍子に、伏姫の体から
「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」
「悌」という文字が浮き出る8つの珠
をそれぞれ持つ、
8人の子供が日本中に散らばる。
そこで撃った武将が出家して
八犬士を探して回るストーリー。
金鉄碗大輔は、
「これから伏姫と私の間に、いろん
な苦難が訪れるだろう。それは
私たちの絆を深めるための試練と
受け止めよう」
たくさんの苦難が訪れることを、
先に予言しているんだ。
間違ったといえ、自分で自分の
愛する人を撃って殺してしまった
わけだから。
にもかかわらず、これはもはや
自分とこの世にはいない伏姫と
の純愛の一つの試練のはじまり
だというふうに考える。
そう考えると、
たとえば恋人とけんかをしている
とするじゃない、
このけんかも、2人がより絆を
深める試練にしよう、って考え
るんだ。
僕たちはいつまでつきあえるか
わからないという考え方でいる
んじゃなくて、
僕たちはもう死ぬまでつきあ
おう。
その途中でけんかもきっとする
だろう。
一生つきあおうというスタンスで
つきあっていると、やっぱり違う
と思う。
八犬伝では、最後の一人は、
人を助けるため、目印の珠を
割ってしまう。
その珠のない最後を探すけど
人が出会うということは、目印
じゃないということ、
珠は目に見えるものだけど、珠が
あるから仲間だと信じてもいけ
ないし、珠がないから仲間じゃ
ないと思ってもいけない。
指輪のような目に見えるもの
ではなく、
結局、目に見えない人間の
”絆”がテーマになっている。
毎日顔を合わせて一緒にいる
ことだけが、絆では決してないと
いうこと。
どんな元気な人でも、
元気でない時があります。
元気でないときに、
「元気でない自分」を自分で
許せなくなると、
ストレスになります。
でも、他人や自分が思い込
んでいる自分を、24時間、
演じ続ける必要はないのです。
皆の中にいる時と、自分一人で
いるときが同じでなくてもいいの
です。
「優しくない自分」「意志が弱い
自分」「だらしない自分」「ネガティ
ブな自分」「やる気のない自分」
も時には認めてあげましょう。
プロレスだって、反則は3秒まで
許されるのです。
ボクシングもそう(笑
紳士のスポーツ、ゴルフでさえ
「OK」というルールがあるので
すから。
元気な人ほど、疲れます。
元気を回復するために、元気で
ない時間、一人泣いたっていいの
です。
「前向きでない自分」も
時に認めてあげましょ。
人間が生きていくうえで、予
測できたときに、予測できる
ことを確認しても始まらない。
予測できたときに、想像通り
になる人生は、やってみる必要
はない。
想像できないものがあったとき
に、想像できない何かをやって
みて初めて、
「ああ、こうなるんだ」ってわかる。
それが人生なんだ。
内容を知っているストーリーを
読んで、おもしろいかなぁと
いうこと。
結論を知らないから、ドキドキ、
ハラハラするわけで、ピンチが
あって、それを乗り越えるから
いい、
そういうもんじゃないだろうか。
「世間の常識が」とか「世間の
目が」とか言うけど、そんなも
のも最初からないんだよ。
やってみたら、なんでもありな
んだよ。
※人生は選択の連続なんだ。
ハムレットの「To be or not
to be ~」
「生きるべきか、死ぬべきか、
それが問題だ」
つかこうへい流なら
「日和(ひよ)るめぇか、
日和らざるめぇか」
いくつもの災難に見舞われ
たら、「もうこれ以上悪くなら
ない。あとはよくなるだけ」と
考え、事の成り行きを天にま
かせる気持で生きましょ。
この世は、「光と影」「水と影」
「火と水」「昼と夜」「晴天と雨
天」「誕生と死」「右と左」と
いった具合に、すべて陽と陰
の関係で成り立っている。
永久にどちらか一方だけに
片寄ることはないし、
災難に立てつづけに見舞われ
たなら、今度はとても大きな幸
運に向かって展開していく、
不幸のどん底に陥ったときこ
そ、
「これからは幸福の頂点に向か
って突き進むだけ」と考え、
ゆったり構えましょうよ。
「希望」の光が、自分の行く先を
照らしてくれるんだから。