Nonsection Radical

撮影と本の空間

こんな程度

2020年04月22日 | Weblog
リーマンショックの時に、街では人の行き来がなくなりなどと報じられていたので見に行くと、結構な人の流れがあり、ああそんなものねと思った。
今回も街を遮断してなどという割には毎日結構な人が繰り出しているが、そういうものだ。
もし本当に深夜のような街になるというのはゴーストタウンという事なので、その方がマズイと思う。
たとえ安静にしていなくてはならなくても血液は流れているし呼吸もしている。
スローガンというものは雑なものなので、今回の「三密」にしても3つ揃わなければ大丈夫と受け取る事で、休日に家族揃って散歩がてらスーパーに買い物などと、日常の必要ごとを詰め込んだ行動が行われる。
スローガンなどにしなければ一つ一つが明確になるのに「オアシス運動」みたいに意味不明なワードだけが浮き彫りにされる。
ただでさえ意味をとらえることが苦手な人達が(そのくせ空気は読めたりする)なんとなくわかったような気になるスローガンは有害であることがわかったはずだ。
それでもやっぱりこんな程度のものだろうと思う。
海外の報道を見て、キッチリしていると思えるだろうが、日頃の行ないをやはり報道で見てれば、そこそこいい加減な人達である事はわかるはずなので、結構いい加減であるはずだ。
そういうものなのだと思う。
そういうものだから、それを基準に計画しなければならない。
それは余裕を持たせる必要があるという事だ。
キチキチの計画を立てて(そういうの好きでしょ)計画通りに進まないのはいい加減な奴等のせいだと怒っても仕方ない。
そういういい加減さを覆い尽くすような物量作戦を行なう事でミッションは完成する場合もあるのだ。それが今回のケースだ。
海外では検査、治療、生活支援など物量作戦でこの戦いを遂行しようとしている。
その中での物資不足であったりするのだが、日本の場合は”キチキチの計画を立てて(そういうの好きでしょ)計画通りに進まない”から計画縮小とすべてが反対で、これは日常の無駄をなくしてしまった結果、余裕を持たせるにも持たせられない現状に追随した結果である。
もちろんよその国の状況を何ヶ月も見ていて準備する期間もあったのだが、そういう事を急にする事も、しようと思う事さえも出来ない人間になってしまったわけだ。
嘆いても仕方ない。
とにかく自分の事を守らねばならない。
そして自分の周りの事を考え、さらに外の事へ注意を払う。
そうしないとシェルターから生きて出てきたら地上は焼け野原で誰も生存してなかった、となりかねない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする