Carpe Diem

シンシナティ大学で都市計画を勉強していた、ある大学院生の物語。現在はマンハッタンで就活。

Shanghai-Cincinnati 2

2012-08-24 09:32:47 | daily life
上海からバンコク行きの便には予想以上に多くの日本人が乗っていた。
もちろんビジネスマンのような人もいたけど、その他はみんな学生のような感じだった。
学生ような人たちのほとんどは数人か、または一人とかで大グループでの学生はあまり見かけなかった。
みんな若いのにしっかりしてるなぁと少し感心してしまった。

それはともかく、僕の飛行機の席の隣りの窓際の席も偶然日本人の女の子だった。
彼女は僕が座ろうとするのをしっかり確認してから、飛行機が飛び立つ前に眠りに就いてしまった。
すごい疲れているのだろう、それとももう飛行機にたくさん乗っているせいであまり外の風景に興味はないのか。
そんな風に少し興味が沸いてきた。
いつも僕は飛行機に乗る前は疲れきっているせいで、乗ったらすぐに寝てしまう方なのだけど、
その日は前日にしっかり寝ていた為に珍しく目が覚めていた。
他に離陸時にやることもなかったのでずっと外の方をぼうっと眺めていた。
僕が生まれた場所である上海をたぶん1年以上は訪れないのだけど、なぜか懐かしさといものは不思議となかった。
それより外の曇っていた上海のそらは僕にぶっきらぼうな表情をしていたようにさへ見えた。
今度また来るのはいつかわからない、でもそんなことは気に留まらなかった。

飛行機がそらに舞い上がり、しばらく時間が経った。
どのくらいだろう、早々と機内食が運び出された。
もう夜の9時頃だろうか、それなのに機内が急に慌ただしくなった。
フライトアテンダントが機内食をてきぱきと乗客に手渡す。
そして乗客も何かにかられたかのように急いでそれを食べ始める。
そんな時に隣の席の女の子がフライトアテンダントになかば強引に起こされて、機内食を手渡された。
彼女はまだ頭がぼうとしているせいか、手渡された機内食をしばらく眺めていた。
そして中から食べられそうなものを見つけ、少し食べてみる。
けど口に合わないのだろうかすぐに食べるのを止めてしまった。
なかから中国のスナックを見つけ、不思議そうに眺めていた。
そこで僕はそれがクルミであるということを教えた、そしてけっこうおいしいとも。
彼女はそれを一口食べてみて、「うーん」とうなって、食べるのを止めた。

それをきっかけにそれから2、3時間バンコクの国際空港に着くまで色んなことを話した。
正直なところ僕が一方的に話していただけな気がするけど。
彼女は日本の大学の3年生で、夏休みを利用してバンコクに2日、そしてデリーに3日滞在するとのこと。
ホテルはもう旅行会社に頼んであるから大丈夫なんだとか。
あとは行く所は自分が行きたい所を回るだけみたい。
ただバンコクでどこに行くのって聞いたらまだはっきりしていないみたい。
僕よりも大雑把な性格に正直驚いてしまった。
そんなこともあり、2か月間タイにいたので色々とおすすめのところを教えた。
それがいつの間にか僕のタイの2か月の思い出話になってしまい、ずっと彼女はうんうんって言って聞いていた。
後から思い出して少しだけ反省。
そんなこんなで2時間が経ってしまい、目の前にはバンコクの国際航空が。

機内アナウンスが流れ、今まで寝ていた人たちが次第に起き始めた。
彼女はずっと近づいてくるバンコクの国際航空を眺めていた。
始めての海外の一人旅で不安なんだろうか、ずっと無言のまま窓のそとを眺めていた。
数十分後、飛行機は無事に空港に着陸し、僕たちは荷物をとって別々の方向に別れた。
そして僕は次のヘルシンキ行きの飛行機に乗る為に、その空港で翌朝を迎えた。







Shanghai-Cincinnati 1

2012-08-24 08:13:49 | daily life
上海での休養(と、そして自分探しの)1週間が終わった。
そしてこれから大学のあるシンシナティへのおよそ3日間の旅が始まる。
まずは上海からバンコクに、そしてバンコクの空港で一休みして朝の便でヘルシンキへ。
ヘルシンキではちょうど一日ストップオーバーして、そこからニューヨークへ。
最後はそこからシンシナティ行きの夜行バスへ。
そして1日休んだ後、クラスが始まる。
特にヘルシンキでは泊まる宿も、行く所もまだ決まっていない。
まぁ急がず直感で泊まりたいところ、そして行きたいところを決めたい。
何も決まってないことに少しの不安と、それ以上の期待がある。
この72時間の旅の過程をインターネットが繋がるところで実況していきたい。
(インターネット接続も問題と、あと時差の関係があるので、日程を書いておきます。)
8/22_21:09@Shanghai




Day by Day

2012-08-13 14:37:29 | daily life
ホステルでの出会いについて前回の記事で書いたが、今回はタイでの卒論のことについて触れようと思う。
僕の卒論の内容はタイの最大のスラムと言われているクロントイ・スラムに注目して、
近年行われたSlum ImprovementであるBaan Mankong Programの結果を評価するというもの。
アメリカで実際に勉強したかったのがスラムだったので実際にやりたいことができて、毎日がとても充実している。

でもタイという異国で、タイ語もしゃべれず、コネクションもなく、データを収集するのは結構大変だ。
まず環境が違うので、日本やアメリカで当たり前だと思っていたメールを送ったらしっかり返信が返ってくるという
常識が全く通用しない。何日待ってもインタビューのお願いのメールは一向に返ってこない。
そしてタイ語が話せないと(そして理解出来ないと)扱える情報が限られてしまい、情報量が圧倒的に少ない。
コネがないと、インタビューのお願いをしてもうまくアポイントメントが取れない。
正直、この2週間ほどの論文の情報収集は予想以上に多くの失望と少しの希望とで成り立っている。
情報を提供してもらえるという局面で、手続きが遅れたり、情報が手に入らなかったりしている。
そのため、何度も情報が得られそうなNGOや会社にお願いしに訪問に行ったりしている。
そしてたまにこれは行けるのではないか、そう思うときもまた予想はずれだったり。

本当に毎日が、毎日全く違った一日だ。まったく刺激とスリルには事欠かない。

結局、あと数日でタイを離れるのだけど、本当に一番重要な情報がまだ手に入っていない。
上海に行く直前にインタビューが二つ入っていて、そこでその情報が手に入るかが鍵となっている。
今ある情報だけでも卒業する為だけの卒論だったら十分だけど、ここまで来たのだから妥協はしたくない。
最悪のケースはテーマをアメリカの都市計画に変えることかもしれない。
でも、せっかく多くの心ある方々に協力してもらったのでぜひ結果を出したい、それでどうにか踏ん張っている。

僕は何をやるにしてもいつも、最後の最後で重要な局面が待っていることが多い。
そうなったら本当にいかに小さな希望を最後まで持っていられるか、
どれだけ周到に準備ができたかの2つが大きく勝負を分ける。
ただただ自分の意地と、周りの人たちの協力でどうにか希望の灯火が残っている。
次の週がどうなるか、また明日がどうなるか、全くわからない、そんな日々だ。











Hostel Bangkok

2012-08-11 17:40:34 | daily life
バンコクで修論を書くためにhostelにしばらく、2週間ぐらい泊まっている日々が続いている。
そしてあまり予算にも限りがあるので、8人で一つの部屋をシェアしている状態だ。
ここに泊まるのは主にアメリカやヨーロッパからのバックパッカーが主で、
その中の多くが数ヶ月間かけてアジアの放浪の旅に出ている人たちばかりだ。
もちろん中にはボランティアや、小旅行、そしてビジネスで利用する人もたまに見かける。

