スウェーデンの学校には、部活動がない。
ドイツの学校にも、部活動はない(はず)。
また、クラブ的なものがあったとしても、そこに「顧問=教員」はいない。
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日本の部活動における「体罰」が問題になっている。
「体罰」がなぜずっと繰り返されているのか。
体罰をする指導者(顧問=教員?)は、「勝つため」に、体罰という名の指導を繰り返している。
なぜ、そこまでして勝ちたいのか。
それは、当の子どもたち自身が、「勝つこと」を強く望んでいるからである。
では、なぜ、子どもたちはそこまで「勝つこと」に固執するのか?
色んな理由があるだろう。
その中で、強烈に「勝ちたい」という気持ちを動機づけるのは、「推薦」がもらえる、ということだろう。
中学生にしても、高校生にしても、部活動での成功は、そのまま「選抜=受験」につながる。
高校推薦、大学推薦がもらえるという「ご褒美」があるのだ。
それは、つまりは「選抜」という機能が強く作用しているがゆえの「勝ちたい」なのである。
部活動は、何のためにあるのか?
当の子どもたちにとっては、「楽しみ」であるよりはむしろ、「進学」「選抜」「就職」にかかわる一大事なのである。
部活動が、そのままリクルート機能を果たしている、ということ。
それは、ある意味で、実に日本らしいといえば日本らしい。
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そして、「顧問」という存在。
学校という閉じられた空間の中で、外部の目にさらされることのない顧問。
顧問は、学校という性質上、生徒たちの「教師」でもある(そういうふうに見える)。
だから、部活動における指導者と生徒の関係は、「権力関係」なのである。
しかも、上に述べたように、選抜システムの中に埋め込まれた権力関係である。
となれば、生徒たちは「完全服従」するしかない。
いい高校や大学の「推薦」が欲しいからだ。
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もし、この仮説が正しいとすれば、学校の中のプログラムの中に部活動がインプットされていることが問題なのではないか?
地域のスポーツクラブなどは、主に生徒の親(お父さんたち)が指導にあたっている。
がゆえに、生徒たちと指導者の間は、先生-生徒ではなく、誰かの父親-子ども、という関係となる。
だから、指導者は、安易に体罰や暴力に出ることはない。(誰かのお父さんなわけで、、、)
また、お父さんたちが大勢いる前で、誰かによる体罰=暴力はなかなか起こりにくい(というか、ありえない)。
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部活動と学校と選抜システムの共犯関係を唾棄しないで、部活動での体罰問題は解決されることはないだろうな、と。
なんか、日本の真面目な部活少年・少女たちが可哀想、、、
「勝つため」に部活を頑張らされるなんて。
結果として、「勝つこと」があってもいい。でも、「勝つこと」が目的となったら、それってもう部活動ではない気がする。
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やっぱり、部活動は、学校活動とは切り離したほうがよいのではないか?
部活動は、社会教育活動にした方がよいのではないか?
部活動は、たとえ学校の敷地を借りてやってもいいが、教員や外部の顧問による指導ではなく、児童の親や地域住民たちによる指導で営まれるべきなのではないか?
そうすることで、少しは先生たちも、授業や子どもたちのことをじっくりと考える余裕が出てくるのではないか?
そして。
部活動による選抜が解消されて、無理のない楽しい部活動が実現されるのではないか?
少なくとも、「スポーツ推薦」は廃止させるべきではないのか?
(メモです)