赤ちゃんポスト運用に関するニュース。
<赤ちゃんポスト>10日で5年 問われる匿名運用
毎日新聞 5月9日(水)8時5分配信
熊本市の慈恵病院が設置した、親が育てられない子供を匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」は、10日で運用開始から5年を迎える。同病院の蓮田太二理事長らは8日に記者会見し、受け入れた子供の身元を判明させる努力をしつつ、匿名での運用を続ける考えを改めて示した。
病院が受け入れた子供は07年5月~11年9月の約4年半で81人。蓮田理事長は会見で、「人に妊娠・出産を知られたくないという思いの強い人が来るのだから、匿名での受け入れは必要です」と強調した。更に4、5月に福岡で乳児の遺棄事件が相次いだことに触れ、「(匿名では受け入れてくれないと)誤解されていないか心配だ」とも語った。
3月に発表された熊本市の検証では、子供の「出自を知る権利」の観点から、匿名での受け入れは認められないと結論づけた。病院も身元が分かった方が養子縁組を進めやすいことなどから、2年目以降は利用者に声をかけるなど身元判明に力を入れている。判明の割合は、07年度は65%(17人中11人)だったが、08年4月から11年9月までを見ると88%(64人中56人)にまで伸びた。
09年まで熊本県の検証会議座長を務めた柏女霊峰(かしわめ・れいほう)・淑徳大教授は、受け入れ後に身元を特定させる現在の運営方法について一定の評価をする。匿名で受け入れても、再び実親の家庭に戻る子供が増えているためだ。「(ポスト利用の)理由は安易だったかもしれないが、親も変わっていくきっかけになっている。受け入れ後に限りなく身元不明ゼロにすることは、病院と行政の努力のしどころです」と語った。
しかし、「ゼロ」はまだ実現せず、自身の出自を知ることができない子供は少しずつ累積している。
匿名か実名かは、非配偶者間体外受精など生殖補助医療の分野でも問題になりつつある。卵子や精子の提供者が匿名を条件に提供しているケースがあるためだ。帝塚山大の才村(さいむら)眞理教授(児童福祉論)は「匿名での提供を受けて生まれ育った子供たちは自分の出自がわからず、苦しんでいる。だから、親が誰か、なぜ育てられないのかがわからないままとなる『ゆりかご』の匿名には反対です」。
議論に着地点はあるのだろうか。蓮田理事長は会見で問われ、答えた。「誰から生まれたかではなく誰に育てられたかが重要と社会が理解し、養子を特別視しなくなった時に、匿名性と出自の問題はなくなるのではないでしょうか」【結城かほる】
ポイント。
①医師でありキリスト教徒である蓮田と、社会福祉・児童福祉の研究者(柏女、才村、そして前の記事に出た山縣)との間の対立。同じ子どもの福祉を考える立場なのに、ここまでずれるのか。なぜ児童福祉を研究する立場の人間が、この赤ちゃんポストの運営に対して批判的なのか。
②赤ちゃんポストで最も批判される点の一つが「匿名性」である。上にもあるが、匿名性を批判する論理としては、「自分の出自が分からずに苦しむ子どもがいる」、ということが挙げられる。「出自を知る権利」というのもあり、「子どもの権利の保障」という観点から、匿名性が認められないということか。「子どもの命を守ること」と「自分の親を知ること」の対立が、ここにはある。
http://210.149.59.38/feature/yurikago/kiji/20120330001.shtml
③児童福祉論者たちは、「身元不明の子どもをゼロにすること」を願っている。が、蓮田さんは、「まずは子どもの命を守ること」(と、同時に、母が犯罪者にならないこと)を優先する。そして、児童福祉論者は、制度化・法整備を要求するのに対し、蓮田さんは、それを待っていられない、と考える。このズレをどう考えたらよいのか。
④賛否両論がある中でも、日本では、ドイツ語圏の赤ちゃんポストの運用と比較すると、恐ろしいほどに赤ちゃんがこうのとりのゆりかごに預けられている。この現実をどう説明するのか。非難されるべきは、赤ちゃんポスト設置者ではなく、ここまで赤ちゃんを手放さなければならない母を生み出すわれわれの側なのではないか。児童遺棄も、児童殺害も、こうのとりのゆりかごへの匿名の預け入れも、虐待も全部共通しているのは、現状の子育てが十分に機能し得ていない、ということだ。それを「母親の責任」にして、母親(あるいは夫婦)個人にその責任を押し付けることが果たして正当なことなのか。
重ねて、付記しておきたい。
http://mainichi.jp/select/news/20120329k0000e040162000c.html
2012年3月29日に、赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」の運用を検証する熊本市の専門部会(部会長=弟子丸元紀、益城病院医師:精神科医)が、幸山政史市長に中期的検証の報告書を提出した。
「報告書によると、身元が分からない子供2人の特別養子縁組が成立。慈恵病院は子供が新しい家庭で育つ方法として養子縁組を積極的に市に求めているが、ポストが匿名で受け入れている現状では、養子縁組で子供の「出自を知る権利」が保障されない。このため報告書は、匿名での利用は容認できないと結論づけた。報告書に強制力はないが、市や病院は対応を迫られそうだ」(上記URL)
この匿名性と出目の対立は、医師VS児童福祉論者というだけではない。精神科医である弟子丸も、同じ理由から、赤ちゃんポストを容認できない、としている。
こうしたことから、赤ちゃんポストをめぐる議論は、「匿名性の保持」か、「出目を知る権利の保障」か、という二項対立をそのベースとしていることが見えてくる。
だが、この報告書の第5章で、この匿名性と子どもの出目は矛盾しないという見解もだされている。
「預入者を匿名にすることと、子どもの出目を明らかにすることとは矛盾しないと考えるべきである。預入者の実名を運用上関わった者が知り得たとしても、それをいかなる機関・個人にも公表しないことで匿名性は維持されるからである。現時点までに身元が判明しない子どもが存在することに留意して、今後は制度上もできうる限り子どもの出目に関する情報を確保できるような方法を工夫すべきである」(p.43)
と、いいつつも、上のURL引用にもあるように、匿名性を容認することはしていない。
「ゆりかごの匿名性は、母子にとっての緊急避難として機能し、さまざまな援助に結びつける入口となりうる一方で、子どもの人権及び子どもの養育環境を整える面から最後まで匿名を貫くことは容認できない」(p.45)
ここで重要なのは、「最後まで匿名を貫くこと」である。誰がというと母(ないしは両親)だ。
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