Nonsection Radical

撮影と本の空間

6月17日 組み合わせ

2022年06月17日 | Weblog
昨日の続き。
40mm相当レンズが思ったよりも画質が悪かったので、今日は24mm相当と100mm相当のレンズをテスト。
24mmは周辺まで崩れがなく普通に使えるのだが、フードが役に立たずフレアがすぐに入る。
フィルター溝が切ってないので別にフードをつける事ができないので、つけるとすると今のフードにプラ板等で丸く囲って自作するしかない。
100mm相当レンズはベッサRにつけて開放で撮ったらボケボケで、絞るとシャープだけど糸巻き収差があって気に入らないとお蔵入りしていたのだが、以前にα7につけると普通に開放で撮れたのでリベンジ。
今回は100mm相当で最短開放でマクロ的に撮るとどうなるかのテスト。
それが口絵なんだけど普通に撮れた。
ただし最短が90cmなのでこれ以上寄れない。
これならコンデジでいいやと思った。
むしろ100mm/f1.5で夜間スナップをと思ったが正確なピント合わせは速写では無理。
拡大してモタモタしていたらおしまい。
ボディとレンズの組み合わせは自由になったで別の問題が起きるのね。

昨日に続いて動画の変換。
合間に大竹昭子著「眼の狩人」東松照明、長野重一を読む。
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6月16日 活用

2022年06月16日 | Weblog
デジタルになって”適さない”とされる古いレンズの活用をと。
主にフォクトレンダーの初期の超広角レンズ(L39)はソニーのα7につけると周辺真っ暗ボケボケになってしまい、ちょっとなぁとお蔵入りしていたのだが、売ってもただ同然だしなんか使えないかなと思っていたところ、小さなデジカメにつければ良いんじゃないのかと思ってオリンパスの初心者用の安いカメラを中古で買ってきて、アダプターをかましてレンズをつけた。
つけたイメージがちょっと違っていて「もっとコンパクトになると思ったのに」状態だが、絶対的にはすごくコンパクトでスナップには最適なカメラである。
レンズも42mm(相当)となり必要十分である。
使い方は初心に戻って目測あと自動の完全スナップ仕様である。
仕事明けに駅までの道を遠回りして感覚を掴もうとするが、40mm相当のフレーミングなど最近やった事がなく、たいてい20だ15と突撃ばかりしていたので距離感がわからなくて困った。
そこでモニターを見ながら距離とフレームを見比べて慣れるように勉強。
ようやくボンヤリと見た範囲がフレーム枠かなと感じるがすぐにこれがズレるので慣れが必要。
帰宅後パソコンに取り込んで調整するが、ここのところフォトショ移管希望が出ているのだが、現在使っているソフトのマニュアルを試しに読んでみようと思い(!)ページをめくるとこれまで以上にある程度は調整できる事がわかってもう少し使ってみることに。
モニターで確認すると画面周辺がぼやけていてレンズとセンサーがマッチしていない事がわかって急速に冷静と情熱のあいだを彷徨いだしたのだが、ソフトでトイカメラ風に周辺を暗くしたら十分”ごまかせる”事がわかり気にしない事に。
でサンプルが口絵の画像。
ローライ35のようなスナップをもう一度思い出す事ができるだろうか。

しばらく継続して試してみるつもり。
あと24mm(相当)も。
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6月14日 支払いと検診

2022年06月14日 | Weblog
税金の支払いをすることに。
その前に延ばしていた検診を受けるために都内某所。
思いのほか時間がかかり、銀行窓口は閉まる時間に。
できれば窓口に現金を叩きつけて鬱憤ばらしをしたかったが、そんな事をされる窓口はたまったもんじゃないだろう。
で、昨夜ネットでやろうとして取り扱い金額制限に引っ掛かって出来なかったペイジーをATM端末で。
問題なく利用でき、あっさりと持ち金は自治体へと吸い上げられていった。
鬱憤ばらしに小物を買い物。
ちょっとしたものでさえ、これは今の自分には必要なものなのだろうかと何度も自問し、自問疲れでボンヤリした頭でなんとなく買ってしまうという貧乏生活。生活ではなく性格か。
十分死ぬほど働いてきたと思うが、それでもそれに対する労いの一品さえ手にする事ない人が大勢いるのだと思うとやるせない。

