舞い落ちる枯れ葉のよ
うに、甦る。
右腕を荷物のように
ぶらさげて
肩を抱かれし雨の夜遠く
女の幸せやドラマは、
恋にしろ結婚にしろ
男との関わりにおいて
の哀歓。
が、男の人生は、女との
関わりと関係なく翔んだり、
泣いたり、戦ったりできる
という違いがある。
男にとって女は、人生の
華(あい)であり、
エネルギーであるけれど、
女にとって男は人生その
ものである。
結局、女は愛する自分の
姿を求めてさまよいつづ
け、男は次に戦う対戦相手
を求め続ける。
そんな大人の男女が、
どうつっぱろうと、た
そがれ近くなれば夕月を
待つ男心、深夜になれば
朝陽を待つ女心の本音で
は。
たとえどんなに悩んでいても、
たとえば何かショックを受け
て茫然と街を歩いていても、
ふと風に乗ってきた香りに
心が一瞬ぐらついてしまう。
(みたらし団子、どっかで
焼いてる。)
香ばしいお醤油の香りに、哲学
していたことも、茫然としいて
いたことも、頭から一瞬姿を消す。
ああ、また生きていけそう。
こんな瞬間に、私は自分の生命を
感じている。こんな瞬間に復活
してしまう自分が大好きだ
【すぐれた人と凡庸な人の違い
は受け入れ姿勢の違いにある】
ある職業を喜んで、さらに心から、
受け入れた場合と、その同じ職業
をいやいやながら甘受した場合とで
は、実際に大きな違いがある。
すぐれた会計係と凡庸な会計係、
すぐれた大工と凡庸な大工との
違いはすべてこれである。
「自分のような人間でも、ひろっ
て使ってくれる会社があった。
嬉しい」といって働く人と
「本来はオレのような才能のある
人間が働くような職場ではないが、
しょうがない、勤めてやっている」
と考えて働く人と比べたらどうだ
ろうか。
仕事の取組み姿勢も、仕事のでき
ばえも違っていて当然のことでは
ないだろうか。
職業や職場に対するこうした意識
の違いは、新入社員のうちはあま
り大きな差にならない。
しかし五年、十年たつと取り返し
のつかないほど大きな差になる。
どんな仕事にも奥行があるもので、
一つのことをマスターするとまた
自分の知的収穫に刺激されて
次のことを覚えたり、試したく
なるというようにできている。
誰かが「仕事の報酬は仕事だ」
とうまいことをいっていたが、
そのとおりである。
やっているうちに面白くてたま
らなくなる。
こうやって楽しんで、そのうえ
月給をもらうのだから悪くない。
この人は二重に報酬をもらって
いることになる。
これをくりかえして何年もたつと、
当然明らかに違いがでてくる。
仕事を楽しんでいる人にはいつの
まにか豊富な知識や技術、経験が
身につく。
上司からも仲間からも頼られる
人間になっている。
仕事を心から喜んで受け入れた
結果である。
これに対して平凡なビジネスマン
はこんなふうにいう。「オレは月給
ぐらいの働きはしている」。「会社
の体制をもっと良くしてくれなきゃ
仕事がやりにくくて困る。おまけに
「オレはプロだ」などとうそぶく。
なにがプロなものか。他の仕事は
できないというだけのことではない
か。
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人は
相手の自分に似ているとこ
ろ 好きなところを
選択的に見て近づき
似てないところ 嫌いなとこ
ろを
選択的に見て 離れていく
どちらの時も相手は同じだ
ったのに
好きになるために自分をだまし
嫌いになるために自分をだまし
ている
恋をしないように努めることも
できるし
恋をするように自分をしむける
こともできる
そのことがわかっていて
どうして
才能を
見つけてくれる人に、
人は動かされる。
自分の部下を「あいつはダメだ」と
言う上司は、人を動かすことが
できません。
上司の仕事は、自分の部下がダメ
かダメでないかを判断することで
はありません。
ほかの人がダメだと言ったとして
も、その部下の才能を何か見つけ
てあげるのが仕事です。
これは、プライベートでも、恋愛
関係でも、まったく同じです。
人間は自分の才能を見つけてくれ
てもらう喜びが、やる気になりま
す。
その見つけられた才能を使う喜び
が、人を動かしていくのです。
咲けば必ず散るのが花の
運命だ。
美しければ美しいいほど、
散るのはさぞ辛いことだろ
う、と思うのが人の心だが、
花の心は、どうやらそうで
もないらしい。
堂々と花ひらく薔薇。散る
ことを前提としていながら、
こんなにもいさぎよく、明
るく、美しい。
これまでの自分の生き方は
散ることを怖れて、咲くこと
をためらっていなかっただろう
か?
散ると決まったわけでは
ないときにも、一歩が踏み
出せないことがあったので
はないだろうか?
花は生きている、これからは
違う生き方を選んでいきたい。
『ためらひもなく花季(はなど
き)となる黄薔薇
何を怖れつつ吾は生き来し』