Nonsection Radical

撮影と本の空間

4月1日 自由な無常

2022年04月01日 | Weblog
24時間勤務明けに都内某所へ動画撮影。
このエリアは比較的高額所得者が多いらしく、身なりの整った人や情報を得て遊びに来る若者が多いようだ。
そんな街並みを撮影して歩いていると、ぶつぶつと喋りながら歩くおばさんがいる。
「どうしてこんなに来るんだろうね、田舎者が!」
苦笑しながら「きっとここが田舎だからですよ。本当の都会は無機質で人が来ないですから」と心でつぶやく。
確かにこのエリアを歩く人はお金を持っていそうで、自分に価値があると自覚して生活しているのだろう。
一方で、そんな価値観もウクライナのようにミサイルが飛んでくれば吹っ飛んでしまい、自負する価値など微塵も感じられない空間が生まれるのだと思うと無常を感じる。
そんな時には一目散で逃げれば、などと思っているだろうが、それはウクライナの人々だって同じで、実際にはもっとハイソな層の連中しか逃げることなど出来ないのは認識の違いなのだろう。
巷に流れるウクライナにも攻め込まれる原因が、などという事なら、日頃から日本にも攻め込まれる恨みをかう言動が飛び交っているしなあと思ったりする。
他人の不幸を見て我が幸福がほんのわずかな幸運によって成り立っているのだなと感じると心が暗くなった。

昨日3/31はワンちゃんが死んだ日。
もういつ死んだかも覚えていない。
そうやって自分が持つ記憶も少しずつ消えていき、死と共に消滅するのだ。
アンハッピーな気分の4月の始まり。
コメント
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