とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

1月の知事選に自民党県連、候補擁立せず

2024年12月21日 | 日記

      山形県知事選は来年の1月9日告示の26日の投票日である。山形県知事吉村美恵子氏は豪雨災害を理由に立候補の意志は白紙としていたが、12月議会当初で、やっと立候補の意志を表明した。県民の予想通りでもあった。何故こんなに遅く意思表示したのかは闇だったが、他に立候補者の動きはない。連続5期目となる。権力者の長期多選の良否は一概に言えないが、一般的に権力が淀む弊害が指摘さている。
 山形県議会は圧倒的に自民党県議が多い。そんな中、16年前に自民党推薦の斉藤弘知事現職を破って、反自民の吉村美恵子知事が誕生した。それから4期連続当選の実績である。その中心が女性で結成されたオレンジの会だった。吉村知事は少数与党の中で「あったかい県政」をモチベーションに県民への支持が広がっていった。
 ところが、来春の知事選に自民党は立候補者を立てず、吉村知事を推薦すると表明した。県議会はオール与党となる。何の戦略なのか分からないが、いくら吉村知事から要請があったとしても、今回の自民党決定に県民の納得は得られるのか。
 過去に吉村知事に味方したとして自民党県連から除名処分や、役職停止処分された自民党議員もいる。いくら自民党支持率が落ちているとはいえ、自民党山形県連の決定は無茶苦茶すぎる。
 正々堂々の選挙選を望む声は大きい。

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酒田駅前広場のイルミネーション

2024年12月14日 | 日記

 私はイルミネーションはクリスマスツリーの電飾のイメージなのだが、昨今、12月に入ると全国商店街のイルミネーション合戦が始まる。そのスケールは想像を超えるスピードで広がり、新しい電飾文化が跋扈している。全国規模のイルミネーションランキングもあるらしく「我がまちのイルミネーションこそ日本一」とランキング合戦も展開されている。街の賑わいの観光客誘致の中心ともなり始めたイルミネーション文化は今後も広がる気配である。
 酒田市にもささやかなイルミネーション広場がある。これは酒田駅前の商業ビルの広場にJR酒田駅前の活性化・にぎわい創出にむけた酒田駅前地区活性化協議会が企画、広場内の樹木にシャンパンゴールドの電飾を取り付け、クリスマスツリーとともに楽しんで貰おうとイルミネーション広場に変えた。
 ホテルやレストラン、図書館の利用者や、帰途につく市民らが足を止めて写真を撮る姿が散見されている。小振りなイルミネーション広でも足を止めて「ほっと」するスポットは何にも代えがたい貴重な広場である。

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増える続ける高齢者単身世帯

2024年12月07日 | 日記

 国立社会保障・人口問題研究所が2050年に推定される都道府県別世帯数の将来推計を発表した。それによると、山形県は全世帯に占める単身世帯数が34.5%で全国一番低いと推計された。半数以上の27道府県は40%を超え、日本の未来に大きな影を落としている様に思える。
 65歳以上の高齢者が一人で暮らす割合は山形県が19.0%で全国3番目の低さであるが、一世帯の平均人数は2.15人で最多である。しかし、山形県の世帯数そのものの減少数が著しく全国で8番目多い減少数とみている。人口減少のスピードは加速している。
 同研究所によると、若者が集中する大都市圏では未婚が進み、現役世代の単身所帯が増えるのに対し、高齢化や人口減少が著しい地方では配偶者との死別などで単身高齢の世帯が高くなる傾向にあると分析している。
 全世帯に占める一人暮らしの全国平均は20年の38.0%から50年には44.3%に上昇する。大都市東京は54.1%で大阪が47.4%に跳ね上がる。75歳以上の単身世帯も、全ての都道府県で増加し茨城、埼玉、滋賀、沖縄の4県は20年の2倍以上に増えると推定されている。国の議論の的が、ずれている様に思える。

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平和の架け橋「はし鶴の会」

2024年11月29日 | 日記

 忘年会などのお膳に出される箸袋を器用に折って、先端部に直径1センチほどの折り鶴を折り、鶴を舞わせる楽しい遊びを考案した友人が、世界平和のかけはしになれればと「はし鶴の会」を発会させたと新聞記事で知った。
 友人の伊藤菊雄(68)さんは相馬市長時代からの古い付き合いで40年にもなる。生家が荒沢ダムの下に沈んだ話しをよく聞かされていたが、ダムは昭和50年に着工だったが、移転はその相当前に実施されており、彼の生まれる前のことだったと明るく語ってくれる。
 伊藤さんは私たちと居酒屋に行った時も、注文品が来るまでの間に「はし鶴」を折ってくれる。数年前の事だが、黒森歌舞伎がポーランド公演の時に鶴は平和の象徴、捨てられるだけの箸袋を使った「はし鶴」1200本をお土産品にした。日本の「もったいない」の文化も伝えようとした事が高評価につながった。
 以来、11月26日は(いいつるのかい)の語呂合わせで総会を開いて親睦を深めあっている。今年は矢口市長も出席して会が盛り上がった。会長の伊藤菊雄さんが記録的大雨罹災者にと義援金を市長に手渡して総会は終わった。

