Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

[翻訳]現象学とは?

現象学(Phänomenologie)

1.発生と特徴
 プラグマティズム、新実証主義、生の哲学は、どれもそれぞれの仕方でカントを拒否している。おそらく、現代の哲学の一部を際立たせているカントからの離別のために、より重要になったのが現象学であった。むろん、現象学の中では、カントからの離別は、「哲学者はますますカント以前の思想家、とりわけスコラ哲学者、スピノザ、ライプニッツらに立ち戻るのだ」、という表現で言い表されていた。フッサールは、現象学の創始者であるが、カントや新カント派に全く手をつけていないままではなく、フッサールに決定的な影響を与えたフランツ・ブレンターノを己の師としていた、というのが特徴的である。ブレンターノは、最初はカトリックの司祭であったが、カトリック信仰からの離別の後も、スコラ哲学とその師であるアリストテレスに密接に結びついたままであった。ブレンターノを受け継いだ思想家の研究を通じて、ブレンターノ自身、遅ればせながら、19世紀の最も影響力のある哲学者の一人となったのだ。現象学自身、再び今日最も有名な現在の哲学、実存哲学の肥よく土となったのだが、その現象学のみならず、また、多くの点で現象学と同系でありながらもあまり影響力のなかったアレクシウス・マイノング(1853-1921)の対象論(Gegenstandstheorie)も、ブレンターノに由来していたのだった。
 フッサールに再び光を与えた19世紀初頭の第二の思想家が、哲学者であり、数学者であり、またカントの論敵であったベルナルト・ボルツァーノ(1781-1848)である。既にこのボルツァーノにおいて、フッサールも支持していた根本思想を見出すことができる(ゴットロープ・フレーゲも、フッサールの処女作品の批評の中で力を入れてそのことを示していた)。すなわち、その根本思想とは、心理学からの論理(Logik)の自立である。論理の諸法則は、思考する意識の過程とは同一ではない。時間も空間もない諸真理であり、命題それ自体であるのが論理である。現象学は、自らのまなざしを、この理念的な諸本質(諸実体Wesenheiten)に向ける。現象学は、本質の哲学である(このことがまた現象学の名を意味している)。しかも、現象学は、この諸本質を直接、「本質直観」によって把握しようと試みるのである。

2.エドムント・フッサール
 エドムント・フッサールは、ベルクソンとならんで、20世紀に最も影響を与えた哲学者の一人である。1859年にプロスニッツ(メーレン:現チェコ)で生まれたフッサールは、ハレ大学、ゲッティンゲン大学で教鞭をとり、1916年から彼の定年退職である1928年まで、ブライスガウのフライブルク大学で教え、この地で彼は1938年に亡くなった。
 数学者として(彼はかつては有名な数学者であるK.Th.ワイアーシュトラウスのアシスタントだった)、そして自然科学者として教育を受けたフッサールは、最初の哲学作品として「算術の哲学」(1891)を出版した。この書ですでに、フッサールの思想の基盤として、根本的に厳密で哲学的・心理学的に「最終的に解明された」(フッサールの表現)基盤の上に立つ学問的、哲学的な認識の基礎づけ(Grundlegung)への努力が表れている。その10年後、「論理学研究」が出版された。20世紀の始まりには、精神生活(学問界)の様々な領域で、転機を迎えていたが(例えば物理学ではM.プランクの量子論、心理学ではフロイトの夢解釈、どちらも1900年に公刊された)、哲学界では、とりわけフッサールの「論理学研究」がそれに相当する。この論理学研究の一巻、二巻は1900年、1901年に出版された。現象学派の根本作品は、1913年に出版した「純粋現象学と現象学的哲学のためのイデーン」である。1913年、フッサールはまた、「哲学と現象学的研究年報」を編纂し始めた。正確に言えば、イデーンからは、三巻で構成された作品の第一巻だけが出版された。1929年、長年にわたる作家的な自制の集大成として、「形式論理学と超越論的論理学」が発表された。フッサールの死後、彼の(ここで不完全な形でしか列挙されなかった)公表された作品が、彼の思想の全作品のほんのわずかな部分でしかなかった、ということが分かった。1950年以降、「フッサリアーナ」というタイトルで、ルーヴェン(ベルギー)のフッサール文庫(Husserl-Archiv)によって、彼の文書のすべてが編集されている。
 フッサールの作品は、われわれの世紀のほとんどすべての哲学書と同様、極めて読むのが難しい。それでも、フッサールの作品は、現代思想にとっては基本なので、現代の哲学に深く入り込もうと思う人は皆、フッサールを学ばなければならない。この本では、幾つかの原理を示す以上のことはできない。

結局のところ、ドイツ人にしてみても、フッサールの現象学は難しいってことなんだな。異国の僕らにとっては、そりゃ、難しいわけだ。それでも、現代思想の土台になっていることも間違いない。現象学を学ばずして、現代思想を語るな、と。そういうことなんだなぁ。。。(kei)

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