Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

12日目と13日目-Unser letzter Tag in Deutschland

最後の日はブレーメンで14時まで穏やかにそれぞれ過ごしました。

この日はたまたまホテルのサービスでレイト・チェックアウトというのがあって、14時にチェックアウトすればよいみたいで。最後に、小さなラッキーがあったかな、と。

とはいえ、僕は朝からフル稼働。本当は14時まで、ぼけーっとホテルでだらだらしたかったのですが、あれやこれやと走り回っていました。ま、その結果、何にも代えがたい経験ができたわけですが、、、(前記事参照)。

それに、ブレーメンという街も、本当に気に入りました。

さすがロバがブレーメンを目指した街だけあります。ロバは結局ブレーメンには辿りつかなかったわけですが、、、

ドイツには、僕個人的に大好きな街がいっぱいあります。

バンベルク、アンベルク、ローテンブルク、オーバーアマガウ、リューベック、フレンスブルク、コンスタンツ、フライブルク、ハーメルン、ナウムブルク、ワイマール、ドレスデン… 挙げればきりがありません。

けど、このブレーメンも本当に素敵な街でした。必ずやまた来たいと思います。

とにかく「路地」の美しさ、素敵さに関しては最高クラスだと思います。

こんな素敵なお店もありました。

これ、お店ですからね。感動でした。

学生たちも、最後の1日を存分に堪能していたようでした。まぁ、女子ですから、「お土産」に必死でした。男って、そこまでお土産に執着しないと思うんですけど、女という生き物は、誰かへのお土産を買うこと=生きることというくらいに、買い物が好きな生き物なんですね。この8年で、本当によく分かりました。女からお土産(を買うこと)を取り上げるというのは、殺人に近いくらいの罪。

なので、この数年は買い物の日を必ず作るようにしています。異文化理解ですね(苦笑)。

それでも、「お土産を買う時間がない!」、と僕に厳しい目で迫ってきますからね。女という生き物は不可解です。

最後のホテルの最後のチェックアウト後です。

みんな、最高の笑顔を見せてくれました。これも、お土産購入後ゆえの笑顔なのでしょう(苦笑)。

いえいえ、ブレーメンという街がみんなを幸せにしたのでしょう。

***

そして、15時くらいのICに乗って、一同、デュッセルドルフ空港に向かいます。

途中、ドルトムントで乗り換えました。ドルトムントも僕にとっては大切な街です。

ホント、ドイツ中、僕の思い出の街だらけ。

そして、遂に、出発点であり最終目的地であるデュッセルドルフ空港駅に到着しました。

この駅に到着した瞬間、僕は、張詰めていた糸がパーンとはじけたような気分になりました。

「あぁ、無事にここに戻ってこられた…」

思えば、ドイツに来る前、僕はものすごい心配でした。シリア情勢が悪化しており、また欧州各地でテロがあり、さらにはポーランドのお隣であるウクライナでは内戦状態。ドイツとは言え、何があるか分からない。誘拐事件も起こっているし、爆破テロも起こってる。もし学生たちに何かあったら、と思うと、本当に苦しかった。

それに、僕が倒れてしまえば、この9人は路頭に迷うわけです。誰も他に助けてくれる人はいない。もちろん道に困っていれば、すぐに「どうしましたか?」と声をかけてはくれる。でも、この旅を引率するのは僕だけ。このプレッシャーは半端ないです。

そんなプレッシャーから解放されるのは、空港駅に到着する時。空港までたどり着ければ、僕がいなくても帰国はできる。助けてくれる人もいる。

未来をいっぱい抱えている若者たちだけに、また、嫁入り前のお嬢さんたちだけに、何かあっては困るわけで。。。

けど、今回も、なんとか無事に終わることができそう。そんな「ゴール」を一番感じるのが、この空港駅なんですね。

最後に、モノレール(無人!)で、ターミナルまで向かいます。

もう夕暮れ時。

夜のフライトに乗って、日本に戻りました。

学生たちは皆、疲れきっていて、飛行機の中では爆睡でした。

僕も半分以上寝てたかな、、、汗

 

そして、最後に、この旅で出会った素敵なドイツ語の歌を。

素敵な歌ですわ。


【後記】

ドイツ語クラブ(旧ドイツ語愛好会)を始めて、8年。この8年で、合計7回、学生たちをドイツに連れていきました。総勢50人ほどになります。僕という人間を通じて、ドイツという国と出会ってくれました。それは、僕自身にドイツを教えてくれた先生たちのおかげでもあります。僕自身、大学入学時には、ドイツなんて全く興味がありませんでした。だいたい、海外旅行なんてしたことなかったし、ヨーロッパなんて、一生縁のないものだと思っていましたからね。

大学って、そういう場所なんだと思っています。世界に触れたり、異文化に触れたり、これまで経験したことのない知的な営みに触れたり、ユニバースな場所なわけで。ずっと昔から、熱血な先生は、学生たちを色んな場所に連れていったと聞きます。少数派だとは思いますが、僕だけじゃない。「世界に連れていきたい!」と思う先生は、いつの時代にもいた。僕もその一人になれたかな、と、少しだけ自負しています。

毎年、「これだけの旅はもうできない…」とぼやいています。本当にそう思って、毎回やってきました。全身全霊で、このプロジェクトを続けてきました。今回の旅行も、再現不可能な旅となりました。同じことをもう一度やれ、と言われても、できません。同じメンバーでというのも無理ですし、同じ旅程でまわっても、今回の旅のようにはなりません。「最初で最後」。本当にそう実感しています。

でも、これだけの規模の旅は今回でおしまいです。僕自身、一度、リセットしないと、もう無理かな、と。年齢的なこともありますし、また、自分の中でのマンネリもぶち壊さなければ。それに、これからの数年は自分の大仕事のために、集中するつもりです。30代は、もうただただ駆け抜けるだけでした。40代は腰を据えて、じっくりと一つの研究を大成させたい。これまでの知識や経験を集約した「大作」を作りたい。できたら2000ページくらいの本を(苦笑)。

なので、今回の旅が終わった時の達成感と、何とも言えない寂しさは格別でした。

「終わっちゃった…」って。

この8年、本当に色々と僕も経験させてもらいました。学校では見られない学生の姿もいっぱい見られました。自分一人では絶対に行かない場所や、出会えない人と出会えました。そのたびに、若者の力って凄いなぁ、って思いました。大人たちは、若者を上から見て、「ダメだ」と安易に否定しますが、若者たちって、凄いですよ。パワーもあるし、気力もあるし、夢もあるし、度胸もある。きっと昔は自分もそういうバイタリティーで溢れていたんでしょう。もちろん、若者特有の「迷い」もいっぱい。

今回の9名のみならず、この8年で僕と一緒にドイツに行ったすべての「教え子たち」に、Danke!と言いたい。みんなは、僕に「お世話になった」というけど、そうじゃない。僕の方が、みんなから力をもらったし、僕の方こそ、いっぱい鼓舞された。その力に押されて、「通常じゃできない旅」ができただけ。学生の「好奇心」がなければ、こんな面倒くさいことは絶対にしない(苦笑)。

そういうわけで、これからしばらくは「廃人」になります。完全に燃え尽きた気がします。燃え尽きることができました。

 

…といいつつ、只今、絶賛時差ボケ中です、、、汗

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