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定期船「とびしま」にラッピング

2024年11月23日 | 日記

 山形県唯一の離島「飛島」は酒田市定期航路船で結ばれている。昭和25年に酒田に編入されているが、当時は市民との交流が盛んであり、島の塩辛や干物、昆布類等、島の特産物とコメなどの物々交換が盛んだった。島民は千人くらいだったが、現在は146人くらいにまでに減り昔の面影はない。
 飛島と酒田市の定期船を運営している酒田市定期航路事業所が連絡船「とびしま」の船体にラッピングをして話題を集めている。県内在住の漫画家「わらびもちきなこ」さんの月刊誌「まんがタイムきらら」に連載の「しあわせ鳥見んぐ」に「飛島定期船やとびしま」や飛島などが取り上げられた。その縁で「とびしまさんぽガイドマップ」を作成。ガイドブックのイラストを使ったポスターを事業所に展示したところ、大勢のファンが訪れた。
 これを縁に、同事業所と「わらびもち」さんとの交流が始まった。人気のあるガイドマップのキャラクターを船体にマッピングしようという事となり「とびしま丸の定期検査に合わせて作業が行われ、両舷にイラストのラッピングがほどこされた。
 ウミネコに囲まれながら双眼鏡を持つ書き下ろしのイラストは多くの飛島愛の人々に感銘をもたらすに違いない。

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痛い時の駆け込み寺

2024年11月16日 | 日記

 自分は「まだ歳より若い」等と思ったことなどは一度もない。それなりに年齢を重ねて、用心しながら日々を送ってきたつもりである。血圧測定、体重測定は日課としているし医師の定期点検も受けている。でも、このくらいの作業は大丈夫であるという気持ちは自身の中にあるし、やりたい気持ちは充分にある。
 この間、木の枝が落ちて少し壊れた低い屋根の修理をした。ホームセンターから資材を仕入れ、少し高い脚立での作業だが順調に進み屋根の修理は思い通り完成した。その気持ちのゆるみから、脚立の足を踏み外し、すってんと尻もちをついて転落した。血の出るけがではなかったが、どうも右尻を強打したみたいで痛かった。久光製薬のシップ薬を貼って様子を見ることとした。しかし、腰を下ろすと右尻が痛いがその内に良くなるだろうと数日我慢をしていたが、なかなか痛みがとれない。
 そこで、行きつけの針灸の「つちだ治療院」に行くことにした。横向きに寝かされ尻を出した。「内出血」してるよ。何したの」と尻を写真に撮って見せてくれた。丁寧に針をさしてくれてる間に顛末を説明した。治療後「2~3日すれば大丈夫でしょう」と言われて、先ずは安心した。どっか痛いときの「つちだ治療院」は家族全員の駆け込み寺となっている。

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漁業者の信仰あつい「善宝寺」

2024年11月09日 | 日記

  鶴岡にある 曹洞宗の三大祈祷所の一つ、竜神を祀る龍澤山善宝寺は国内で唯一の魚鱗一切供養塔で知られる五重塔があり、漁業関係者の信仰が厚いことで知らている。寺院内には全国の舟の航海安全や、漁業関係者からの安全祈祷のこもった高額寄付者名が刻まれて、舟の安全航行の祈りがしみ込んだ寺院である。
 善宝寺と言えば平成2年にブームになった人面魚がある。全国のテレビが先を争って人面魚を追いかけた「貝喰の池」は本堂から歩いて15分くらいの所にあり、今でも人面魚の鯉は泳いでいる。あのブームは何だったのか、竜神パワーの仕業だったのだろうか。不思議な因縁に思える。
 しばらく振りにコミュニテイー主催の「バスの探索」行事に参加した。20数名の参加だったが善宝寺の視察は歴史を感じさせるものだった。歩いてまわる善宝寺の境内の広さにも荘厳さを感じさせる充分なものだった。積み重ねられた歴史は重い。

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暖かい晩秋

2024年11月02日 | 日記

 稲刈りのすっかり終わった庄内平野に晩秋の気配はなく極めて温暖である。例年通りに白鳥が訪れて群れをなし落穂を食べている。北国の渡り鳥なのかと錯覚を覚えるほど温かい日々が続いている。これも異常気象かと不気味さがある。
 しかし、気が付けば今日はもう11月2日、屋敷の欅の落葉が盛んに降り注いでいる。10本近い樹齢100年以上の枝から降り注ぐ落ち葉には参った。落ち葉の絨毯を毎日集めては田んぼや畑に敷き詰めて処理をしている。強い風が吹けば落ち葉はどこかに舞って飛んで行く。自然と言えば自然であるけど我が家の欅である責任は感じる。
 抜ける様な青空の下、山形県最北の国道344号線の酒田から最上郡の金山町までをドライブした。途中、豪雨被害地の最前線を通り抜けると、山岳地帯は紅葉できれいだった。この山岳風景も間もなく白い季節となり、冬を迎える。

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一票で私の意思を伝えよう

2024年10月26日 | 日記

 衆議院選挙は明日投票日を迎える。自分たちの事は自分たちで決める。これが憲法に定められた国民主権の精神である。その意志を伝えるのが投票所に足を運んで一票を投じる責任である。政治行動はこの一票の結果のみに拘束される。その投票の重みを改めて考えるべきと思う。
 しかし、マスコミの報道合戦は常軌を逸脱してるように思える。リサーチによる予測の的中率で争っているが、選挙期間中情勢分析は知りたい反面、結果に与える影響も少なくないように思える。結果が見えるから「そんなもの」と思えば投票所に足は運ばなくてもいいと思う様になる。我が家の固定電話にもマスコミからと思われるリサーチが3度かかってきたのでその過熱ぶりには驚いた。
 いつもの事だが、明日の投票締め切りと同時に、開票前に当選確実者の報道がある。何でと思うのだがこれがまたよく当たる。その時、事務所はみんなで「バンザイ」を叫び、当選インタビューとなる。開票されてないのだから「民意」とは呼べないグレーゾーンである。
 一票の要素は色々ある。政権選択、政治と金、税と給付、日本の国の形。今回はどこに比重を置いて投票するのか難しい。悩みながら明日投票しようと思ってる。

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総選挙告示日が明後日だった祝賀会

2024年10月19日 | 日記

 春の叙勲のお礼とお祝いを込めた祝賀会を後援会のコアなメンバーが発起人となり開催してもらった。叙勲にはそれぞれの経緯がある。こつこつ頑張った結果の叙勲や、私の様な支持者に支えられた結果、叙勲に繋がったものもある。お決まりの祝賀会ではなく、丁寧な礼状で済ませた例もいくつかはある。
 10月13日の正午に祝賀会は開催された。天気にも恵まれ多くの方が参加して下さった。ところが、15日が総選挙の告示日となって、国会議員や立候補関係者はそれどころではなかったと思われるが、予定通りのご出席頂いた。
 私はお礼の挨拶で市議会3期、県議会5期の32年間を振り返り存分活動できたのは、皆さんの支えがあっての事とお礼を述べた。その中で、後援会広報部長より「ブロブでも書いたら」とのアドバイスを機会に18年間、週に一本のペースで、発信を続けている事を申し上げた。
 胡蝶蘭やたくさんの花々を会場に頂いた。皆さんと一緒に頂いた勲章に恥じぬよう静かに過ごそうと思っています。

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屋根を葺き替えた国宝・羽黒山五重塔

2024年10月12日 | 日記

 20年振りに屋根の吹き替えが終わった国宝・羽黒山五重塔にお参りにいった。さすが羽黒山、平日にもかかわらず参拝客は途切れることなく続いていた。駐車場には全国からのナンバープレートが並んでいる。真剣に柏手を打ちお参りをする方もおられ圧倒されそうな荘厳さだった。
 国宝・羽黒山五重塔は平安時代の承平年間(931~39)に平将門が創建したと言われている。現在の塔は室町時代(1372~74)に再建されたものである。高さが29mで屋根は薄い柿板をずらして重ねる柿葺きの手法が使われている。耐久性が比較的に高く、水はけがいい特徴から、積雪や湿気の多い羽黒山の気象に適している手法である。ふき替えは20年間隔で行われており、今回は2002年以来となる。今回は昨年の5月から工事を始め、積雪3mも積もる冬季間を除いて、10ヶ月かけて完成したものである。
 山門から五重塔まではアップダウンの石段が続いている。そんなに長い距離でもないが、若い時は平気だったけれど、この歳になると休み休みである。行きかう参拝客と「こんにちわ」とあいさつを交わしながら無事終えた。

