山形県酒田市中心部に伝統ある県立酒田商業高等学校は、平成24年の高校再編で移転を余儀なくされた。広大な跡地利用は酒田市の大きな課題となっていた。検討の結果、複合型商業施設「いろは蔵パーク」として、この程一部をオープンした。
約2万1000平方メートルの敷地に、鉄骨平屋建てのA館とB館が建設されている。先日オープンしたA館は、売り場面積で東北最大級の雑貨を扱う「無印良品」がテナントで入り、いか恋食堂、カルディコーヒー、アイウェイブランド、薬局、近くの山居倉庫から移転した観光物産館「酒田夢の蔵」には、地元の菓子や酒などが所狭しと並んでPRしていた。まだオープンされてないB館には地元スーパー「ト一屋」が4月中には入ることになっている。
何といっても存在感があるのは、商業高校、工業高校を見守ってきた「欅」の巨木の存在である。庄内園芸で手入れされた古木はどっしりと鎮座して、この商業施設を見守ってくれるだろうと思う。環境の変化に負けない古木であって欲しい。
高速道路と高速鉄道に見放された庄内は、空港は一県一空港の原則を乗り越えて、庄内空港が1991年に開港となった。当初は大阪空港、千歳空港、羽田空港の3路線だったが、現在は羽田空港のみとなり1日4便、繁忙期は5便飛んでいる。観光目的の国外チャター便が増え、国際ターミナルの増築が始まろうとしている。
庄内空港は「おいしい庄内空港」との別称もあり、「庄内にはおいしい特産物が豊富にあるよ」と宣伝している。そんな中、庄内地域の食品会社6社が「うまいものフェアーin庄内空港」を空港内で開催、大盛況となった。文字通りうまいもの限定品である。豚肉、イカなどの特産品を使った加工品や漬物、菓子などが、所狭しと並び賑わっていた。昨年の秋には北海道フェアに成功しており、今後の弾みになりそうな勢いだ。
庄内空港は、車で酒田市から20分、鶴岡市から20分の身近なインフラである。
「楯野川酒造」は、私の近くを走る国道345線の沿線沿いにある普通の酒造会社である。いつも見慣れた場所であり特別の感傷はなかった。だいぶ前の話だが東京に住む長男が帰省の折「楯野川」は東京で人気がある酒だ。気になるらしく酒造会社を訪問した事があり少しは気に留めていた。
先般、私の叙勲祝賀会の反省会があった。そこでプレゼントされたのが「楯野川百光」だった。せっかくだから家の晩酌にと思い試飲をした。そしたら、今まで味わった事のない洗練された優雅な味に度肝を抜かされた。早速パソコンで調べてみた。720mlで3万円もする酒で、酒米は「山形県産雪女神100%」を使用し、精米歩合が18%、アルコール度数15%に仕上げたものと分かった。
楯野川酒造を調べると、天保3年(1832)に上杉藩の家臣が庄内を訪れた際、水質の良さに驚き酒造りを始めたと書いてある。現在まで6代も続く蔵元である。2010年からは、製造する全ての日本酒を純米大吟醸のみとし「全量純米大吟醸の蔵元」になったと記してある。
日本文化を代表する「日本酒の進化」は世界に広がりを見せている。
先日、マイナンバーカードの書き換えで酒田市平田総合支所に足を運んだ。カウンター前の広いスペースに土人形のお雛様が飾ってあった。素朴な土人形の風合いになんとなく親近感が湧いてくる。3月いっぱい市内各地で開催される「酒田雛街道」に合わせての展示だった。
酒田の土人形は、北前船で京都から伝わった伏見人形が原型と言われているが、酒田の土人形は鵜渡川原(うどがわら)人形と言われ独自の進化を続けてきた。農家の冬仕事として、明治の中頃から土人形は作られ、近隣に広がったものである。我が家にも、ひな人形ではないが、恵比寿様や犬、大黒様や侍などの鵜渡川原土人形がある。しかし、今は土蔵に眠っている。
