Nonsection Radical

撮影と本の空間

12月13日 ロキソニンがテキメン

2021年12月13日 | Weblog
仕事明けに撮影に出るつもりが15日に使う作業服を持ち帰らなければならないことに気がつき、大荷物のために(腰も痛いし)出歩く事ができないのでそのまま帰宅。
夕方まで寝て動画変換。
やはりSSD本体がおかしい様子。
今の動画が変換し終わったらSSDの交換をしなければ。

最近は写真を「読み解く」などの情報が増えてきているようだが、誰に向けての話なのかが不明で気になるところ。
昔からそうなのだが、評論する、撮影する、でも写真を見るためじゃない評論が絵画などに比べて多く、ずっと続いている気がする。
そもそも評論するでもなく、自分が撮影するための参考としてでなく、鑑賞として写真を見る人が他の美術と同様にいるのかという疑問もあるが。
シロートで何もわからないが投資としては興味がある投資家向けにわかりやすくコンセプトをまとめたアート評論じゃなく、見るための楽しさを増すことができる話をどれだけの評論家がしてきたのか。
小さな小さな同業者だけが集まって内輪だけで通じる言葉で”論じ合って”いることの愚かさはすでに40年前に味わっているので、そんじょそこらの理屈じゃなんじゃそりゃと思ってしまうのは、先日のシロート書評家に対する”プロ”書評家の”内輪揉め”にも感じてしまう。どこ向いているんじゃ?と
あとダメな評論とは、結局対象作品を論じているようでいて、実は自分の思考を論じているもので、この手の人が非常に多い。
作品はあくまでも思考のツールであって嗜好のツールではないのだろう。

最近は自ら撮影する人向けの、自分がどんなことを考えているのを披露する機会も多くなっているが、できるだけそういうのは避けるようにしている。
もう撮影する人はやめて見る人になりたい。
見る人にはこの手の開陳は有用とは思えないんだよね。

昨日トイレに行く時にどこに行くのかと問われたので
「ムスコに逢いに行くのです」と答え、帰ってくるとどうだったと聞かれたので
「ムスコにはもっとのびのびと大きく育って欲しかったのですがどうも小心者で」と答えた
コメント
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