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鞦韆は、ぶらんこのこと。意味は
同じでも、語感はずいぶん違う。
「ぶらんこ」というと、それに
乗って遊ぶ子どもの可愛らしい
イメージがセットでついてくる
ような感じがするが、「鞦韆」と
いうと、もう少し硬質で大人の
物思いに寄り添うようなイメージ
がある。
ぽつんとある鞦韆が、風に揺れる
さまは、不安定な心にも似ている。
我自身の心が、今ゆらゆらしてい
る。その動きは、下の句の意味す
るところの象徴でもある。
前にだけ揺れる鞦韆はない。前に
揺れたら、その勢いで次は後ろに
いったら、今度は前に向かう。
人を傷つけたら、そのことによっ
て自分も傷つく。たとえば別れの
決意を相手に告げるとき、深く愛
しあった人であればあるほど、心
は痛むだろう。
後ろにいったら、今度は前へ向か
う。人に傷つけられたときは、そ
のことによってたぶん相手も傷つ
けている。そして結局落ちつくと
ころ、プラスマイナスゼロの地点
だ。
「自分がいやなことは、人にしな
いようにしましょう、と言います
よね。これはもっともなことです。
ただ、世界中の人がそのようにす
れば、世界は平和になります。
というのはどうでしょうか。
きれいごとですね。自分がいやで
なくても、人がいやなことという
のは、いくらでもありますし、も
ちろんその逆もある。そういうと
ころから、人は傷つけあってしま
うとうことを、きれいごとでなく
教えなくてはならないと思います」
自分は、あんなことこんなことで
傷ついてきたけれど、相手はそれ
ほど意識していないかもしれない。
そして同じように自分もどこかで
誰かを、そんなことこんなことで
傷つけてきたのだろう。まあ、そ
れをトータルすればプラスマイナ
スゼロってところかな・・・・。
「ほど」という語には、そんな
ニュアンスがある。