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洋上風力発電基地港湾の工事始まる

2024年10月05日 | 日記

 化石燃料に頼らない日本の電力をどうして確保するのか。日本の未来に向けた大きな課題である。海に囲まれた日本は陸上風力発電に比べて、制約が少ないことから設備の大型化が可能な洋上風力が注目され事業化が進んでいる。効率的にクリーンなエネルギーを大量に発電できるメリットが魅力である。
 洋上風力発電は風車の大型化が日々進んでおり、ブレードの長さが100mほどで、高さが200m以上にも及び、タワーの重さが一基あたり400トン以上になると見られている。そのため、洋上風力発電導入の促進には、設備の設置や維持管理のために必要な一定の耐荷重や長大な資機材を取り扱う事が可能な規模を備えた背後地と港湾機能が不可欠である。また、洋上風力は事業期間が20~30年の長期に及ぶことから、継続的に港湾施設の利用ができるかが事業者にとっては重要なことになる。
 国土交通省は酒田港を「海洋再生可能エネルギー発電等拠点港湾」として位置づけ、遊佐沖、酒田沖の洋上風力発電への一歩を踏み出した。それに合わせて、県は外港地区国際ターミナルの西側に浚渫土砂で作られた12ヘクタールの敷地の護岸工事を強化し、関係施設への整備に着手した。
 酒田港は今後、洋上風力発電の基地として大事な役目を担う事になる。

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自民党総裁に石破茂氏

2024年09月28日 | 日記

 昨日の自民党総裁選は石破茂氏を新総裁に選んだ。国会を開けば事実上「総理大臣」となり日本を代表して日本国の指揮をとることになる。日本で人口の一番少ない県、鳥取県出身であることに私は「ほっこり」感じている。それに、石破茂氏の母方の祖父が山形県の官選知事だった縁もあり、山形県の得票はいつも多く出る。
 今回の自民党総裁選の軌跡を見ると、9名の立候補数の驚きと、一番人気だった小泉進次郎氏が決戦投票に残れなかった厳しさを見た。1回目の開票での石破氏は、議員票で29票、全国党員、党友票が1票の差で高市早苗氏に負けている。それが、決選投票で議員票で16票勝ち、党員党友票で5票差で石破茂氏が勝った。これで日本国の進む道は少しづつ違ってくる。
 山形県は遅れている部分が多い。せめて石破氏の故郷創生で追いつければと期待している。

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酒田港から木材輸出

2024年09月21日 | 日記

 無尽蔵とも言われたロシア極東地域の森林木材は、1970年代に始まった日本の高度成長を支える貴重な資源であった。山形県酒田港もその一翼を担い巨大な輸入丸太木材が溢れていた。近隣には大きな製材所が集積し酒田港木材工業団地組合は使用用途に応じて製材加工され木材が全国へと配送されていった。大手製紙会社の事務所もあった。
 しかし、森林の乱伐は長くは続くはずはない。世界最大の木材輸入国日本はロシアの森林維持に責任はある。1995年代には米材、および南洋木材の輸入に変わってきた。しかし、輸出国は丸太輸出を規制し、製材木材の輸入へと切り替わった。輸入木材は減少を始め、やがて酒田港から木材は消えていった。
 それが最近、県森林組合連合会が県産木材が輸出を始める事を報道で知った。それによると、住宅着工数の減少などで木材需要は低下傾向にあり販路拡大が課題となっていた。県森林組合は、全国森林組合が窓口となって進めている中国向けの合板・集積材用のB材の輸出に参加すると決めた。必要量は確保済みで今月中の輸出に向けて調整を進めている。酒田港からの木材輸出は初めてのことであり注目されている。
 県産材は「木材の行き場がないと現場が止まってしまう」として一か月半に一度のペースの輸出を目標にしている。酒田港は木材輸出港に生まれ変わる。

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ドコモモ・ジャパンに土門拳記念館

2024年09月14日 | 日記

 写真家土門拳は、昭和時代に活躍した日本を代表する写真家です。写実主義に立脚した報道写真家でもあり、日本の著名人をリアリティに撮られたものや、ポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財の撮影を多く手掛け、第2次世界大戦後「広島の子どもたち」など併せて日本を代表する写真家と知れ渡った。
 土門拳は酒田市に生まれたが7歳で東京に移住、その2年後には神奈川県に一家で移り住んでいる。その頃から絵画に興味を持ち始め、土器や石器の収集や三味線の弟子入り、農民運動にも参加し検挙される事もした。そんな中から、遠縁にあたる宮内幸太郎の写真場に内弟子として住み込み写真の基礎を学んでいった。
 土門拳の代表作、写真集「古寺巡礼」が発刊され話題を呼んだ。実物より実物に近いと話題となり、一気に土門拳の名は広まった。
 土門拳は昭和49年に酒田市名誉市民第一号に議決された。その時、同氏より酒田市に77万点の作品全部が寄贈され、それを受けて酒田市は個人の写真展示館として世界最初の写真展示館を10年後にオープンさせた。
 その土門拳記念館は歴史的・文化的価値がある近代建築を選定するDOCOMOMO(ドコモモ)「日本におけるモダン、ムーブメントの建築」に選ばれた。DOCOMOMOは近代建築の保存に取り組む国際的学術組織で80か国の地域が参加して活動している。
 名誉なことである。

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