迎春 2016
あけましておめでとうございます。
今年度も「Dr.keiの研究室」をどうぞよろしくお願いいたします。
2015年は、「戦後70年」ということで、一つの大きな節目となる一年でした。
安保法を巡る激しい議論もまた、この70年を考える上で大きな意味をもちました。
僕は、この「戦後70年」を考えるためにも、夏にチェコで最も大きな強制収容所を訪問し、ハンブルクのとある学校(第二次世界大戦末期に子どもが処刑された場所)を訪れました。そして、12月に、太平洋戦争で最も多くの犠牲者を出したペリリュー島にも行きました。2015年4月に天皇陛下も御訪問された小さな島です。
(上の画像は、パラオ本土からペリリュー島に向かうボートの上から撮影しました)
この話はまた別記事で語りたいと思います。
2016年は、新しい時代のスタートともなります。先日、「慰安婦」を巡る日韓の合意を得ることができました。「冬のソナタ」の時代を経て、今や、日韓は過去最悪なまでに関係が悪化しています。
東アジア全体をこれからどう考えていくのか。
日本から一歩足を踏み出せば、今や、日本と中国と韓国が、(世界レベルで)ほぼ同等の経済力や豊かさを得ていることが分かります。この数年で中国の力が増し、東アジアの力関係も大きく変わりつつあります。
東アジアが未来の「大戦場」にならないために、皆の知恵が必要なんだろうな、と思います。そのためにも、過去を見つめる目を常にもっておきたいところです。過去を学ぶことこそが、未来の戦争を生まないための唯一の道です。
2014年~2015年にかけて、中東地域は、想像すらできないほどの「大戦場」となってしまいました。シリアは、日本政府が「絶対に行ってはいけない国」に指定し、渡航することもできない場所になってしまいました。イラクも同じです。
これを「対岸の火事」と考えてはいけないのかな、と思います。
未来、東アジアが「紛争地域」にならない保証は一つもありません。どこかで、何かの歯車が狂えば、一気に混乱し、殺戮と爆撃と破壊と憎しみに包まれてしまいます。中東で今起こっていることが、未来、東アジアで起こらないとは誰も言えません。
無論、中東ほどに世界各国が注目するほどの「資源(油田)」があるわけではないし、欧米がそれほど入り込んでくる場所でもないので、中東ほどの大混乱は起こらないとは思います。でも、東アジア~東南アジアは、今、最も経済成長が見込まれている地域であり、アメリカもヨーロッパもその「うまみ」を狙っているのも事実です(ドイツもイギリスも、中国で生まれる利益を虎視眈々と狙っています)。
何が起こるかは、本当に分かりません。だからこそ、過去をたえず見つめ続けることが必要なんだと思います。
かつて日本は、帝国主義の下で、アジア全土を「支配」し、「植民地」にしようとしました。どれだけ過去を美化しようとも、パラオやグアムやサイパンやフィリピン、満州国、朝鮮半島を「支配」し、「侵略」したことは、否定できません。
日本には、「過去の過ち」があるんです。広くアジアで、日本ほどに(欧米のように)帝国主義を実践した国はないと思います。そういう帝国主義的な過去の過ちを経験しているのは、日本だけなんです。だからこそ、僕らこそが、この帝国主義の怖さを学び、二度とかつての「帝国主義」を繰り返さないことを訴えなければならないんだろうな、とも思います。
この写真は、日本が植民地にしたパラオの草原に残っていた「鉄塔」です。
送電線は残っていませんが、電気を送るための鉄塔です。
確かに、この地を日本は侵略し、植民地にしたんです。この事実は、過去をどれだけすり替えようとも、消えない事実なんです。パラオでは、「乾杯」のことを、「ツカレナオス」と言います。欧米の人間が、植民地の人間の言語を奪ったように、日本人も、この地の人々に、言語を強制したんです。
僕らは、この70年、「加害者」として、どれだけ自分たちと向き合ってきたでしょうか。そもそも、「自分たちが加害者だった」という意識そのものが欠けているのではないでしょうか。
無論、日本は、世界唯一の「被爆国」であり、多くの一般の犠牲者を出しました。この点において、アメリカを擁護する気は一切ありません。「原爆投下」は、絶対にしてはいけないことでした。
とはいえ、日本がアジアで行ったことを「なかったこと」にすることはできないはずです。けれど、今、かつての日本人がアジアで行ったことをしっかり見なおすことは極めて難しいです。ドイツ人が「ホロコースト」で行ったことは、きちんとレコード(記録)され、今もしっかりと残っています。が、日本は、アジア各地で行ったことを残すものは、敗戦と同時にほぼ全て消去したと言われています。レコードされていないんです。だから、「歴史修正主義」に対して、なかなか反論を提示することができないんです。
日本人がかつて外国で行っていたこと、それを学ぶことが、もしかしたら、過去を学ぶことになるのでは、と思うに至りました。
これも、ペリリュー島に残された日本軍の戦車です。厳密には、「95式軽戦車」です。
日本は、この美しい南国に、この戦車を持ち込み、この島を「支配」したんです。
もし、日本が「帝国主義」を掲げずに、この島を侵略しなければ、他国がきっと侵略していたでしょう。でも、そうであればこそ、その他国を非難することができます。でも、日本は、侵略と植民地化を繰り返す愚かな国々と同じことを事実としてやってしまったんです。
こちらもペリリュー島に残された「日本軍総司令部跡」です。70年以上昔の建物なのに、その骨格は見事に残っています。
この場所も、「確かに日本軍がこの島を占領していた」、ということを示す建物になっているように思います。二階にも上りましたが、ホント、しっかりとした建物でした。(この建物自体には、魅了されましたが、でも、事実、この場所に、こんな建物を、現地の人間でない人間が立てて、占領したんです)
小林よしのりさんの「卑怯者の島」にも描かれている洞窟(防空壕)です。
この狭い洞穴の中に、何百、何千もの日本兵が潜んでいたそうです。
その生活は、壮絶を極めたそうです。
僕は静かに手を合わせました。
と同時に、ここで亡くなった方が亡くならなければならなかった理由を考えました。
「なぜ、彼らは死ななければならなかったのか」、と。
兵士の平均年齢は、23歳と言います。
これが、何を意味しているのか、考えたいところです。
当時、日本の軍人が飲んだとされる「ビール瓶」がいっぱい散乱していました。
本当に何もかも、残されているようでした。写真中央にあるのは、文字を書くための「硯(すずり)」です。多くの兵士が、この硯を使って、何かを書こうとしたそうです。
このように、本当に美しい(そして灼熱の)ペリリュー島に、かつての日本の行いが、残っているんです。
この島で、一万もの日本人が命を失ったと言われています。生存者は34名のみ。1万人の中の34人です。アメリカの圧倒的な力の前に、多くの日本の若者が亡くなりました。
2015年、多くの人が、「若者を戦争に向かわせるな!」と叫びました。「戦争反対!」とシュプレヒコールを上げました。そのことの「意味」を、僕はここで感じることができました。
どんな戦争であれ、戦争は、結局は若者の命を奪う行為なんです。「兵士」になるのは、いつでも「若者たち」です。だからこそ、若者たちの命を奪う戦争への道は、どんな手を打ってでも、阻止しなければいけないんだ、と。だからこそ、戦争を生み出すメカニズムを、僕らは常に学び続けなければいけないんだ、と。それが、きっとアドルノの思想の根っこにあるものなんだろう、と思います。
過去を美化せず、そして、冷静に、「なぜ日本は、戦争に向かったのか」ということを繰り返し問いたいと思います。
2016年。
僕たちは、中東の情勢に対しては何もできないかもしれないけど、自分たちの暮らす東アジアの未来について考えることはできると思います。日本の平和は、日本だけで実現するものではありません。近隣諸国との平和的な関係があって、初めて成り立つものです。
Dr.keiの研究室は、マイナーなブログですが、マイナーなりに、「東アジアの平和」について考えていきたいと思います。
まー、ほとんどラーメンの記事ばかりですが、その中に、真面目な記事ももっともっと入れ込んでいきたいです。一部の人からは、「ラーメンの記事ばっか書いてないで、真面目な話をもっと書け!」と言われています(苦笑)。
でも、ラーメンって、「平和」の象徴だと思うんですよね。それに、「戦後」の象徴でもあります。そんなラーメンの記事を主に扱いながら、いろんなテーマの記事を書いていきたいな、と思います。それが、一番、平和的かな、とも思うので…。
これからも、細々と、地味に地道に頑張って更新していきます。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。こそっとでも、読んでくださると嬉しいです。
そして、いつも見てくださっている人には、改めて、心から感謝いたします!!
Danke schön!!
PS
奇しくも、朝まで生テレビでも、同じテーマを扱っていますね(汗)