Nonsection Radical

撮影と本の空間

4月19日 48時間勤務後

2022年04月19日 | Weblog
リーダーと共にヘトヘトになって勤務終了。
疲れの大部分は人員管理。
こんなのでよく何十年もこれまで生きてこれたねぇ、偉いねぇみんな、と意見は一致。
他人の話は聞かない。言う通りには動かない。勝手な事をしてバックれる。無駄な自負心。すべてが障害になっても強く生きていく素晴らしい精神力。感服。ただし徒労。

つぶやきサイトで余計なつぶやきが流れてこないように色々するが、システムとして「他の人との交流」を推奨する働きがあるのか興味のないものが送られてくる。
多いのがカメラ関係で、自分で写真などを話題にすることもあるのでその関連かもしれないが、ほとんどがカメラ、レンズを買った自慢。(ハッキリ言って自慢である)
当方は平均3万円ほどのコンデジで普段撮影しているだけなので、何十万円のカメラや機材の自慢を読まされても、それらが3万円以上の価値を自分にもたらすかの判断基準によって「無駄」と判定されている。
そういう”世界”を否定はしないが、別の世界の話なので表示されないようにしたいだけなのだ。
もっと展覧会とか写真集とかソフトの話題に話が広がってくれると楽しいのだが。
そういう点で前後の関連性がわかっていない海外の人からの写真画像などは、どこの誰かは存じませんがダウンロードして保存させていただきました、これから何度も見直させてもらいます、というものが多い。
単純に写真が好きで、写っているものに興味がわく、という立場の人間なもので。
写っているものに興味、とはワンコとかニャンコとか花鳥風月がとかの話ではなく、ゴッホのひまわりの絵は好きだがひまわりに興味があるわけじゃない、という意味。

ネット上で話題になったのが某経済新聞に掲載された広告。
全面広告で制服姿の女子高生のイラストを載せた書籍の販売広告のようだが、ジェンダーとしての抗議の声に対して表現の自由での攻防という感じだが、表現の自由に対して基本的人権が持ち出されるのは当然の流れだろう。
現物をよく知らない者として騒ぎを眺めていると、出版に際して効果的な広告先として某経済新聞が選択されたのは、想定される読者がこの新聞を読む層であるサラーリーマンであると分析されているのであろう。
その層への広告として女子高生のイラストが”効果的”であると判断されたわけである。
それに対して女子高生としてターゲットにされた人達が通学時に痴漢された経験から抗議の声をあげ騒ぎにもなったようだ。
それに対しては、それとこれは関係ないんじゃない?とイメージを消費する側が反論する。
ここで個々の事情など考えずに大まかに括ると、女性たちは女子高生を性的消費するなと抗議するのに対し、表現の自由であると反論するわけだ。
話は噛み合っていないように思えるが、つまり「性的消費してなにが悪い?」と言ってるわけだ。
趣味嗜好の自由に対してはすでにそんな論争はとっくに解決済みなので蒸し返す必要などない。
一人でこっそりシコってろ、というわけだ。表に出すんじゃねぇ、と。
女子高生をイメージとして性的消費することでの”実害”を受ける女性から被害拡散の恐れがあると抗議されても、性的消費してなにが悪い?と対応する社会の成り立ちってこれでいいの?というのが個人的な感想である。
歩み寄れる内容でもない。そういう現状なのである。
日本を代表する経済新聞を読む読者層に向けて女子高生のイラストで広告を打つ社会。
それでなにが悪い?と思う”当事者”が多い21世紀の今日この頃である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする