オッサンって自らのことをさておいて、主に異性をいやらしい目でねちっこく見るじゃないですか。
それって頭の中にどんなことを描いているのか。
まるで透視ができるかのように中身を想像するのか。
答えは言いませんよ。
そんなことを言ったら人格通り、あるいは人格を疑われかねないですから(笑)。
ところが最近、そんな自分のいやらしい、ねちっこい視線が(笑)変わってきていることに気がついたんですね。
中身なんかどうでもいい、と。
外側のトータルがどうであるかに興味が移ってるんですね。
まあそれでも、いやらしい、ねちっこい視線には変わりないんでしょうけど。
強いて言えば、ニャンコやワンコを眺めて愛でる感覚というのですか。
ニャンコやワンコを眺めて、毛皮の内側の肉体を想像することってないじゃないですか。
あくまでも毛皮をまとった”肉体”を見て「カワユイ」って思うわけで。
同様に街ゆくジョシ(自分の場合)を外観で判断するわけですよ。
そこには”欲”という感覚はなくて”良く”という気持ちがあるんですね。
またその”良く”も美人であるとかナイスバディであるとかは関係なくて似合っているかが興味の対象になるんですね。
そう言いながらちょっと話は違うけれど、そんな自分の気持ちの変化に気がついたのは、遊中部でオペラのフラッシュモブを見ていた時に、街なかでオペラ歌手のオネイサンがいきなり歌い出すんだけど、その姿が”普段着”なんですよ。
ワンピースやジーンズ姿のオペラオネイサンはバン!バン!バン!ってな肉体をしていて、単純に「おお!スゲえなぁ」って思うんですけど、だからと言っていやらしい目で”中身”を想像したりはしないんですよ。外装をまとった肉体美にスゲえなぁって”感心”するだけなんですね。
もちろん着ている服とのつり合いやセンスなんかも含めてですけど。
そんな変化を個人的には好ましく思っているデスよ。
それって頭の中にどんなことを描いているのか。
まるで透視ができるかのように中身を想像するのか。
答えは言いませんよ。
そんなことを言ったら人格通り、あるいは人格を疑われかねないですから(笑)。
ところが最近、そんな自分のいやらしい、ねちっこい視線が(笑)変わってきていることに気がついたんですね。
中身なんかどうでもいい、と。
外側のトータルがどうであるかに興味が移ってるんですね。
まあそれでも、いやらしい、ねちっこい視線には変わりないんでしょうけど。
強いて言えば、ニャンコやワンコを眺めて愛でる感覚というのですか。
ニャンコやワンコを眺めて、毛皮の内側の肉体を想像することってないじゃないですか。
あくまでも毛皮をまとった”肉体”を見て「カワユイ」って思うわけで。
同様に街ゆくジョシ(自分の場合)を外観で判断するわけですよ。
そこには”欲”という感覚はなくて”良く”という気持ちがあるんですね。
またその”良く”も美人であるとかナイスバディであるとかは関係なくて似合っているかが興味の対象になるんですね。
そう言いながらちょっと話は違うけれど、そんな自分の気持ちの変化に気がついたのは、遊中部でオペラのフラッシュモブを見ていた時に、街なかでオペラ歌手のオネイサンがいきなり歌い出すんだけど、その姿が”普段着”なんですよ。
ワンピースやジーンズ姿のオペラオネイサンはバン!バン!バン!ってな肉体をしていて、単純に「おお!スゲえなぁ」って思うんですけど、だからと言っていやらしい目で”中身”を想像したりはしないんですよ。外装をまとった肉体美にスゲえなぁって”感心”するだけなんですね。
もちろん着ている服とのつり合いやセンスなんかも含めてですけど。
そんな変化を個人的には好ましく思っているデスよ。