今日は、久々に悪麺友らんちばさんとミニ・ラーメンツアーにでかけました。
思い返せば、2か月ぶりくらいのミニ・ツアーで、とっても楽しかったです。
改めて、悪麺友さんの大事さに気づかされた気がしました。
らんちばさんとDr.keiの食べ歩きももう8年以上になるのかな!?
歳の差は10個ほど違うけど、「親友」と呼べるくらいの存在になっています。
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さて。
そんならんちばさんとお話していて、ふと、今年、僕が某ラーメン店で気絶したときの話題が出てきました。
2016年、僕にとって、最大の出来事は多分この日のことになると思います。
あの日の激辛料理のことを思い出すと、身震いしてきます。
ホント、あの時は、「死ぬんじゃないか」、と思った。
失神する前のあの悶絶の痛みと、失神後の痙攣には、本当に参りました。
ただ、あの瞬間、僕はかなり冷静でした。
「ああ、これで死ぬのかもしれないなぁ」、、、と。
死の恐怖というよりは、「ああ、死ぬんだ…」って感じでした。
意外と冷静に、ドライに、自分の行く末を案じていました。
「生きたい!」とか「死にたくない!」とか、そういう言葉じゃなくて、、、
「ああ、ここで死んでしまうのか、、、」、と。。。
うまく伝わるか分からないですが、身体は異変を起こしているのに、精神は落ち着いていたんです。
それに、自分も驚きでした。
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そんな僕ですが、今も生きています。
生きているんです。
なんか、今日は、その「生きている」ということについて考えさせられました。
今日の夜、26年前から続く親友と五井で呑みました。
ずっと昔からある飲み屋さんで…。
そこにいたご高齢のおばちゃんがいて、顔を覚えていました。
「このお店で、ずっと働いていますよね?」、と僕が聴くと、
「そうですよ。このお店がオープンしていた時から働いています」、と。
多分、僕がまだ「ギタリスト」だった時から、、、
なので、ゆうに10年以上はここで働いていることになります。
そのおばちゃんも、あの頃からずっと生きていて、このお店で働き続けているんです。
生きている、ってことなんです。
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五井からの帰り道。
内房線で、千葉まで戻りました。
車内には、色んな人がパラパラと座っていました。
一人ひとり顔を見ても、知っている顔はありませんでした。
この人たち一人ひとりもまた、生きているんですよね。
狭い日本という国ではありますが、日々、知らない人が僕の近くにいて、
僕のそばを通り過ぎるんです。
しゃべれば通じる、同じ日本語を母国語とする人たち。
でも、決して、出会うこともない人たち。
この人たちも、今日を、昨日を、明日を生きるわけです。
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生きている、という素朴な現実。
そのことを、僕らは日々、どれだけ感じているでしょうか!?
らんちばさんも僕も、それこそ50~60年後にはいなくなっているでしょう。
このブログの記事を読んでいる人も、きっといなくなっていることでしょう(苦笑)。
そもそも、この「ブログ」という媒体が生き残っているかどうかも怪しいです。
今、身近にある「自動車」も「販売機」も「コンビニ」も、、、、
きっと100年後にはないんでしょう。
ただ、一つだけ言えるのは、「僕らが今、こうして生きている」、ということ。
生きていること自体が、なんか、奇跡のように思えてもきます。
また、1億4000万人くらいいる日本の中で、、、
偶然にも出会えた友達や知人や仲間たちも、まだ生きています。
生きていること自体に目を向けると、その生きていることの奇跡を感じます。
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僕にとって、死というのは、「電球が切れる」感じなんです。
今、天井に輝く光も、いずれは寿命が来て、光らなくなります。
僕らの生もまた、電球のように、いつかは消えて光らなくなります。
でも、まだ、光は付いている。
そこに、全神経を傾ければ、おそらく「生きている」というリアリティーを感じるんじゃないかな、と。
そう思います。
今、まだ、こうして生きているからこそ、、、
まだまだ、色々とできるんです。
死後の世界も気にならなくはないけど、、、
僕らが考えられるのは、生きている時のことだけ。
ならば、生きている、という素朴なリアリティーに真面目に向き合うのみ。
…
そんなこととを考えました。。。
100年後も生きている人は、ほとんどいないのだから…。
100年後の世界がどうなっているか。
今を生きる僕らには、…存ぜぬことであります。。。