Nonsection Radical

撮影と本の空間

今週は眠れない

2016年02月24日 | Weblog
今夜こそは早く寝るぞと誓ったのに、”宿題”を出されてこれから作業。
月曜日は2時間半、昨日は4時間の睡眠時間。
さて今夜はいつ寝れるのか。



サウザンロード相模台 4 商栄商店会
神奈川県相模原市南区南台6丁目、相模台2,1丁目
撮影 2015年7月25日 土曜日 16時05分
コメント (2)
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五感を使っているのか

2016年02月23日 | Weblog
イヤホンを使いながら自転車に乗って人をはねたオトコが有罪になったというニュースをいくつか読んでもよくわからない。
見出しも記事もイヤホンで音楽を聴きながら自転車走行していて前方にいる人に気づくのが遅れてはねたという話なのだが、事故とイヤホン使用の関係を説明している記事がないのだ。
因果関係は説明しないけれど、イヤホンで音楽を聴きながら自転車に乗ると注意力散漫で事故に結びつくとの”印象”を与える記事なのだ。
もしイヤホンをしていなければ事故は起こらなかったという説明はない。
だからホントのところはどうなんだろうと思うのだ。
もし音楽を聴く事にそういうボンヤリ効果があるのだとしたら、これは自転車だけの問題ではない。
自転車よりもクルマの方がずっと音楽を聴きながら運転している人は多いのだ。
現在のクルマは遮音性がいいので、ラジオなど聴いていたら外の音など聞こえない。
安全のためにもクルマでの歌舞音曲の類は禁止するべきではないか。(踊るヤツなどいないだろうが)
という話にまで進みかねないのがこのイヤホン事故である。
でも、そもそも自転車に乗っている人が全て五感を働かせて周囲の状況に気を配っているのか?
ボンヤリしていたり、前だけしか見ていなかったり、今回のようにある程度スピードを出しているにもかかわらず前を見ていなかったりしてるのでは。
そういう事とイヤホン使用の関係性がハッキリしているのならその関係を知りたいと思うのだ。




常磐湯本町の街並み 6
福島県いわき市常磐湯本町三函
撮影 2015年9月22日 火曜日 11時50分
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”普通”じゃだめなのか

2016年02月22日 | Weblog
マック(関西ではマクド)が売れないとか牛丼が・・・などと外食産業が傾いているニュースを耳にするけれど、起死回生策がどうもピンとこなくて効果なしというケースも多い。
そりゃぁオトナの理由があるんだろうけど、企業の考える事と利用者の考えている事がマッチしていない気がするんだな。
といいつつ、ファストフードを普段利用しない者の考えなどあてにはならないんだけど。
たとえばマックにどんなバーガーを求めるかというと、そりゃぁ千差万別だろうけど、美味しいと思わせるものがいいよな。
でもたまに食べるものは、値段の割りには小さくて貧相で美味しいとは感じない。
贅沢を言えば、自分で作るひき肉のハンバーガーのような肉の味がして欲しいよなぁ。
そして食べ応えがあればなぁ。
ついでにちゃんとした(カットしていない)野菜が挟まれていたらなぁ。
言っている事はごく普通な事なんだけど、それを叶えるというのは非常に難しいようだ。
だからそうしない。
少しでも近づけるという事もしない。
別の事を考える。
結局”普通”に美味しいバーガーじゃない。となるわけね。

同様に牛丼でも値段を下げたり上げたりするけれど、肉を変えたりした場合に特に表示したりしない事で肉の味が変わってガッカリする事もある。
牛丼って肉の味をいかに消して平均的な味にするか工夫してあるじゃないですか。
お米をブレンドして一定の味にするのと同様にさ。
それでもやはり隠せない味というのはあるもので、その味が好きか嫌いかで、あるいはそういう事には無頓着であるかで評価が変わってくるんだけどね。
何を言ってるのかわからなくなってきたけど、つまるところ小細工しないで美味しくしたら”普通”に美味しく食べられるのにと思うのだ。
そういうのって売れないのかね。



サウザンロード相模台 3 中央商店会
神奈川県相模原市南区南台5,6丁目
撮影 2015年7月25日 土曜日 16時00分
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近場で調達は

2016年02月21日 | Weblog
本当は撮影に出たりしなくちゃいけないんだけど、することばかりが山積みで休みの日に出かけるということができない(する気になれない)。
何か必要なものがあっても近場の量販店に出かけて済ましてしまう。
それで結構事足りてしまうのだ。
それがマズイなぁと思った。
何も目新しいものを求めず、常に必要なものだけに目を向けて生活しているというのを日常と呼ぶのなら、それは平穏無事で居心地のいいものである。
だからボケる。(笑)
幸いなことにテレビなど視ないので、そこからの情報が世界の情報だと勘違いすることもないのだけれど、一方で何も体感しない生活というのも同様に自分の周辺だけが世界だと勘違いしてしまう危険性もある。
そんな狭い感覚で世間を見たら撮れるものも撮れはしないし、見れるものも見れはしない。
常に身の回りも広い世界につながっているという感覚があってこそ、見えるものが違ってくるということだ。
そんなわけで、特にわざわざ足を運ばなくてもいいとしても、どこかへ行くことも必要だなと思ったのでした。




常磐湯本町の街並み 5
福島県いわき市常磐湯本町三函
撮影 2015年9月22日 火曜日 11時25分
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反作用は選べない

2016年02月20日 | Weblog
駅やお店、街角などで相手に向かって強く罵る言葉を吐く人がいたりするじゃないですか。
何かを抗議するとか、気に入らないことを声に出して言っているんだろうけど。
それだけ気に入らない理由があるんだろうと思う。
でも、その言葉がキツいほど、汚いほど、理由はともかく相手には向けられた言葉の強さと同じだけの感情の作用が働くと思うんだ。
どんなにキツい言葉を投げかけても理はこちらにあると思っているんだろうけど、その言葉の作用は同じだけの反作用を生む。
逆ギレなどという言葉でその反作用を否定し、当然低姿勢になって謝るものだと思っているんだろうけど、そんなわけがない。
作用した力に単に反作用が働いているだけなので、そこに正しいも悪いもない。
第三者からすれば、どうしてあんな言葉を吐くんだろうねぇ、伝わりはしないのに・・・と思うのだけど、吐く人はそうは思わない。
そんな”自分勝手”な、あるいは無頓着な作用なので、期待する反作用も”自分勝手”な、あるいは無頓着なものを期待しているのだろう。
でも、反作用は選べないのだ。
どんな反応が返ってくるかは想像できない。
でも、強い作用には強い反作用が、弱い作用には弱い反作用が返って来やすい(かもしれない)。
まったく予想もしない強い反発が返ってこないとも限らない。
感情とはそういうものだと思う。



サウザンロード相模台 2 中央商店会
神奈川県相模原市南区相模台2丁目、南台5丁目
撮影 2015年7月25日 土曜日 15時55分
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