子供の頃ひな祭りには、ひな壇を作って鵜渡川原人形を飾ったものだ。なぜか我が家に、お雛様の人形がなかったのが不満で面白くはなかった。いつの頃からか、ひな壇に土人形を飾る事を止めた。土人形事などすっかり忘れていたが、改めて土人形の雛飾りに触れて、素朴でキラキラしない美しさを改めて発見した。
郵便物を投函するために車で郵便局に向かった。郵便物を出すにも車が必需品とは情けない事情だが、これも仕方ない生活である。その道すがら感動の場面に遭遇した。
少し遠くに園児が集団移動する様子があったので注意はしていた。私の車はそこ通る道筋なので交差点まで進んだ。信号機が赤だったので当然車は停止した。それを確認した上で園児が道路横断をはじめた。すかさず「止まってくれてありがとうございます」全員大きな声で私に礼を言ってくれたのだ。道路は車だけのものではないことは分かっている。大きな速い「車優先」が染みついてはいないか、車を運転するものとして一考された場面だった。
以来、注意深く観察すると信号のない横断歩道で、止まって歩行者が渡るまで停車する車を良く目にする。歩行者が頭を下げて横断する姿が相互会話に見える。道路交通法はその通りなのだがこの行為が「弱者優先の兆し」の文化に昇華し始めた様にもみえる。
道路を横断するにも「身の安全と礼儀」を教え込まれた園児達が大人になった時の社会が頼もしく思えた。
山形県遊佐町は鳥海山麓の南側に広がる涌水の郷で、豊かな土壌と風光明媚な町である。鳥海山に降り積もった雪や雨が数十年かけてろ過された涌水が日本海にまで湧き出ている。
そこに、山形県立遊佐高等学校がある。日本中が人口減少に伴う少子化の波は遊佐高校も例外ではない。山形県は県立高校再編整備基本計画で、同校の様な1学年1学級の小規模高校は、2年連続して新入生が定数の半分以下の場合、原則2年後に募集停止となる。同校は2019年度の新入生が定数の半分を下回った。もう1年、半数を下回れば募集停止で廃校となる。
遊佐町は遊佐高校存続に向け、町自然体験型留学支援制度を設け、山形県で初めての県外出身の生徒募集に踏み切った。留学生は学費と食事は負担するが3年間の生活費、帰省費用は町が支給する事とした。結果として翌年の20年には5名の留学生が入学、取り合えず廃校は免れた。
2020年から5年間での留学生は延べ29人を受け入れてきた。一期生の留学生卒業者は5名、その中に名古屋出身の2名が卒業後東北公益文科大学に進学し「この地に残り貢献したい」と語り、県外の若者の定着が実現した。遊佐高を存続させた遊佐町の関係者は喜んでいる。
コメの値上がりが連日、新聞のトップページの記事になっている。冷静に分析すると、JAからの農家手取りはやっと30年前になっただけなのに、なぜそんなに目の敵にされるのか理解に苦しむ。
農家といっても千差万別で、優良農地もあるが山岳地帯の農地が圧倒的に多い。コメのうわべだけの価格の報道に、違和感を覚えるし、掘り下げた議論を紙面に期待したい。キャベツや白菜が高いのも天候のせいだと報道されている。しかし、それだけでは無い。農家の高齢化が急速に進んで、農業者の平均年齢が70歳を超えている。特に、手間のかかる農業、重い作物の農業に赤信号が灯っている。その現実から目を背けてはならない。農業の近未来を考えると背筋が凍る思いである。価格競争のみの農業のあり方は、食料から日本の弱体化が始まり、その時、もう元には戻れない実態に気づく。
価格だけではなく、農業や農村の実態を理解して共存共栄の道を進めなければ、もう5年で農業は崩壊すると肌感覚で感じている。少子化対策と同じく時間との闘いでもある。
庄内空港ビル、同2階出発ロビーの冷凍無人自動販売機による「ANA国際線エコノミー機内食メインデッシュに新たに和食の2デッシュを加えて2月から発売を開始した。同ビルでは2023年4月から冷凍機内販売機で「世界機内食シリーズ」を始めた時、発売日2日目で完売するほどの人気を見せ、同年7月、国内空港で初めて、ANA国際線用機内食を加えた。これが人気を誘い5000食売れた。
今回メニュウに加えたものは、鮭の彩どりご飯と鶏てり焼き丼。どちらも国際線で外国人に人気の商品。鶏てりやき丼は甘辛いたれとご飯がよく合い、テリヤキの言葉が浸透しつつあり、アメリカ人などに人気がある。鮭の彩りご飯は野沢菜漬け、錦糸卵が並んだ彩と、優しい味から女性の人気商品であると、ANAブルーインバサダーの佐藤菜々子さんが説明してくれた。
庄内空港の山下社長は、機内食発売以来空港を利用しないかぞく連れや地住民が足を運ぶようになった。国際線は往路で和食、復路は洋食を選ぶ人多いようだと結んだ。
機内食は街のレストランの凝縮で、まだ訪れてない海外食の香りを嗅ぐのもまた楽しいかもしれない。
今回の日本列島を襲った大寒波は一週間にも及び交通機関のマヒが続いた。連日の大雪に立ち向かう市民生活が連日報道され心が痛む思いだった。日本海側と太平洋側の地形上とはいえ明暗の違いを見せつけられた寒波だった。その中でも珍現象もある。北国酒田市は雪が降らなかった。風は強いが雪は降らない。除雪車の出動もなかった。これも地形上の自然現象なので有難いと思っている。
総務省が31日に発表した人口移動調査によると東京一極集中が加速しているとして、東京は7万9285人の転入超過で、20歳から24歳が6万4070人と若い世代の流入が目立つ。転入超過は東京圏(埼玉、千葉、東京、神奈川)と山梨、大阪、神奈川が転入超過県である。この事から、40都道府県から大都市へ若者の流出が加速を始めた事が分かる。
コロナで一時落着いた東京一極集中も、昨年あたりから加速を始めたことになる。山形県からは3千8676人が転出している。過疎と過密の問題提起は日本の大きなテーマとして議論されてきたが、地方の若者の流出は止まらない。
酒田市の夢の倶楽(山居倉庫)で「浪漫をたどる紅花展」が企画されをていると知ったので、足運んでみた。紅花染めされた反物がずらりと並び圧巻だった。河北町の染物屋で染められたオレンジ、紫の反物の他、振袖、のれんなども展示されていた。
内陸の県産紅花が最上川舟運で運ばれ、更に北前船で上方へと運ばれた歴史も解説表示されていた。物資輸送が舟だった時代の酒田の繁栄ぶりを残した展示展でもあった。
「おしん」の故郷、山居倉庫の「酒田夢の倶楽」は3月いっぱいで閉鎖されることが決まっている。山居倉庫は酒田のコメの中心基地として繁栄を築いた貴重な遺産である。米蔵の役目を終えた倉庫は文化財として保存することになっている。それで、倉庫内の展示物や物販は禁止となるらしい。多くの観光客が山居倉庫を訪れ、そこで買った酒田のおみやげ物、文化展示会などが中止となり想い出から消えてしまい、死んだ山居倉庫となってしまう。
広大な山居倉庫の使い道は決まっていない。空洞の山居倉庫を眺めるだけではあまりにも、もったいない。物販を生かした保存、生きた山居倉庫の変身は未来に歴史を産んでいくと思っている。
酒田には酒田本港と北港がある。本港は最上川の最終地点で、歴史が深い。本港は内陸と外港との交流の基点であり、文化交流を担う重要な港であった。さらに蒸気機関車の燃料である「黒いダイヤモンド」といわれた石炭の荷役場所でもあり、貯蔵所として大きな役割を果たしていた。
その役割は終わり、一帯は「酒田海鮮市場」「みなと市場」「SAKATANTO」等の施設が集約する観光エリアと変わった。山居倉庫、日和山公園等の名所が隣接し、市街地商店街へは散歩コースでもある。本港へクルーズ船を接岸させたい願望は強いいものだった。港の水深や接岸時の防舷材が不十分なため、入港は見送られていた。
山形県地方港湾審議会は、市街地に近い本港エリアに一万トン前後の豪華客船の受け入れを可能にするための岸壁の改良を盛り込んだ港湾計画を了承した。数億円規模の改良工事になると見込まれているが、早期に接岸出来るよう着工が期待されている。
豪華外国クルーズ船の十万トンクラスは酒田北港に昨年8隻入港している。酒田北港は市街地に遠くバスやタクシー等の送迎が不可欠になる。その対応は酒田市のみでは無理であり乗客への負担も大きい。本港に接岸希望の豪華客船ル・ソレアルは1万トン余りで、昨年北港に入港している。本港への一番乗りを期待している。
むかしむかし100年以上も前の話である。明治14年に漆曽根村は116戸に734人が住み、228町6反の水田を耕していた。戸長村役場時代の大きな村だった。やがて戸長村役場が廃止となり北平田村に統合された。漆曽根は村役場がある中心的な地区で,その漆曽根の南端に舟止(ふなど)の大きな用水門があった。
舟止は、山居倉庫に繋がり新井田川使って、米を運ぶ基地でもあった。大きな水門があり、子供たちの絶好の水遊び場でもあった。大正8年の耕地整理の際、「義家」の梵字のある石が見つかり、「義家稲荷神社」として建立した。その次の年に一尺8寸の大きなナマズを捕まえると、なまずの腹の中から金仏の観音像が出てきて、大騒ぎとなった。とりあえず村の実力者宅に安置し、翌年、義家稲荷神社の傍に「ナマズ観音」を建立して、同じ様に祀ることになった。それが、現在でも8月26日に漆曽根地区では「のぼり」を立て「舟止の祭り」として受け継がれている。
そこで北平田コニュニティーでは歴史を踏まえて、地区のキャラクターをナマズにして「きったん」と名付けた。今、売り込みに励んでいる。そこに、北平田小学校の恩師が詩を書き、曲をつけて「しあわせはこぶきったんたん」としてYOUTYUBEに投函した。軽快なメロディーは引き込まれる感じがする。思わず「きたんたん、きったんたん」と口ずさんでしまいそうになる。
「きったんたん」と検索すると曲が流れ映像で見る事が出来る。
山形県知事選挙が始まった。吉村美栄子知事が続投だろうとの観測は前々からささやかれていた。しかし、知事は大雨の災害復旧を最大の関心事として、自分の進退については慎重姿勢を貫いた。かつての知事選は9月議会頃に議員の質問に答える形で出馬を明らかにしてきた。自分への評価を考える時間を与える機会でもある。
今回、出馬表明をしたのは12月議会、自民党県議の代表質問に答える形で5選出馬への決意を明らかにした。自民党は山形県議会の最大会派でありながら、いつも吉村知事とは対峙した会派である。前回は「滞留した水にはボーフラが湧く」として、自民党県議が対抗馬に出馬した。しかし、完敗の苦い経験がある。及び腰の自民党県連は今回、野党から与党に鞍替えする青天の霹靂の決断をした。公明党を除いた全ての党派が支持を表面した。無投票選挙だろうと大方の県民は感じていた。
ところが、昨年暮れに事情は一変した。福島県の金山屯(83)氏が山形県知事選に出馬すると表明、告示された今、知事選はこの二人の選挙戦となっている。金山氏は「知事になりたくて立候補したのではない。現職知事にもっと県民の事を考えてほしいから」と述べている。真意は分からないが、山形県民の政治に対する警鐘の様に聞こえる。
選挙による切磋琢磨はその地域に活力を与え、地域を強くする作用がある事を忘れてはいけない。