子供のころの自分と比べると、
いろいろ無くしたものがある。
中でも最も大きなものは、
無邪気さかな。
音楽って、その無邪気さ
みたいなものかもしれない。
一旦、別れてまた合流する川の
ように、彼女の中から懐かしさ
が溢れ出す。それは長く忘れて
いた感覚で、出会いの頃の息苦
しいほどのときめきを伴って
いる。
帰って来たのは私の方だと彼女
は気付く。男に初めて会った、
あの日の自分に。
肩の力がふっと抜けた。喜びが
体の筋々に伝わって、ゆっくり
筋肉を弛緩させてゆく。
涙に濡れた顔が和む。舌が甘や
かな言葉を紡ぎだす。
かけひきなど意識せず
自然体で恋はしたい
と思うものの 素のままで
心をぶつけ合うと
よじれた部分も 生まれてくる
時には 化粧も必要だろうか
素のままで、
疲れない恋になるには
ある熟練と
よじれる心を 積み重ね
解き放つまでの 長い 長い
時間を経ていくのだろう
小休止といっても
余裕のある心でなければ
迷うだけの
うつろな時間に なってしまう
それでも 積み重ねたら、
いつか 実になる日が
来るのだろうと・・・・・
そう思って
ひとりの夜を
いやおうなく過ごすのもいい
運の悪い人は夜道を歩いて
突き当たると、右か左に
曲がってしまう。
このとき突き当たりが門であ
ることに気がつかない。
最悪の場合、自殺してしまう。
なぜでしょうか?
下を向いて歩いている人が
ほとんどだからです。
天地人、星・太陽・月(朝昼
晩)、老壮青、・・・・・と、
人生にかかわることはほとんど
三分割。
そして大事なことは、常に”中”を
重要視する心といわれている。
たとえ過去は富裕層に属してい
たとしても。。。
作家のアンドレ・ジットは
「狭き門」という美しい作品を残
しています。
「狭き門から入れ。亡びるに至る
門は大きく、その路は広く、
ここに入る者は多い。
生命に至る門は狭く、その道は
細く、これを見つける者の
少なきことよ」
これは新約聖書マタイ福音書
の一節を引用。
一般には楽な道をとるより
努力を要する道をたどるほうが、
その人の真価がわかります。
例えば、
雨の日だからチャンスがあると
思い行動するかどうか!?
「叩けよ、さらば開かれん」
いずれにせよ、自分に合った
門から入ればよいのです。
好きな人がいたら、勇気を奪って
告白をしましょう。
成功するか失敗するかわか
りませんが、
動かなかったら成功のチャンス
はゼロではありませんか!!!
靴音を響かせて、歩いていく
わたし。地上は曇りでも、雲の
上にはいつだって、コバルト
ブルーの空が広がっている。
きっと、そんなことを思って
いたはずだ。
もうすぐ、彼に会いに行く。
あの空を飛んで。海を渡って。
時の壁を突き抜けて。
あと四日、四日後の金曜日。
わたしの背中にはすでに、
翼が生えていた。
詩音ちゃんへ
メールありがとう!ビック・
ニュースでした。
朝一番に読んで、思わず
「やったぜ~!」と雄叫びを
あげました。
すぐに返事しなければと思い
つつ、ゆうべはへろへろに
疲れて、学校から戻るとその
ままぶっ倒れてしまい、
気がついたら今朝になって
いたという次第です。
さっそくですが、日程のこと
了解しました。
※ ※ ※
詩音ちゃんへ
僕も大急ぎで返信。
たい。大歓迎です。
うちでよければ好きなだけ、
お泊り下さい
ただし、身の安全は保証しません(笑
※
メールだから、書けた。「停めて下
さい」なんて。
電話とか、面と向かってでは、と
てもそんなこと、言えなかったと
思う。
「声がすごく聞きたいと思った」。
その一行に、ふっと手を取られた
ような気になっていた。
ふっと手を取られて、そのまま海
の深みまで、引き込まれてしまい
たい。本当の恋人同士に、なりた
い。これまでのわたしと、今のわ
たしと、そしてこれからのわたし。
あるがままの女を、あのひとに
明け渡したい。
願っていた。気持ちだけではなく
て躰でも、つながりたいと。
すべてを差し出したいと、わたし
は飢(かつ)えていた。
あのひともそれを望んでくれてい
る。そう確信していた。
二十二歳の夏。信じていた。二十
二歳の確かさと脆さで。
わたしたちはお互いに、求め合って
いると。
いつまでも夢だけ
見て生きていられるも
んじゃないよね。
夢を見させてくれる人より
ちょっと強引でも肩を抱いて
「アイシテイルヨ」ってささや
いてくれる相手が欲しいんだ。
一般に「肩が張る」と言われて
いたのに、夏目漱石が「肩が凝る」
と書いて以来、
「肩が凝る」という日本語が生ま
れたのだそうです。
私自身、肩凝り人種ですが、
体感としては「張っている」と
いう表現的なものでなく
「凝っている」という見えない
ところの病状を感じます。
井上陽水の最大のヒット曲
「少年時代」の中に「風あざみ」と
いう言葉が出てくるが、これは陽水に
よる造語で、植物のアザミが直接関係が
ある訳でもない。
風あざみという品種は存在せず、
「アザミ」
は元々春の季語でもある。
2番の歌詞で同じ箇所に出てくる
「宵かがり」
も同様に陽水による造語である。
~『もったいない酒』~
友がいい酒をくれた。
心遣いが、もったいない。
飾っておくのは、もったいない。
封を切るのは、もったいない。
ひとりで飲むのは、もったい
ない。
こんなにいい夜が、もっったい
ない。
こんな気分がもったいない。
もったいない、もったいないと
言いつつ、瓶(ボトル)は
いつしか空になる。
心がひきあっているなら
どんな障害があっても
自然とあゆみよっていくもの
です
そこには
内気さや躊躇や策略は
はいりこむスキがないのです
どうしてもすれちがってしま
うとか
相手を思いやるばかりに強気
にでれないというのなら
それはやはりお互いに
それほど求めあっているのでは
ないのでしょう
恋する少女を力づけるどんな
言葉もありません
彼があなたを心の底からほし
がっているなら
あなたがあれこれ考えるヒマ
もないほど
あっというまにさらわれてい
るはずなのです