67回目の終戦記念日の今日、表題のNHKスペシャルを見ました。
終戦間際の昭和20年春。
4月には米軍が沖縄本土に上陸し、3月と4月だけで20万人の人が犠牲に。
5月にはドイツが降伏。その翌日、アメリカのトルーマン大統領が日本に無条件降伏を要求しましたが、日本の政府と軍のトップ6人は降伏の会議を行いましたが、なんとか有利な条件を模索しようといたずらに時間を浪費する間に、事態は悲惨な状態に陥っていったそうです。
勝敗はとっくに決していたことは幹部はみなわかっていたとのことですが、ソビエトの参戦情報の共有遅れ、戦後処理交渉を優位に進める為に米国に本土決戦で一撃を加えるべきだという意見が優勢だったこと。今では考えられませんが、これが戦争というものでしょう。
組織論、タコ壺化。いたずらに会議を増やし、議事録も無く、個人で責任を負わず都合の悪い情報には耳を塞ごうとする姿勢。
無条件降伏せざるを得ない状況を理解していながらも、徹底抗戦の旗を降ろせなくなっていた状況を改めて見て非常に歯がゆく思いました。
本日のリハビリ
・歩数:5,780歩
・タオルワイピング:200回
・左荷重ステップ:200回
終戦間際の昭和20年春。
4月には米軍が沖縄本土に上陸し、3月と4月だけで20万人の人が犠牲に。
5月にはドイツが降伏。その翌日、アメリカのトルーマン大統領が日本に無条件降伏を要求しましたが、日本の政府と軍のトップ6人は降伏の会議を行いましたが、なんとか有利な条件を模索しようといたずらに時間を浪費する間に、事態は悲惨な状態に陥っていったそうです。
勝敗はとっくに決していたことは幹部はみなわかっていたとのことですが、ソビエトの参戦情報の共有遅れ、戦後処理交渉を優位に進める為に米国に本土決戦で一撃を加えるべきだという意見が優勢だったこと。今では考えられませんが、これが戦争というものでしょう。
組織論、タコ壺化。いたずらに会議を増やし、議事録も無く、個人で責任を負わず都合の悪い情報には耳を塞ごうとする姿勢。
無条件降伏せざるを得ない状況を理解していながらも、徹底抗戦の旗を降ろせなくなっていた状況を改めて見て非常に歯がゆく思いました。
本日のリハビリ
・歩数:5,780歩
・タオルワイピング:200回
・左荷重ステップ:200回