2週間もずっと同じ部屋に泊まっていると面白いことがある。
色んな人が来ては、そして話をして友達になったかと思ったらすぐに次の日にはもういなくなってしまう。
たまにまるで人生の出会いと別れが、まるで新幹線に乗っているかのように瞬時に繰り返していく。
まるで映画「Stand By Me」の最後の台詞のようだ。
みんながそれぞれの目的をもって旅を続けている中で、たまたま出会ったのが今僕が滞在しているホステル。
ただその共通点があるだけで、他は国籍も、年齢も、そして目的も全然異なっている。
そんな人たちがただ今日という一瞬の時の中で話をし、人生の一瞬だけを一緒にすごしている。
もちろんそれぞれの母国語は違うからみんな上手でも下手でも英語を使って話している。
ここでは自分からいかないと出会いも別れも待ってくれない。
せっかく友達になった人との別れは寂しいけど、それを恐れているとせっかくの出会いのチャンスを失う。
ここでは日本でありがちなお互いの間のお互いの間の見えない壁みたいなものはほとんどない。
いま話さなければ、いま友達にならなかったら、もう次はないかもしれないから。
僕は、そして自分と違った環境で生活している、そして異なった考え方を持つ人たちと”何か”をシェアしたい。
でも不思議なことに性別が違っても、年齢が違っても、国籍が違っても、本当に心が通じる人は一瞬。
たった一時間ぐらい話しただけで何かが繋がったと感じる時がある。
その時の感動をしっかりと大事にしていきたい。

本当にここでの体験はまるで人生の縮図を体験しているようだ。
人生の中で、1年単位で繰り返す出会いと別れがここでは1日単位で行われる。
ただ人生でもホステルでもただ一つだけ同じものがあるとすれば、
目的は違ってもお互いの人生の中で同じ時間と場所を偶然シェアしたという事実だけ。
そして僕ももうすぐこのホステルから出て行く。






positiveな感じで

2012-08-04 17:17:34 | daily life
先週からずっとタイのスラムについて修士論文を書くためにずっとバンコクで、
インタビューや、資料などといった情報を収集している。
僕にとってはタイ語が分からないことや全くと言っていいほどコネクションがないなどのこともあり、
なかなか情報が思うように集まらず、うまく書き薦められていない状況である。
もし必要な情報が集まらなければ最悪のケースではテーマをアメリカの都市計画に変えて、
最初から書き直さなければならない。しかもタイムリミットはあと1週間、結構ぎりぎり。
十分に情報が集まるかどうか、次第に自分にプレッシャーがかかっていく。
そして全く予想通りに行かなくなると次第にモチベーションが下がっていく。
それと同時に色々と他の問題も起ると、もう自分が一体何をやっているのか分からなくなってくる。
ネガティブのサイクルが始まっていく。

そんな時に僕は友達のイコの紹介で、彼の友達と出会っていろんなインスピレーションを受けた。
彼女もドミニカ生まれで、ドミニカの大学卒業後にフルブライトの奨学金をもらってアメリカの大学院に留学。
そして10年で世界の10億人に影響を与えるという目標でSingularity Universityで10週間ほどの訓練を終え、
現在は仲間と一緒にアメリカで起業している。
僕とはそんなに歳も変わらないのに、知識、とくに政治に関する知識がすごく、将来ドミニカ共和国が
しっかりとした国民も含めた政治をするにはどうすればいいかということを話してくれた。
今までの政治体制とは違った、全く新しい政治に向かっていかなければならないという彼女の意見はとても新鮮だった。
でもそれより、僕にとって興味深かったのは彼女の思考だった。
僕も含め、多くの人は何か(特に仕事)をする時は恐怖心やプレッシャーによってしているのではないだろうか。
上司に怒られるという恐怖心、〆切に間に合わないというプレッシャーなどなど。
でも彼女にとって仕事はまるで遊びのように本当に自分がやりたいからやっている、そんな感じだった。
自分で会社を持ち、自分のしっかりとした目標があり、それを達成するに考え、行動している。
起業家というと僕はすごいプレッチャーの中苦労して働いているという印象があったが彼女はまったく正反対だった。
ただただ多くの可能性に対してポジィティブで話している間に一言もネガティブな言葉を聞いた覚えがない。

彼女と話していると僕も勉強や余暇も今までのようにnegativeな恐怖心や、プレッシャーで自分を動かすのではなく、
もっとpositiveな好奇心や、楽しいと言ったpositiveな気持ちでスタートしたいと思った。
そしてどんな失敗や、うまくいかないことがあってもそれは成功する為の鍵だと信じよう。
ゴールする道のりで色々な外的や内的な要因でうまく行かないことがあっても、
軌道修正しながら最後のゴールをしっかり見据えながら進んでいこう。
そして分からなくなった時は別のことをしながら自分は本当に何がやりたいのか考えてみよう。