Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【Mask Addiciton】マスク・アディクションにご用心!?

コロナ・パンデミックが発生してから、もう1年半…。

まだまだこのパンデミックが収束する気配さえ感じられない日々。

この中で、僕がとても懸念していることがあります。

それが…

Mask Addiciton
マスク・アディクション

です。

これは、僕の造語で、今後、懸念されるシンドロームと言ってもいいかもしれない中毒症です。

addicitonには、「常用癖」という意味があります。まさに「マスクの中毒的な常用癖」ですね。

「マスク依存」についてはこんな論文が出ています

先日、20代前半の女性とお話をしていて、こんなことを言ってきました。

コロナになって、私、すこしホッとしているんです。外出するときに、いつでもマスクを付けなきゃいけないじゃないですか。そのおかげで、とても安心して、外に出られるんです

「化粧をしなくていいとかっていうレベルの話じゃなくて、『顔が見られない』ってことがすごく安心するんです。keiさんは男性だから分からないと思いますが、女性は常に『顔』が見られるんです。いつでも、男性から「かわいいかどうか」「美人かどうか」という視点でみられるんです。でも、今はみんなマスクをしているじゃないですか。だから、じろじろと見られなくて嬉しいんです。このまま、ずっとコロナが続いてくれたら、と少し思っています」

ですって。。。😨

なんだか、すごくすごい話を聴いた気がしました。

マスクをしているせいで、ルッキズムの波にさらされなくてほっとしている、というのですから…。

もう1年半以上、「マスクを付けて生きる生活」が続いています。知らず知らずのうちに、「マスク」が僕らの日常生活の中で必要不可欠なものになってきました。

喩えるなら、これまで僕らが「服」を着ないで外に出ることができなかったように、「マスク」なしで外に出られなくなりつつある、ということです。

マスクなしでは外に出られない…。マスクがないと不安になる。落ち着かない…。

この現象を「マスク・アディクション(マスク中毒)」と呼びたいと思います。

欧米では、タバコ同様に、マスクも、「外では外してもOK、中では外すことはNG」となっています。屋内や車内や室内ではマスクは着用しなきゃいけないけれど、外に出れば、着用しなくてもOK。それが、いわゆるスタンダードになっています。

ですが、日本ではちょっと尋常じゃないくらいに「マスク依存」の状況になっています。

ごくまれにマスクをしていない人も見かけますが、誰からも強要されていないのに、見事にみんながみんな、マスクをしています。時折流れる海外の映像と比べると、そのマスク着用の比率はとんでもないことになっているように思われます。

のどかな田舎道でさえ、まわりに誰もいないのにマスクを付けているのですから、もう「何のためにマスクを付けているのか」も考えなくなるほど、常用化しているのだと思われます。

もともと日本人はマスクが好きでした。

これまで100人近い学生をドイツに連れていきました。学生たちを外国に連れて、その町を歩いていると、きまって「なんでこの女の子たちはみんな、マスクをしているんだ?」と聞かれました。「体調が悪いのか?」、とも。

でも、体調の悪い子はいませんでした。「なぜマスクをしているの?」と聞くと、「乾燥しているから」とか「空気が汚そうだから」とか「肌荒れが酷いから」とか、そういう理由で付けていると(一応)説明してくれましたが、それだけじゃないよな?!、とも思っていました。

顔を見せたくない。そんな心情をなんとなく感じていました。

とはいえ、コロナ以前は、それほど強烈にマスクに依存しているわけではなくて、なんとなくゆるい感じでマスクを着用していた気がします。写真を撮るときは、しれ~っとマスクを外していましたし、誰かと会う際に「マスクは取ってね」というと、何の疑問ももたずに外してくれました。

けれど、この1年半で、その状況が一変しました。

コロナ禍で、外出する際にはほぼ100%、マスクをするようになりました。マスクを付けて外出することが、「デフォルト」になりました。それはまるで、服を着て外出するのが「当たり前」のように…。

マスクを付けることが「当たり前」になると、今度は、それなしでは「耐えられない」という心情が出てくることになります。先日、とある若者に、「ちょっとマスクを取って」と言ったのですが、そうしたら、とても不快そうな顔を浮かべて、「嫌です」、と返答してきました。なんとなく気持ちを察したので、「あ、わかった」と応じましたが、その時の若者の不快そうな顔がとても印象的でした。

マスクがないと不安になる。マスクがないと落ち着かない。マスクがないと怖くて外に出られない。そんな人たちが徐々に増えてきているのでは?、と懸念します。

ここまで全体主義的に一億総マスク社会になると、もう「外すタイミング」を見定めるのも容易ではありません。Covid-19は今後もなくなることはないと考えるのが妥当でしょう。流行風邪やインフルエンザ(スペイン風邪)と同じように、当たり前に伝染していくものとして、僕らの日常に入り込むのでしょう。なくなってくれたらluckyですが、それを期待するのは、少しお門違いかな、と思います。

いつか、どこかのタイミングで、みんながマスクを付けずに外出することにはなると思います(これだけの人間が毎日使い捨てのマスクを使っていたら、それこそコロナ以前に、環境的なダメージで人類全体が生存できなくなるかもしれませんし)。

そうなったときに、マスク・アディクションの問題が浮上してくるように思うのです。

「マスクを付けていない人がいて、怖くて外に出られない」、「マスクがないから、怖くて人に会いたくない」、「(先生や上司から)マスクを外してと言われて、ストレスで、ハラスメントを感じる」といった訴えも出てこないとも限りません。

コロナ前の2019年に書かれたこんな文章があります。


マスク依存症とは、自分の顔をマスクで隠していないと落ち着かない状態を指す。本来のマスク着用の目的は、花粉症対策、風邪予防、喉の乾燥対策、各種感染症予防の対策、またはインフルエンザなどにかかった際に周囲へ移さないためのエチケットだが、マスク依存症の場合はそれらを目的としておらず、病気以外の理由でマスクを着用する。その場合は「伊達マスク」とも言う。

マスク依存が強い人は、学校や職場で食事をする時以外は常にマスクを着用しているため、本人がその不便さに悩むことも多い。ヤフー知恵袋には「マスク依存症」に関する相談が582件(2019年3月現在)で、中学生・高校生の投稿が目立つ。「鼻毛が出てるよ」「マスクしていればかわいいのにな」「顎が割れてるよ」「ニキビがすごいできてるね」など、主に男子が女子に対して人前で発した指摘が原因になっているケースが見受けられる。中には、花粉症の時期にマスクをずっと付けていたらそれが習慣になり、花粉症の時期が終わっても外せなくなってしまったという人も。

引用元はこちら


僕が懸念するのは、このマスク依存症の予備軍となる人が、マスク・アディクションという形で、どっと増えるのではないか、ということです。

ただ、それがいけないことなのかどうかは、今の僕には分かりません。マスクをすることが、いつか「普通のマナー」になるかもしれませんし、マスクをつけて外出することが、「当たり前のこと」になるかもしれません。(服を着るように、当たり前にマスクをする時代が来るかもしれない…)

ただ、僕としては…、マスクはやっぱり嫌なんです。息がしにくい。圧迫感がある。冬はいいけど、夏場は(僕は汗っかきなので)とにかく辛い…。常に不快感があって、マスクをしている状態にちっとも慣れません。

今後、マスクはどうなっていくのでしょうか。

ただただ、それを心配しています…。

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