Nonsection Radical

撮影と本の空間

しろーとの考えそうな事

2020年04月04日 | Weblog
どうして日本だけ他国と違う動きをするのかなぁと不思議に思って色々考えてみた。
しょせんはしろーとの思いつきそうな事なので真偽以下の話だ。

日本は戦後ずっと公衆衛生の向上に努めてきた。
その結果現在では世界でも稀に見る清潔な国となった。
その結果というか、財政が苦しい時代に入ると各種削減が叫ばれ、医療の分野でも”無駄”を省くという考えが出てきて実行された。
だって十分医療体制も整ったんだから必要ないでしょ、という考えだ。
その結果施設や人員、予算が減らされてギリギリの状態で日々送ってきたわけだ。
いわば医療資源のない国になったわけだ。
そこにコロナ騒ぎが起きた。
厚生官僚はバカじゃない。むしろ優秀である。
だからすぐに現在の日本の医療体制でコロナに立ち向かうのは無理だと判断し作戦を練った。
太平洋戦争前に官僚達が資源のない日本がどのように戦うべきかを考えたように。
最初から正面から戦うことをせずに、大腸にできたポリープを内視鏡でつまみ取るようにスポット的に対処した。
前後関係はわからないけど、豪華客船の総力戦での隔離で大敗し、装備だけでなく人材の不備も実感したことだろう。
まるで311の時のようだ。
つまみとり作戦でピークをずらして爆発的感染を防ぐ戦いを始めたが、もちろんただでさえ少ない医療リソースを使い切れば抑えが効かなくなる事は最初からわかっていた。
これも太平洋戦争と同様だ。
その時にはどうするか。
それがよくわからない。
今のところ何もしない作戦なのかと思う。
というのも、他国のように大量に医療体制を拡大して嵐が去った後には、膨大な医療設備と莫大な借金が残るわけで、それを嫌ったわけだ。
なりふり構わずとにかく火を消すという事はしないと最初に決めたのではないのか。
あるいはその決断ができなかった。
もちろん宰相がだ。
現在の首相は、言い方は悪いが平時の生ぬるい時代を過ごしてきた。
見た目に判断できるような決断をせずに時代を演出することに成功してきた。
残念なことに、平時にうまくいくのは実力ではなく流れであることがわかっておらず、自分はひとかどの宰相であると勘違いしてしまったようだ。
しかしコロナ騒ぎが起きて大きな支出を決断しなければならなくなった時に小さな肝っ玉が現れてしまい決断が遅れた。
すべてを金銭的な面でのスケールでとらえる作業を加え、どんどん時間を無駄にし、挙句は費用のかからない(効果の薄い)対策を出したりしてヒンシュクを買うことになる。
今のところすべてが「お金は出したくない」からくる政策ばかりだ。
しないのか、できないのか、その腹のくくり方で宰相の胆力が試されるのだが。
連合国軍のリーダーは正面から戦う決断を下したが・・・

平時の平和を基準に無駄を削り、考えることさえもやめてしまって「憂いなければ備えなし」で来てしまったが、この先は本土決戦の二の舞となるのだろうか。
まもなく幕は上がろうとしている。
コメント
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