Nonsection Radical

撮影と本の空間

オトコを見る目

2016年02月19日 | Weblog
他の人がどのように見ているかは知らんし、わからん。
自分の場合だけ。
これもあてにならんが。
男がオトコを見る場合に、何を基準に見ているのか。
安部総理をどうも”好きになれない”なといつも思っているんだけど、これって”好きになれない”からなんだな。
オンナに対しては好きになるかならないかという基準では見ないんだけど、オトコに対してはそういう感情が働いているようだ。
お近づきになりたいかどうかでオトコを見ている。
それを安部総理を見ていて確認した。
おいらは安部総理に抱かれたくない。
抱きたくもない。
だからどうも安部総理のことを好きになれないのだろう。
もちろん安部総理のことを好きな人もいるだろう。
それはそれで当然なことで、satoboのことを好きだという人もいる。
ニャンコとかワンちゃんとか・・・(人じゃないじゃないかよ!)
まあそんな目でオトコを見ているのでだが、好きというオトコはあまりいない。
どこかアラが目についたり、好きになれない部分が気になるのだ。
よくもまあ世間のオンナはあんなオトコと・・・なんて思うのは、人の悪い面ばかり見て、良い部分に目を向けない歪んだ性格のためなのか、良い点を見つけることができない人格の欠陥のためだろう。
逆のことを考えると、オンナに対しては良い面を見ることができるので、やはりマッチングとして対オンナとの組み合わせが自分には合っているのだろう。
オトコとオンナは不思議な関係だな。



常磐湯本町の街並み 4
福島県いわき市常磐湯本町三函
撮影 2015年9月22日 火曜日 11時05分
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こんな時間

2016年02月18日 | Weblog
先ほど帰ってきたばかり。
もう何もする気になれない。
ラブコールやラブ行為も必要なし。
ただ寝たいだけ。
最近は布団をめくってやると、ニャンコがスンナリ入ってくるようになった。
わき腹のあたりに寝床を決めて、顔を布団から少し出してまったり。
ほんのわずかだけ体を接触させる”スキンシップ”がちょうど良い加減。
こんなに安全なオジさんです。
どうか若いジョシも我がお布団へどうぞ。
何もしません。
ほんのわずかだけ体を接触させるだけです。
安全です。
罠にはまってください。



サウザンロード相模台 1 親栄商店会
神奈川県座間市相模が丘1丁目、相模原市南区南台5丁目、相模台2丁目
撮影 2015年7月25日 土曜日 15時45分
コメント (3)
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遅筆

2016年02月17日 | Weblog
早漏なのに遅筆なのかと悪口を言う人には友達申請されても許可しません。
この2日間で対策書を3通書いた。
二日間かかった。
大変筆が遅い。
実際はタイピングがだが。
文面をあれこれ考えて適切な文言を連ねるのだけど、この”適切”が難題で、わかりやすい言葉だけれど意味が曖昧である必要がある。
細かなところを突っ込まれないようにするためだ。
たとえば「シンプル」なんて言葉はシンプルだけど、その意味するところは曖昧で、どうにでも解釈できる。
「シンプルな生き方」なんて言われると、ああそうかと思うのだけど、思うことは人それぞれだ。
「適切に」なんて言葉も適切に使えば効果的だ。
「真摯に受け止め」なんてのも紳士的で好ましい。
こんな言葉を連ねるためにウンウンうなって時間を過ごしているのは疲れる。
動くの指だけなのに(実際は頭脳だけど)猛烈に甘いものが食べたくなり、脳がエネルギーを欲しているのがわかる。
普段は家でこういう文章を作るのだけど、今回は急な要請で仕事場で書いたものだから、適切な言葉を探すために近所を徘徊したり、カフェイン、煙などを大量に摂取するという”荒技”も使えず、疲れは溜まるばかり。
そうして1日を振り返って、今日はいったい何をしたんだろうと思うと、ほとんど何もしていないことに気がつき愕然とする。
世の中にはサクサクと文章を連ねる才能の人もいるけれど、全員がそういうわけではない。
そういう様々な人がいる企業などで、仕事量に差が出ることで評価されるのも辛いものがあるだろうな。
成果が同じで、時間がかかるからダメというのも人間性を無視したものではないのか。
だって、この日記の1行目のように早いからダメという評価の仕方もことと場合によってはあるのだから。
だからといって友達申請を受け付けたりはしませんから。



常磐湯本町の街並み 3
福島県いわき市常磐湯本町三函
撮影 2015年9月22日 火曜日 11時00分
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自画自賛は限定的

2016年02月16日 | Weblog
自らが自らを褒め称える事は、最近ではマイナショナリズムとかでも行われているようだけど、多くの場合はある限定的な場合においてのみ褒めるに値するケースに当てはまる事もある程度の話だ。
そういう”特殊”なケースを除いた時には、どーでもイイ状況だったりするわけだ。
時間に正確な新幹線とかさ。
単純な一本道である新幹線が時間に正確であるのはある意味当然で、合流や分岐が重なる在来線などは、一旦どこかで事故などが起きると、もうニッチもサッチもいかない麻痺が全体に及んでしまい、正確も何もあったもんじゃない。
せいぜい何もなければ正確程度のものである。
◯◯である日本人などという言い方も、◯◯でない日本人を除いた場合はという限定があったりするし、武士道も武士でない人には関係ないものである。
そうやって自画自賛は突っ込みどころ満載なのだが、当の本人はご満悦だったりするわけだ。
政治家などは自分をアピールして次期選挙へつなげなければならないのだが、その成果のどこにどのように関わり成果のどの程度が自分の働きであったを口にする人も少ない。
「あいつが成功したのは俺が目をかけてやったからだ」などと居酒屋で咆哮するのと同程度のものだ。
有森裕子は自分で褒めなくても十分他人が褒めるだけの努力をして結果を出したが、それに匹敵するようなことをどれだけの自画自賛人が行っているのか。
結局誰も自分のことを褒めてくれないから自分が限定的に褒めているだけなのだ。

今日の日記はなかなか良い出来であった(自画自賛)。




相模国分寺
神奈川県海老名市国分南1丁目
撮影 2015年7月19日 日曜日 16時15分
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ガッカリさせないでぇ

2016年02月15日 | Weblog
別れ際の態度というのはその人の”本性”をあらわすものなのか。
せっかくそれまでの間の関係性や意識を根底から崩してしまう態度を取るというのはどう考えても”損”だと思うのだけど、意外とそういう事に無頓着に豹変する人もいる。
どんなに良い関係だったと思っていても、「なぁんだぁ」と思わされたら、そこでリセットされてしまう。
悪口や嫌味や悪意でないけど、”その程度の人だった”と思ってしまうのは、思う本人も思われる人も決して良い事ではない。
関係はそこで途切れたとしても、それから先も時には思い出す事もあるだろう。
その時にガッカリ感だけが残っているというのは不幸な事だ。
でもなぜかそういう態度をあらわす人はいるんだよな。
何か得な事があるのだろうか。
かぶっていたお面を脱いでスッキリハッキリさせたいのだろうか。
実はこういう人間だったんだよーって言いたいのだろうか。
言ってどうなるというのだろう。
それよりも最後まで”本性”を隠しておいて、少しでも良い印象を残しておく”作戦”を取るほうが得な気がするんだけど。
たとえ本当は器が大きくはないとしても、大きく見せる態度を取るというのが器を大きくしていく人の道なのでは。
これまでたくさんの仕事場で働いてきたけれど、そういう態度を取った人は一人だけだったと気がつく。
タコ社長だったけど、今思うとたいした人物だった。



常磐湯本町の街並み 2
福島県いわき市常磐湯本町上川,宝海
撮影 2015年9月22日 火曜日 10時50分
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