いろんな糸が切れてきた、ここに来てから。
タイに来てから色々と自分のふがいなさに悩んできて、解決策を模索しようとしたけどもう止めよう、そう思えたそんな瞬間だった。なぜか妙に殺気立っていた。何かをしないと、そんな強迫観念にずっと追われていた。でもここにきてようやく分かったんだけど、もっと今ということを、この一瞬をもっと楽しもうと思う。これって一年ほど前に友達とやった、神奈川~京都の自転車旅行の時に似ているのかもしれないって改めて思った。最初はずっと殺気立っていて、毎日どれだけ走ったか、どこまで行けたかということしか意識してなかった。そうするとスタートとゴールだけが意味があり、その他の走行はそれにいたるだけのプロセスになってしまっていた。それだと本当に苦しいし、つまらない。そしていよいよその不満が中間地点の名古屋で爆発した。もう一度、友達と一日休みをとって、その自転車旅行を違った視点から捉えてみた。また高橋歩氏の本もあり、もっとそのプロセスも思いっきり楽しもう、そう考えるようになった。それからは知らない人に話しかけまくり、あえてスリルのある道を遠たったり、本当に面白くなって仕方がなかった。重要なことは肩の力を抜いてやりたいことをやってみることである。そんなことを実感した一年前だった。
そこから月日が流れ、今はタイで講義と研究を中心としたインターンをしている。僕はタイの大学の費用で来ている以上何かをしないと、そんな強迫観念に追われていたのと、カルチャーショック(?)などから、妙なストレスを感じていた。また講義では現地の学生を驚かせるぐらいのものを作らないとずっと考えていた。周囲の環境の違い、言葉が通じないことへのいらだち、そしてチームワークから来る疲れが、いつの間にかさらに余計な力を加えていたのかもしれない。でも一緒に来ているタイの友達や担当の先生にも本当にいつも温かみと笑いをもらっている。また一緒に来ているドミニカの友達がいつも「リラックスしろよ、ヤス」。そう言ってくれて少しずつ緊張の糸も解けてきた。特に彼にはいつも世話になっているし、シンシナティ大学に来てから一番影響を受けている友達だと思う。そんなイコは日本では考えられない紆余曲折の人生を歩んでいる。高校を卒業したらパークレンジャーとして働き、その後、何かの機会でかテレビのスターに、その後22歳で大学に入り建築を学び始めて卒業、その後は忘れたけど、30歳前後でひょんな機会からマスターを習得しながら大学で教鞭を撮っていて、また同時にドミニカの環境省で仕事もしていたという。またラジオショーのコメンテーターもやっていたとのこと。それからフルブライトをもらい、シンシナティ大学へ。彼と最初に会ったのは、クラスではなくシンシナティ・レッズの試合会場、たまたま席が隣同士だったというキセキ。また一緒にタイに来たのも、本来のメンバーの一人が辞退したからという、キセキ2。彼に出会ってから僕の人生観が崩れようとしている。良いかどうかは別にして、今までよりもさらに考え方がフレキシブルになってきている。もっとチャンスに対して敏感になっている気がする。そして今という一瞬をもっと楽しもうとしている。そんな貴重な仲間に会えて本当に良かった。イコは夜の12時を回ってもまだタイの大学のオフィスで作業している、僕の横で。本人には言えないけど、本当に感謝、感謝。さーて、次はどうやって楽しもうかな。
それと以前にタイの大学の副学長と対談した時の写真が大学のHPに掲載されたので、しっかりやっているという近況報告として。-MSUnews-
タイに来てから色々と自分のふがいなさに悩んできて、解決策を模索しようとしたけどもう止めよう、そう思えたそんな瞬間だった。なぜか妙に殺気立っていた。何かをしないと、そんな強迫観念にずっと追われていた。でもここにきてようやく分かったんだけど、もっと今ということを、この一瞬をもっと楽しもうと思う。これって一年ほど前に友達とやった、神奈川~京都の自転車旅行の時に似ているのかもしれないって改めて思った。最初はずっと殺気立っていて、毎日どれだけ走ったか、どこまで行けたかということしか意識してなかった。そうするとスタートとゴールだけが意味があり、その他の走行はそれにいたるだけのプロセスになってしまっていた。それだと本当に苦しいし、つまらない。そしていよいよその不満が中間地点の名古屋で爆発した。もう一度、友達と一日休みをとって、その自転車旅行を違った視点から捉えてみた。また高橋歩氏の本もあり、もっとそのプロセスも思いっきり楽しもう、そう考えるようになった。それからは知らない人に話しかけまくり、あえてスリルのある道を遠たったり、本当に面白くなって仕方がなかった。重要なことは肩の力を抜いてやりたいことをやってみることである。そんなことを実感した一年前だった。
そこから月日が流れ、今はタイで講義と研究を中心としたインターンをしている。僕はタイの大学の費用で来ている以上何かをしないと、そんな強迫観念に追われていたのと、カルチャーショック(?)などから、妙なストレスを感じていた。また講義では現地の学生を驚かせるぐらいのものを作らないとずっと考えていた。周囲の環境の違い、言葉が通じないことへのいらだち、そしてチームワークから来る疲れが、いつの間にかさらに余計な力を加えていたのかもしれない。でも一緒に来ているタイの友達や担当の先生にも本当にいつも温かみと笑いをもらっている。また一緒に来ているドミニカの友達がいつも「リラックスしろよ、ヤス」。そう言ってくれて少しずつ緊張の糸も解けてきた。特に彼にはいつも世話になっているし、シンシナティ大学に来てから一番影響を受けている友達だと思う。そんなイコは日本では考えられない紆余曲折の人生を歩んでいる。高校を卒業したらパークレンジャーとして働き、その後、何かの機会でかテレビのスターに、その後22歳で大学に入り建築を学び始めて卒業、その後は忘れたけど、30歳前後でひょんな機会からマスターを習得しながら大学で教鞭を撮っていて、また同時にドミニカの環境省で仕事もしていたという。またラジオショーのコメンテーターもやっていたとのこと。それからフルブライトをもらい、シンシナティ大学へ。彼と最初に会ったのは、クラスではなくシンシナティ・レッズの試合会場、たまたま席が隣同士だったというキセキ。また一緒にタイに来たのも、本来のメンバーの一人が辞退したからという、キセキ2。彼に出会ってから僕の人生観が崩れようとしている。良いかどうかは別にして、今までよりもさらに考え方がフレキシブルになってきている。もっとチャンスに対して敏感になっている気がする。そして今という一瞬をもっと楽しもうとしている。そんな貴重な仲間に会えて本当に良かった。イコは夜の12時を回ってもまだタイの大学のオフィスで作業している、僕の横で。本人には言えないけど、本当に感謝、感謝。さーて、次はどうやって楽しもうかな。
それと以前にタイの大学の副学長と対談した時の写真が大学のHPに掲載されたので、しっかりやっているという近況報告として。-MSUnews-