Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

大もうけ時代から小もうけ時代へ!

 

最近、バブル時代の若者がコメディータッチで描かれることが増えた。

バブルの時代というと、W浅野が大活躍をしていて、
陣内さんや柳葉さんがトレンディードラマの最前線だった。
「フライデーナイトフィーバー」みたいなお祭り番組が毎週あって、
土曜日の夜は「オールナイトフジ」を楽しんだ。

この時代のイメージは、「大もうけの時代」って感じだった。
みんな、はぶりがよくて、騒げや歌えやと狂乱騒ぎを繰り返していた。
(僕はブラウン管を通じて、そういう世界があることを知った)

この頃は、CDやグッズがバカ売れしていて、
多くのアーチストたちが文字通り「大もうけ」をしていた。
(光GENJIやSMAPみたいに誰をも魅了した!)

でも、時代が変わり、音楽業界のみならず、
どこも、ぱっとせず、ブレイクせず、地味な感じで動いている。
大もうけ時代のような「はぶりの良さ」はどこにもない。
(SMAP以後のジャニーズを見よ!)

ものが売れるといっても、当時のようなバカ売れはなくて、
地味に、短命の内に、そこそこ売れる、そういう感じになっている。

何をやっても、どうやっても、バカ売れしない。
(生キャラメルは大ブレイク中だが、あと1年もしたらどうなることか・・・)
(でも、とりあえずはバカ売れしてるか・・・)

一部の例外はあっても、基本的には、
この先もうバカ売れの時代はこないんじゃないかなって思う。
マスコミの影響力も薄れ、僕らの「趣味嗜好」は人それぞれ。
価値の多様化によって、特定の誰か(メディアなど)が
人々の嗜好をコントロールすることはできなくなった。

こじんまりとした感じで、こじんまりと売れて、
こじんまりと稼いで、こじんまりと残る。

そういう時代になったのではないだろうか。
これを僕は「小もうけの時代」と呼びたい。
(ジャニーズで言えば、嵐がまさにそういうタイプ!?)

きっといつの時代も「大もうけ」をする人はいるだろう。
いつの時代でも、「大ブレイク」を引き起こす人はいるだろう。

でも、それは例外中の例外中の例外であって、
今後は、大ブレイクのない、こじんまりとしたブレイクが中心となるだろう。
(ブレイクをしても、短命であること以外にはありえない、みたいな)

それが、まさに21世紀という時代なのかもしれない。

月九のドラマ「婚カツ!」も、豪華ラインナップながらも、
全然視聴率がとれていない、という話だ。
これは、企画が悪いのではなくて、
そういう時代精神ゆえに、ぱっとしないのだ。

でも、この「ぱっとしなさ」は、肯定的に捉えるべきである。

誰もが法外な夢を見ずに、そこそこの生き方をする。
「質素な近代的生活」と言ってもいいかもしれない。

誰もがそこそこ儲けて、そこそこの暮らしを楽しむ。
外車にのって、高級ブランドを身につけて、
高級レストランで珍味を味わうのではなく、
中古車にのって(公共機関を使って)、そこそこの服を着て、
そこそこの食事を楽しんで、ゆったりと過ごす。

休日もバカ騒ぎをするのではなく、
自宅や近所の飲み屋で、仲間とまったりと会話を楽しむ。
金曜日の夜もオールナイトで踊り狂うのではなく、
自宅近所で、家族や友だちとのんびり過ごす。

無理に電気を消費するのではなく、
しっかり寝て、ゆったりと体をほぐす。

過度な期待がなければ、それなりにスロウな人生を楽しめるはず。
大もうけをして、豪遊生活をしなくとも、
そこそこもうけて、缶ビールと手作りのつまみで幸せにはなれる。

どの産業を見ても、今後大ブレイクする企業はそうそうないだろう。
ブレイクしても、砂上の楼閣のごとく、さーっと消えていくだろう。

けれど、どの企業もそれなりにものを生産して、売ることはできる。
大もうけを目的とするのではなく、小もうけを目的とする。
働き手がそこそこ暮らせるだけの収益を求めて、
堅実路線で、地味に真面目に運営を続ける。

拡大路線ではなく、地味な現状維持路線で。

バブル期の「大もうけ時代」に囚われるのはもうやめにしたい。
本だって売れない売れないというけれど、
「メガヒット」を望まず、地味に静かに売り続けることはできるはず。
ドイツでは、いつでもどこでも欲しい本が次の日までには手に入る。
(amazonと同じくらいのスピードで、どの書店でも入手できる)

ミュージシャンも、もう武道館や東京ドームを夢見るべきではない。
そうではなく、500人~1000人規模のライブハウスの公演を
地味に長く、そしていつまでも開催できることを目指すべきであろう。

身の丈にあった生活の中での豊かさ、
これにもっと執着してもいいのではないかな、と思う。

自称エピキュリアンの僕としては、
ようやくエピキュリアンの時代に入ったのかな、と。
表に出て派手な生活をするのではなく、
顔の見える人間社会の中で、こじんまりと静かに過ごす。
波乱や刺激はないけれど、安らかで朗らかな暮らしを楽しむ。

幸せの基準を変える必要があるのではないだろうか?!

コメント一覧

kei
intoshさん

共感、ありがとうございます!!

地味な生活をしつつ、
どこか都会の刺激を求める、
っていうのもよく分かります。

僕自身、やっぱり千葉に住んでいて、
ちょくちょく都内に出られるのは
やっぱり嬉しいですし、
都内には刺激が一杯あります。

でも、都内の刺激の多くは、
今やインターネットでカバーできます。
そういう意味では、
都会に見切りをつけても
いいのかなって思いました。

BUCK-TICKは本当によいお手本だと思いますね。

でも、BUCK-TICKも悪の華時代に
大ブレイクしてますからね。

ああいうブレイクはもう望めないのかな
って思ったりもします。

難しい時代ですね。。。
intosh
賛同します
http://long-walk.net/
keiさんの考え方にはとても共感を持てます。
身の丈にあった生活の中での豊かさなんて言うのは、まさに私が日頃思っている事です。
ただ、都会の刺激を求める自分がいるということも確かですが。

今はインターネットが繋がれば、どこにいても知の追求を行なう事もできますし、社会のあり方や働き方が変わってきても良いのではないか?とも思いますね。

そしてミュージシャンのあり方もkeiさんの仰る通りだと思います。
個人的にはBUCK-TICKが地味に長くの良い例だと思っています。(地味ではないかもしれないけど)
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