Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

2010.ネット論-ブログとmixiとtwitterと。。。

現代社会とは何か。

もはやなんとも言えないくらいに、概念が膨張しているように思う。現代社会を語ることは、今や不可能に近いくらいに難しく、ますますカオス化しているようだ。もちろん、そんなに社会それ自体が劇的に変化したわけではないが、現代を捉える一義的な概念を見いだすことはとても難しくなっている。

その中で、現代を象徴するのが、インターネットの世界だろう。僕はもともとアナログ人間なので、直接的な生の世界の方を好んでいた。インターネットの世界なんて、『ピンクスパイダー』の世界であり、自分の住処ではないと心底思っていた。

が、こうやってネット世界に触れてみると、考えられないようなつながりが生まれたりする。10年前だと想定できないような人間関係が生まれつつある。ネットを通じて、リアルな友だちを見つけることも、現実的なものとして感じられるようになった。ネットの世界がなければ出会えなかったような友人も生まれた。リアルな体験として、ネットとリアルが結びついてしまったのだ。

小中高、大学、大学院の友人でもなく、職場の人間でもない。趣味や考え方を共にする知り合いが、ネットを通じてできた。おそらく十数年前だと、「そんなのはありえない」と言われるような出会いであろう。ヴァーチャルな人間関係じゃない。リアルな友だちが、ネットを通じてできてしまうのだ。つまり、ヴァーチャルVSリアルという対抗軸ではないのだ。ヴァーチャルがリアルとなり、そのリアルそのものを変えてしまう、それほど大きな力がネット界にはある。

しかも、この数年、ネットの中そのものも大きく変容してきている。その変容のスピードは恐ろしく早い。

2004年以前は、ネットといえば、HP(ホームページ)の時代だった。html言語など、コンピュータ言語を使用できる人だけが、ネット世界にアクセスすることができた。個人的なHPもかなりあった。HPビルダーというソフトを使って、HPを作った人も多いことだろう。僕も、当時やっていたボランティア団体のHPを作ったことがあった。でも、そんなに双方向的なものではなかった。もちろんHPをみて、うちの団体に興味をもってくれた人も少なからずいた。

2004年の中頃から、ブログというメディアが日本中に広まり始めた。もともとは9.11事件をきっかけに広まったアメリカのメディアだった。これがブレイクするのが、2005年から2006年。(比較的長くやっている)ブロガーのほとんどが2005年~2006年にブログを開設している。ブログのコメントやトラックバックという機能がうけて、双方向的なメディアとして一世風靡をした。とはいえ、この時代は、そんなにブログが社会的に認知されていたわけではなかったから、すごく自由で、軽くて、使いやすいメディアだった。

だが、ブログが広まれば広まるほど、『ブログ炎上』という恐ろしい現象が生まれるようになった。2ちゃんねると連動して、不特定多数の人に記事が読まれることの怖さを知るようになった。ブログは、いわゆる「検索」にひっかかるようになっていて、いわば「丸裸状態」なのだ。自由に書いた自分の記事が、色んなところに貼り付けられ、URLがさらされるリスクも高まった。

そんな矢先に登場したのが、紹介制のSNS(ソーシャルネットワーキングシステム)だった。SNSのトップランナーがmixiだった。mixiは、ブログの弱点である「公開制」を防御するシステムとして、みんなの注目を集めるようになった。不特定多数の人にさらされる心配がなく、安心して自由に文章を書けるとあって、世代を超えて愛されるメディアに成長した。ただし、最近は、機能が複雑になり、また本来の魅力だった紹介制をやめてしまい、その方向性が揺らいでいる。

GREEといったSNSも登場したが、mixiほどのムーブメントにはならなかったような気がする。今やGREEは、ゲームやアプリケーションで人をひきつけている。コミュニケーションツールとしては、少し翳りを見せているようにも思える。(とはいえ、まだまだ人気は根強い!)

そして、今、最もみんなが愛用しているのが、Twitterだ。いわゆる「つぶやき」をするメディアで、公開性をもつブログの要素と、簡素でシンプルなmixiの要素を合わせたような感じだ。mixiでいう「マイミク」に該当する「ツイート機能」が話題を呼び、多くの人の興味・関心を集めることに成功した。また、日記ではなく、つぶやきなので、炎上を起こすこともない。「言語」の意味は薄れ、ただただ言葉が流れるように吐かれる場所になっている。ブログやmixiのような「意味性」はなく、ただつれづれなるままに書いてつぶやくだけ。

利点としては、炎上しにくい、ということが挙げられるかな。

ただ、あまりにも多くのつぶやきがあるので、それをいちいち丁寧に読んでいられない。というか、丁寧に読まれることを前提としていない。字数制限もあり、書き手もその制限のなかで、簡素に、単純につぶやかなければならない。

このTwitterが今後どうなるのかは不透明だが、おそらく数年もしたら下火になる可能性が高い。Twitterの問題は、有名人や著名人に圧倒的に有利な点にある。知名度があればあるほど、注目されるし、無名の人間だと、大勢の人に注目されることは極めて困難だと思う。

ブログを愛するkeiとしては、やはりブログを大事にしたいと思う。

ある程度の内容、クオリティーが保障されている。炎上は怖いけど、不特定多数の人に公開されているのは、やはりいいことだと思う。公共性が高いのも、やはりブログだと思うのだ。

ま、メディアは使い方次第だとは思う。人によっては、mixiがいいだろうし、人によっては、Twitterがいいと思うだろう。それぞれのニーズに合わせて、使い分ければ、それはそれで楽しいだろう。

ネット界を「単なるヴァーチャル世界」と片付けずに、ネットとリアルをうまくつなげていけば、それなりに楽しい生活を送ることができるのではないだろうか。この10年間で、かなり「ネット」と「生活」が接続されたと思う。いいか悪いかは別として、そういう時代に入ったのだろう。

で、それが、そのまま「現代社会の構図」ということになるのだろう。

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