Nonsection Radical

撮影と本の空間

4月22日 水曜 振り回す人

2015年04月22日 | Weblog
今月末に一度関東に出向かなければならなくなったので、その計画を立てていたさなか、俺も一緒に行くと言い出す人ありけり。
どうぞ勝手にと思ったのだけど、”一緒”に行くと言い、連休スタートというのにクルマで行くとか言いだし、そんなバカバカしい事イヤだと言ったら安くあげるために割り引き新幹線で行くとか言い、最初から自分のカネで行く事を考えているので、いかに時間を有効に、いかに体調を考えてとプランを練っているのを、単にわずかなお金を惜しんで窮屈な行き方を選ばなければならない事に憤りを感じつつ、それでも折れてプランをたてるが、あれやこれやとどうでもイイ事を言って時間を浪費し、結局切符を手配する事もなく話を宙ぶらりんにして放置される。
金と時間を計りに掛けて、時には時間を選ぶという考えが、絶対にカネと言い切れる人に通用しない事に苛立ちがあるのは確かだ。

関西に来て”特徴”として感じた事は、言葉が多い事である。
とにかく意味もなくてもベラベラしゃべる。
それがコミュニケーションとして大変優れた作用をもたらす事に敬意を払いつつ、その結果無駄に時間だけがすぎ、何も決まらず、何も始まらず、誰も責任を取らず、最後の最後になってやっと落ち着くところに落ち着くという本来の民主主義的行為に対して、それでもなんとかなったからエエやん、と言えるほどには、振り回されるだけの身には納得のいかない気持ちがある。
エエやんと言えるのは、あくまでも振り回す側だけの話で、振り回される側は、どうせ落としどころがわかっているのなら、時間が重要なビジネスの場では、最初からそこへ向かえと思うのだけど、これもまた「関東」の論理であろうかとも思うのであった。
だから関東で仕事ができるのは嬉しい事なんだけど、だからといってコミュニケーションとしての時間の”浪費”を軽視してはウマくいかないという事も学んだので、そこはウマくやっていかなければと思う次第である。
が、お願いだからヒトの事は放っておいてくれ。
自分一人で十分ウマくやっていくから。
話がまとまらずに、何度も何度も何度も行き来するのなんか他人は良くても自分はイヤだから。




村松原,幸町の街並み
静岡県静岡市清水区村松原1丁目,幸町
撮影 2014年12月27日 土曜日 12時40分
コメント
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