季節の変わり目だからか関節各所が痛い。
足首は捻挫したような痛みがでる。
早くも冷房病か。
動画は今日も変換作業できず。
のんびりしたいという気持ちと残りの時間は少ないと焦る気持ちのせめぎ合い。
何をして何をしないのか考えるの大変。
先日のPCR検査は陰性。
もっと頻繁に受けて感染させない側であり続けなければと。
出歩く者の務めだと思っている。
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6月13日 高温多湿

2022年06月13日 | Weblog
梅雨となるとカビは生えるし、食べ物はすぐに腐るし注意が必要。
前者はカメラレンズの大敵だし後者はカレーの大敵。
カレーはすぐに腐る。
インドでは作り置きはしないと昔は言われていた(今は知らん)。
鶏肉とトマト缶で鍋一杯のカレー。
連日のメニューとなるが、そういえば明日は検診で絶食だった。
鍋ごと冷蔵庫に保管。

2010年ごろのプーチン本を読んでいると、現在進行中のウクライナ侵攻に際してのプーチンへの”対応”と同じ事が書かれていて、当時からどのようにプーチンに対応してロシアが起こす”問題”に取り組むべきか、つまりずっと対応されてこなかった現実が示されている。
前近代的な思考での国家のあり方を善とする大国の政治家(それは元社会主義陣営なのだが)が力を武器に勢力拡大をするのは周辺の国にとっては迷惑なのだが、その迷惑さを多少なりと認めていた時代というのは家父長制が強かった時代で、不満はあっても家長に従えという不文律が生きていた。
ところが時代が変わって、実は周囲から助けられてやっとリーダーの地位にいただけだという化けの皮が剥がされたのが経済成長の低下であった。
誰がやっても上潮の時代には乗り越えられた”困難”が、本当の困難な時代には単なる家長であるという理由だけでは能力不足が露見し対応できず、捨て置かれる”子供達”が多数発生した。
そこでようやく”実力主義”として女性も加わった時代が拡がってきたのだが、未だ男だけが表に出ている国家では既得権益を男が押さえ社会が歪み不満が抑えつけられ問題の先送りがされて社会や経済の先行きが怪しくなっている。
そんな代表が日本だったりロシアだったり現在進行形の中国だったりするのだろう。
日本などは他国からすれば、こうやればこういう結果が出て衰退する、の実例を提示し続けるモデルケースなのだろうが、プーチンの思考もこう考えればこんな軋轢が生まれこんな禍根を残すという実例となるだろう。
それに学ぶ人もいればいない人もいる。
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6月11日 重荷

2022年06月11日 | Weblog
仕事明けにそのまま荷物を背負いながら動画撮影へ。
小型軽量の必要性を実感するための苦行かと。
昼前に人通りが増えたために終了。
人混みと混雑が嫌い。
新宿駅で3月ぶりにPCR検査。
常時開催されていれば定期的に受けれるのだが、出会った時が検査どき。
爆睡後に日記をと思ったら口絵のストックが切れてしまい、慌てて写真加工。
最近はトイカメラ風の加工を続けているが、本当は昔のような暗い濁った色調にしたいのだが現在の写真加工ソフトではうまくいかない。
サブスクでフォトショの軍門にくだるしかないのか。
しばらくは現在の色調で。

郵便貯金の通帳が見当たらないのでスマホにアプリを導入。
面倒な手続きの上でやっと登録。
残高がないことを確認。orz

仕事場に時たま来る理系検査ジョシのおねいさんが現在のマイアイドル。
今回も無事に御尊顔を拝見できてあと半年頑張れそうです。
内気な理系年下ダンシを指導するツンデレ上司の役割りがそそるプレイ。
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