Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

我がバンドが進む道-無意味なPOP ARTを超えて!

うちの相方、Mayoにこう言われた。

今度のバンドは、しっかりコンセプトを立てて、曲にしろ、歌詞にしろ、一貫性をもたせたい。そうしないと、バンドの軸がぶれる。統一感のあるバンドにしたい

と。(多分そういうこと、、、汗)

そこには、僕も強く共鳴する。「何でもあり」なバンドスタイルは、僕も好きじゃないし、コンセプトのないバンドや、コンセプトぶれぶれのバンドは、見ていて、かっこよくない。

では、どんなコンセプトで、どういう一貫性をもたせるか。ここは議論となるだろうな。四人いれば、四人ともそれぞれの「世界観」をもっているわけで、どういう統一感を作るかは、その4人の対話・議論を通じて、見つけていかなければならない。

***

僕の中では、「Decadant Surrealism」を標榜したい。JESUS+ROMEOの方向性として、デカダンス+シュルレアリズムの世界を音楽の世界で表現したい。訳せば、「退廃的絶対現実主義」となるのかな。一般的には、「退廃的超現実主義」となるんだけど、「超」という言い方が紛らわしい。

現代音楽は、POP ARTの影響を受けていて、POP CULTUREの時代の中にある。基本的には、商業主義的な音楽で、不特定多数のリスナーに「共感」されることを狙った音楽、歌詞で構成されている。その根底には、「軽さ」と「日常性」と「一般性」と「無意味さ」があって、ぶっちゃけていえば、「何の害もない音世界」が目指されている。

それに、「音楽文化・技術の成熟」が重なって、とにかくどのバンドの音も、きれいで、上手で、完成度が高い。とにかく、歴史上、ありえないほどにみんなが上手になっている。ラーメン屋さんと同じく、「下手なバンド」を見つけることが困難なくらいに、みんな巧い。音もよい。

でも、どんなに文化が成熟しても、僕らの人生・生活は、そんなに器用にはまわっていない。むしろ、どんどん追い詰められている。「生」にかかわる仕事が減り、第三次産業を中心とした「余剰労働」(?)が主体となっていて、生に直結する仕事がなかなか見出せないのが今の日本であり、先進国だ。

「生きているけど、むなしい」、「ただ生きているだけ」、「とりあえず生きている」… 終わりなき日常をただ生きるだけの僕ら。その慰めに、POP MUSICがあったりもする。

でも、JESUS+ROMEOは、慰め音楽がしたいわけじゃない(はず)。

なんか、世の中の汚さとか、矛盾とか、不条理とか、不平等さとか、そういうものを叫んでいきたいって思う。Dir en greyは、「哀しさ」とか「苦しさ」ってたしか言ってたかな。うちらはそういうんじゃなくて、「汚さ」や「理不尽さ」への抵抗を叫んでいきたい(僕的、だけど)。特に「不平等」は、猛烈な勢いで広がりを見せている。「格差」「不公平」は、現代思想の真っただ中にある言葉だ。

*でも、注意しなければならないのは、「青い鳥」「ピーターパン」に陥らない、ということ。世の中の汚さを、頭から否定して、「大人なんか大嫌い」と叫んではダメ。もう35歳だし(苦笑)。

だから、基本的には、PUNK精神なんだと思う。そこは、Mayoと一致している。だから、もっと「怒り」とか「抵抗」とか、そういう気持ちをむき出しにしたい。かつ、変に理想主義に陥らないで、過激に現実にとどまる、というか、「現実をみろよ!」と、とことん現実にこだわりたい。愛だとか、平和だとか、そういう高尚なことは一切言いたくないし、歌いたくもない(このバンドでは、ね。ソロは別☆)

なので、デカダント・シュルレアリズムなんです。

ま、これがバンドのコンセプトになるかどうかは分からないけど、僕の中でのJESUS+ROMEOは、そんなバンドなんです。

みんな、怒りやタナトスを内に強くもってる男ばっかですからね。だいたい、35にもなって、バンドだ~ロックだ~なんて叫んでいる人間、そんなに多くはないです。みんな、音楽の世界からいなくなっちゃいますから。

だからこそ、熱くいきますよ。とことん。

***

がゆえに、今の「ヴィジュアル系バンド」にも、抵抗します。「巧きゃいいんだろう」っていう精神も気に入らない、かわい子ぶってる「オカマバンド」も気に入らない、話題集めのためにパフォーマンスだけで目立とうとするバンドも気に入らない、なんか難しいことを言いつつ、何の中身もない言葉遊びの歌詞を歌うバンドも気に入らない。(あ、敵がいっぱい増えた、、、汗)

もともとのポジパン(ヴィジュアル系の前身)バンドの歌詞には、「意味」があった。「叫び」があった。「思想」があった。「笑顔」が最も似つかない独特な緊張感があった。

見た目だけじゃなくて、歌詞も過激だったし、反骨精神があった。髪の毛だけじゃなくて、心が尖っていた。BUCK-TICKは、音こそ超POPでキャッチーだったけど、詩世界はめちゃめちゃ「変態」だった。グレーゴム・ザムザが出てくるくらいだから、、、汗

尖った音、痛い音、キツい音がいい。もちろん、歌詞も尖ってて、痛いほうがいい。巧いに越したことはないけど、巧さでどうこういうバンドにはしたくない。(ま、ボクは根本的にテクニカルなことに批判的なので、代わり映えしないけど、、、)

今は、そう思っています☆

***

…ラーメンにも同じことを求めているのかも。今のラーメンって、どこも美味しいんですよ。で、どこも凝ってる。けれど、「で、何なの?」と思ってしまう。「とりあえずこんなんでいいだろ」的な空気がまん延している。違うだろ、と思うわけ。

全部、スマートすぎるんだよな。。。愚直じゃないっていうか、実直じゃないというか。僕が気に入るラーメン屋さんって、やっぱりそういう愚直さや実直さがあるお店なんですよね。多少、荒削りでもいいから、「熱いラーメン」(苦笑)がいい。

冒険心っていうのかな。

冒険心のあるラーメン、冒険心のある音楽、冒険心のある研究、そういうのをもっともっと探究したいな。(最後は、大きくまとめました☆)

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